君のいない明日を君と生きる

***


 八月も二週目に入り、家の中でさえ感じる蒸し暑さにため息が出る。時刻はまもなく八時半を迎える頃で近所の中学校に向かう部活動生の元気な声が聞こえてくる。夏休みなのに頑張るなーと他人事のように思いながらも私はバッグに荷物も詰め込み鏡の前で自分の姿をチェックする。

よしっ、おかしいところはないよね

 準備も終わり少し乱れた前髪を整えているとチャイムが鳴る。バッグを肩にかけ玄関に行きドアを開けると、シンプルなTシャツ姿の湊斗がいる。

「おはよう。早く着きすぎた?」
「ちょうど準備終わったとこだよ」

 「いってきます」とリビングのお母さんに言い家を出ると、室内とは比べ物にならない暑さに眉をしかめる。湊斗の隣に並び駅までの道を進んでいく。今日の目的は一日中映画館で映画を観ること。映画館は三駅隣にあり、湊斗と一緒に行くのは四回目になる。

「この作品観てみたかったんだよね」

 まだ九時を過ぎばかりの映画館は人が少なく落ち着いた時間が流れている。私たちが朝一番で観ることにしたのはマイナーなもので昼の時間帯には上映されていないものだ。

「私も気になってたけど朝から来ることないから、DVD出るまで待とうかと思ってたよ」

 気が付けば上映時間である九時半迎えていた。ドリンク片手にシアターに入り席に着くと、ちょうど他の作品の予告映像が流れ始める。もうすぐ公開される作品の予告が二本流れ、三本目の予告が流れ始めたとき、隣から声がした。

「あっ、これ」

 隣を見ると湊斗はぼーっとした表情でスクリーンを見つめている。

「どうしたの?」
「いや、好きな作品の続編だなって」

 こそっと小さな声で聞くと、一瞬こちらに顔を向けそう答えた。私も再びスクリーンに目を向けると、今予告をしている作品が二年ほど前に上映されたものの続編なのだと思い出した。その予告は『十一月七日全国公開』の文字を残し終わった。

「観たかったな……」

 隣から聞こえた言葉は、その後すぐに流れ始めたお馴染みのマナームービーの音に消えていった。独り言にしても小さいと感じる言葉を、本人は口に出したことに気付いているのだろうか。きっとポロっと出てしまった本音に、私は彼の横顔を見ることすらできなかった。

***


 五作品を観終わるころにはすっかり日が暮れていた。湊斗と一緒に半日を過ごしている。朝一に見たマイナーな作品に加え、洋画や漫画の実写化作品、アニメーション映画など、丸一日を映画館で過ごした。

「泣きすぎて明日絶対目が腫れるよ」
「ほんと、隣見たら紬が号泣しててびっくりしたよ」

 最後に観た作品は小説から映画化した今話題のものだ。
 余命わずかと診断された少女とその幼馴染の少年のラブストーリー。少女の幼いころの夢だった女優の夢を叶えるために、少年は家族や友人の協力を得て自主制作映画を作り始める。もちろんその映画の主演は少女で順調に制作されていくが、完成する前に少女は亡くなってしまう。少女が秘密で遺していた映像や手紙を見つけ、三か月後に映画は完成しその映画は多くの人の心に残っていくというようなストーリーの映画だ。
 予告されていたあらすじを知っていた私は観る勇気はなかったが、時間の都合上観る作品が絞られたときに湊斗が観たいと言った。それをわざわざ断るわけにもいかず観た映画は、今の状況に重なるところもあり涙を流さずにはいられなかった。

前まではただのフィクションだとしか思わなかったのにな

 朝通った道を二人で帰るその足はいつもよりも重く感じた。

「そうだ、写真撮ろうよ」

 数日前から思っていたことを口に出す。私たちは仲良くなってから何か月も経つというのにスマホの中に一緒に映った写真は一枚もなかった。普段から誰かとの写真をあまり撮らない私は、どうせよく明日も会えるからと写真を撮る必要性を感じていない節があった。

「ごめん、写真はいいかな」
「え……」

 思っていた返事とは違うその言葉に私は固まる。ノリがいい湊斗なら快諾してくれるとばかり思っていた。

「さっき観た映画、女の子は映画に自分の姿遺したじゃん。家族だけじゃない、みんなに自分が生きた証を残した」

 落ち着いた声で話し始めた湊斗の言葉を私は黙って聞くことしかできない。

「でもさ、俺は嫌だな。何も形として残さず逝きたい。自分のことなんて忘れて、元からいなかったように過ごしてほしい。だからさ、紬も俺がいなくなっても忘れて幸せに生きてね」

 初めて聞いた本音に私はどうすればいいか分からない。

「そんなの無理、だよ」

 どうにか振り絞って出た言葉は何とも言えないほど情けない声だった。街灯も少ない暗闇で湊斗の顔はよく見えない。私の言葉を聞いた湊斗は悲しそうな顔で笑っている、そんな気がした。湊斗の余命を知ってからずっと悪い夢を見ている感覚だった。悪い夢であってほしかった。初めて、これはフィクションじゃない、紛れもない現実だと思い知った。
 それからの帰り道は二人の間に会話はなく、私の家の前に着くと「また明後日」と手を振りその背中はあっという間に見えなくなった。
 自室で何気なく写真や動画を投稿するSNSを開き友人の投稿にいいねを押していく。湊斗はどんな投稿をしていただろうと過去のダイレクトメッセージからアカウントに飛ぶと、『ユーザーが見つかりませんでした』とアカウントが表示されなかった。
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