自らを越えて

大伴さんに「上等じゃねえか」

「…だってあんまり遅いから」「何いぃ?…」などと俺の身体を挟んで大伴さんがカナに詰問し始めた。「ゆっくりでいいとあたしが下から云ったでしょ?!聞かなかったの?!」「聞いたよ。だからさ、こいつにあたしが先頭代わるって云ったんだ。それなのに…」「こいつぅ?…こいつ、こいつとは何だ?!」「自分が云ってんじゃねえかよ」つかみ合いを始めかねない2人の様子に俺はたじたじとなる。大伴さんの剣幕の凄さ、カナの負けん気…恐れ入るばかりだ。ミカと云えば青くなって佇むばかりで割って入ることなど望むべくもない。俺はとにかく人と人が争うのが嫌いでそんな場面に出くわせばすぐに逃げ出すのだが今はそうは行かない。女性と女性の言い争い、ましてその原因が"俺〟とは…これはまったく始めての経験だ。いつでもどこでも自分を勘定に入れない(謙虚だからではなくただ弱いから)性癖の俺であったればこそもう居たたまれなかった。「あの、大伴さん、俺が悪い…」か細い声で仲裁しようとする俺の言葉などまったく耳に入れず「カナ、来い!分からなきゃ身で教えてやる!」と云いざま俺の身体越しにカナの襟首を取る大伴さん。その際大伴さんの胸が(乳房が)俺の横顔にくっついたがさすがにここは欲情するべくもない。「上等じゃねえか」カナは応戦する様子。もう、もう、どうしよう…?このままもうどこかに行ってしまいたい。もうここに居たくない…と念じるあまり意識さえもが薄れようとする。ところがその時俺の口が突然勝手に動き出した。
「ちょっと待って!大伴さん、カナさん。ほらミカさんを見て!」自分でも驚くようなしっかりとした強い口調で俺はそう2人に呼びかけていた。「えっ?」とばかり2人が俺を見、続いてミカを見る。そこには呆然と涙を流しながら俺たち3人の様子を眺めているミカがいた。「ミカ?!」大伴さんとカナが同時に声を上げる。大伴さんの手がカナの襟首から離れる。俺は(…はたして俺だろうか?)「大伴さん。ミカちゃん…い、いや、ミカさんに、なぜ泣いているのか、その分けを聞いてくれ。頼むから」と強く懇願する。嫌も応もないその調子に「え、ええ…」と些かでも驚き、また戸惑い気に、大伴さんは立ち上がってミカのそばへと歩み寄った。
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