自らを越えて
大我から小我への感作の妙
「なに云ってやがる。泣いたカラスがもう笑ってらあ。ハハハ」「まあまあ」などとカナと漫才をする。一方大伴さんは自分のリュックからヤッケを取り出すとそれを俺の肩にかけてくれる。「だいじょうぶ?寒気がする?」の問いかけに思わずうなずいてしまったが「だ、だいじょうぶです。あ、あの…す、すいません。お、俺のリュックから水を、水筒を取ってくれませんか?」と頼み込んだ。なぜか喉がカラカラなのだ。大伴さんはすばやく俺のリュックから水筒を取り出してわたしてくれ、それをゴクゴクと俺が飲む間中ずっと背中をさすってくれた。それほどの行為を受けながらどういう分けかこれ以降それを自覚もできず(本来の俺であるならもう恐縮しまくり感激しまくってる筈だ)俺は先ほど来滔々と口にした自分の言葉を心中でなぞり始めるのだった。大伴さんに「ありがとう」のひとことを云うでもなく、である。2、3分ほどなぞっているうちに『なるほどな。カナの云う通り俺は懸命だったんだろうな。あのデミアンという小説は以前に読んで感激しまくったものだ。黒い霧への認識も自分への〝疲れるやつ〟という認識も前々からあったし…だからこそミカへの理解もきっと出来たのだろうな』などと、不思議と〝俺ならぬ俺〟への客観意識が薄れて行き、あの熱に浮かされたような真情の吐露も、大伴さんとカナが一触即発の事態に至ったがゆえにきっと出来したのだろう…などとこちらも俺自体の仕業と思えてくるのが不思議である。ぜんたいこの辺が〝大我から小我への感作の妙など心得ている〟と俺ならぬ俺が俺に宣(のたま)わった(のかな…?)所以だろうか?しかしなおも俺の心中でのモノローグは続く。『それにしても大伴さんに〝あなたがデミアンです〟とか〝俺ことシンクレールをよろしく頼みます〟なんて、よく云えたもんだよ。まったく!あの大伴さんに!だぜ?…ん?大伴さん?大伴さんって…いま背中をさすってくれているのはいったい…?』まで来て、ここでようやくうしろをふり返ってうつけ状態から目が覚めた。またこの時もう我慢ならぬとばかりカナが放った「おい、村田。いつまで大伴さんに背中さすらせてるんだよ!」の一言に、また「ねえ」とそれに応じたミカの声にも覚醒を促されたのだった。