夜菊
花火が上がる。それを遠目で見ていた。遅れて爆ぜる音が届く。あの火薬で咲いた菊の花に、意味なんてない。あれを菊だと思ったのもわたしの都合。仏花だから。
花火には鎮魂の意味合いがあるだなんていうのもきっと嘘。夏休みの風物詩。ただそれだけ。
花火大会が川辺で開催されている。今の時代は生配信で家から観ることもできる。。だからわざわざ人混みに行く必要はないけれど、それもひとつの体験として、価値がある気がする。思い出として、意外と長く保つものだ。
歩きづらい浴衣を着て、鼻緒で足が痛くなって、物の入らない巾着バッグをぶら下げて。下着も浴衣に合せたり。透けてしまうから。なんとなく雰囲気も髪型もメイクも、いつもと違う自分を装う。演じる。夏の夜の幻。
そういう楽しみを、また来年、また来年と積み重ねていくはずだった。わたしも。本当は2人で。でも一人になったから、浴衣も着ないで、あの混んだ現場には行かない。
わずかの休息。それでまた花火が上がる。今年のこの花火は、わたしにとって意味がある。ただ空を飾って、夏を感じさせるギミックではもういさせてくれないみたいだ。
わたしをわたしでもいさせてくれない。ろくでもない女だった。どうしようもない人間だと自覚した。
大切だと思い込んでいた、大切なはずの人の意志を尊重してもやれない。わたしが鬼になることは望まれたことではないはずなのに。
花火が次々と上がっていく。火薬の匂いが恋しい。人混みのなかで嗅ぐ他人の香水の匂いが。煩わしい蒸し暑さが。
打ち上がった花火は川底へも落ちていくのだろう。波間にそよぎながら、流れ消えていく。その光景を知っている。昨年まで一緒に観ていたから。今年も一緒に行けるものだと思っていた。疑う由なんかなかった。
割高なからあげだの、原価数円のかき氷だのをありがたがって食べていた。子供の持つ光るおもちゃに年甲斐もなく惹かれたりして。
すべてが懐かしくて、あの輝かしい夏休みにはもう戻れない。
花火が打ち上がる。不発だった。夜空が煙る。あれは魂が爆ぜる音。わたしたちはそれを観て喜んでいる。美しいものにする。悲劇的であればあるほど、詩的にする。
赦せない、赦せない、赦せない。
誰かのヒーローでなくてよかった。名声も褒賞も捨てて欲しかった。ただわたしは傍にいてほしかった。ごくごく一般的な人でよかった。そんな優しさなんて要らなかった。
煙が漂う。あの人を呑んだ川の上で。