自らを越えて

いや、憑依かな?

ただ、ちょっとここで書き添えたいのだが、そもそもこれがはたして本当に守護霊なのかどうか、実は確言できない。先に憑依のたぐいかも?と書いたことで、守護霊なら善霊だが憑依となると必ずしもそうは云えなくなる。憑きものと云うか、憑かれもの体質のようなところが俺には元からあるようで、仔細は省くが小学校時代からごくまれに人格が急変することがあったのだ。これ以上はなく切羽詰まったとき、もはや我慢できなくなったとき…など、ごくごくまれに。日頃の鬱状態から躁に急変するのだ。ただそれは中学校での自己紹介時のように自分でも驚くほどのはっきりとした、また系統だった論理性まで感じさせるほどのものではなく、いたって気分的なもので、幼かったこともありそれほど気にもしていなかった次第。であるから、はたしてこれが躁鬱病のたぐいなのか、多重人格症なのか、あるいは守護霊であるのか、まったく判定が行かない。恐れ入る話だがこれ以後の然るべき場面でその表出を描くので、どうか読者の方々の側でご判断いただきたい…。 さて、中学校時代のことでだいぶ長居をしてしまった。冒頭のグレるきっかけとなった事件へと、高校生時代へと進まねばならない。ともかく結論的に云えるのは、このあとの中学校生活に於いては姉のように学級委員とまでは行かなかったが、クラスの何かの役員に選ばれさえもして、友人も何人も出来て、それまでの俺であれば考えられないほどの、充実した日々を過ごし得たということだ(悲惨だった遠足での光景も雲散霧消した)。
 で、問題の高校時代へと移るのだが、勉学の甲斐あって俺は県内の進学校へと進み得た。ところが俺はここでボタンの掛け違いを仕出かしてしまうこととなる。中学校での成功体験をそのまま踏襲する上において、肝心要なことを失念もしていたのだった。それは何かというと「勉強ができれば、成績が良ければみんなから相手にしてもらえる、認めてもらえる」ということで、しかしこれは主客転倒の、順序を取り違えた思い込みでしかなかったのである。 勉強が出来たから友人が出来、まわりの環境も良くなって、自分の性格も明るくなった…のではなく、事実はまったくその逆。(当初は演技であっても)自分発の積極性がまず有り、そこに友人が出来て環境が好転し、その結果勉学にもやる気が起きて成績が上がった…というのが正解だった。
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