自らを越えて

まさに今が〝自らを超え行く〟時だ

固唾を飲んで大伴さんの出方を見るしかなかったがその大伴さんは「いいから。いいから。それはまた次の機会にでも。いまは村田君の事故があったから本人のためにも無理はできないの」「だったらこいつ…いや、この人を置いてわたしたち3人だけで行けばいいじゃんよ」しかしこれを聞いて大伴さんの片眉が吊りあがる。「こら、カナ。云っていいことと悪いことを弁えろ。いいか?村田君はもう私たちのメンバーよ。置いて行くなんてことは絶対できないの。それと、ミカの目の前で本人が気にさわるようなことを云うな。わかった?」カナのふくれっ面が増したがそれをシャットするように「以上。ザッツオーバー!」と決めつけてしまい俺に「村田君。こっちの左側から巻いて行って。あたしがそのうしろを行くから。わたしのあとはミカでカナは最後尾。いいわね?じゃ、はい、出発!」
否も応もなく俺は左の雑木林に入って滝に沿って登って行く。うしろから「ホントにゆっくりでいいからね。木の枝とかをつかみながら…あわてないで。ね?」の声に「は、はい」と返事するがどうにも最後尾のカナが気になる。あそこでよく口をつぐんだもんだと、なおも彼女のこれ以後の出方が気になってしょうがない。人の性格の別への知識、まして女性のそれなど元より門外漢だった俺であればこそ、このカナという女の子の気性の荒さ、その凄まじさに驚きもし恐れをなしていた。あのストレッチ体操をした時に感じた〝このカナにさえなにがしかの親近感を覚える〟としたことがいかにまだ軽薄なものであったかを知り、忸怩たる思いさえ抱く。長年月自分の殻に閉じこもって涵養(かんよう:知らぬうちに養成すること)してしまった黒い霧の障害がどれほどのものであるか、それを打ち壊し超え行くことがいかに大変か、さらには、謂わばまだ幼児のごとき俺の心の弱さの実態をこのあと知ることとなるのである。右足の踵を挫いたハンディのみならず、まさにいまが〝自らを超え行く〟登攀、登山であることだ…。
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