自らを越えて
第七章 丹沢行(2)人間とは人と人との間
剣呑な雰囲気のカナと大伴さん
「ねえ、朗子さん。この人(つまり俺)なんだってこんな満足に口も利けないような、おとなしい男の子になっちゃったの?さっき電車の中でそう云ってたじゃん」立ち上がった大伴さんが出発の号令をかけそうな風を見せたので、その機先を制してカナが尋ねた。まだお握りを食べ終わっていないのでそうしたのだろうか?「カナ、お前な…」大伴さんが突っ込んで来そうなのをこれも制して「それにさ、朗子さんとこの子(つまり俺。年下のくせに〝子〟とは…)学年が違ってたんでしょ?それなのによくこの子の性格とか知れたじゃん。なんで?教(おせ)えてよ」と臆面もなく聞いてからまたお握りをほうばり出す。あと二口ほどで完食しそうだ。ミカは『すげえ、カナ…』という風な感じで目を丸くしている。大伴さんにメンチを切るなんて…とでも云いたげなのだが実際には一言も発しない。おそらく大伴さんとカナの両方とも怖いのだろう。大伴さんがカナの目の前に移動して来て両腕を組み、見おろしながら「いいか、カナ。まず年上の人物に、まして男子に〝子〟なんて云うな。それから本人のいないところで云ったことを本人の目の前で云うな。わかったか?」と命令口調で云うのに「それならこの子、なんて呼べばいいのよ?」「また…。先輩と呼びなさい!隊長さんとかおちょくりまくって…いい加減にしないとしばくからな」などと、鬼軍曹気味の大伴さんとそれにへこたれないカナの両方の様に恐れ入る俺でしかない。俺のような(ごとき?)者のために他人様が云い争うなんて初めての体験だし、何と云うか、申しわけなくて身の置きどころもない感じなのだ。間に入って仲裁する度胸もないしかと云って逃げ出すことも出来ないし畢竟忸怩たる思いでいるしかなかった。そんな俺など一眼だにかけることなく悠然とお握りを食べ終わったカナがひとこと「こええ〜」とうそぶく。大伴さんの目がいささか吊り上がり気味になって恐ろし気だ。ここでカナを怒鳴りつけでもしようものなら俺はたまらずに『すいません!俺が悪いんです。お、俺は帰ります!』とでも云って沢を降りかねなかった。