無能の乙女は麒麟の花嫁に望まれる
 虐げられる生活にも慣れてきた十一の年、最初の転機が訪れる。

「正月に、四家の集まりがある。そこに今年から我らも出席することになった。これも美夜の加護――『妖魔を傀儡にする術』が優れているからこそ、本家から参加を許されたのだ」

 ある日の夕食の席、家族と共にテーブルに着くことすら許されない結月は、他の使用人たちと同じく食堂の壁際に控えながら、食事を取る父親の話に耳を傾ける。射干玉のような長い黒髪を揺らし、結月は目を輝かせた。

(すごい。四神を司る四家のお正月の集まりに、我が家が参加を許されるなんて……)

 噂では、竜宮城の宴会よりも華やかだと聞く。四家に名を連ねる者ならば、一度は参加してみたいと夢見る宴だ。

 色白な頬を紅潮させてソワソワしだす結月。しかしそんな娘を見咎めた父親は、冷えきった声で言い放った。

「ただし……結月、お前は小間使いとしてだ」
「え……」

 動揺から揺れる視界の端で、美夜がほくそ笑んでいるのが見える。母親は鼻にしわを寄せ、

「加護も持たない無能なのだから、役に立てるだけ光栄と思いなさい」

 と叩きつけるように言った。

「……はい」

 結月は俯いて拳を握りしめる。

(仕方ないよね。私は無能だもの)

 加護を持つ人々は、日夜妖魔を払うべく危険に身を晒して奮闘している。自分にはその力がない分、別の分野で力を振るわなければ。

(自分にできることをひたすら頑張ろう。そうすれば、いつか誰か一人くらい……)

 皆に認められなくてもいい。でも、父でも母でも、美夜でも――誰でもいいから、この世の誰か一人くらい、努力を認めてほしい。

 学校に通わせてもらえない結月にとってはまだ、この家の人々が自分の世界を構成するすべてだった。



 ささやかな願いを抱えながら迎えた正月。結月はこの世のものとは思えないほど透明感のある、美しい少年と出会うこととなった。

 四家が集まる離宮は、まるで巨大迷路のように広い。しかし国防を担う者たちが一堂に会する場所であるためか、その場所は地図には表記されず、結界により電波も通さない。

 買い与えられた最新の携帯が使えないと嘆く美夜や彼女を宥める両親と別れ、結月は小間使い用の麻のお仕着せに腕を通し、宴会の支度をした。

 季節の花々や枯山水が美しい庭園を挟んだ宴会場からは明かりが煌々と漏れている。食事を終えた四家の重鎮たちの膳を下げた結月は、丸々と太った鯉の泳ぐ池にかかった橋を渡り、炊事場へと戻る。そこで小間使いのために用意された握り飯を二つ貰うと、人気のない廊下に出た。

(まだ温かいご飯、久しぶりで嬉しいな。お父様とお母様、美夜姉さんは宴会場にいる。何か嫌なこと言われる前に、人のいないとこでご飯食べちゃいたい……)

 今頃両親は、器量のいい美夜を名家の子息の嫁にどうかと売り込んでいることだろう。

 まだ子供とはいえ、美夜は華やかな顔立ちをしている。結月と違って立派な加護も持っているし、早々と縁談の話も舞いこんでいると聞く。最近はその手の話題でも、結月は美夜と比較され、両親に叱責されることが多かった。

(暗いことばかり考えるのはやめよう。今はご飯にありつけただけでよしとしなきゃ)

 人のいない場所を探した結月は、廊下の先にある部屋の、立派な流水の描かれた襖がわずかに開いていることに気付く。

(何だろう。誰かいるのかな……)

 つい好奇心に駆られ、光源に引き寄せられる虫のごとく、隙間から顔を覗かせる。そして見えた光景に、大きな目を見開いた。

 明かりのついていない部屋には、人がいた。この世の者とは思えぬ美しさを持つ男の子が。

「誰だ」

 声変わりはすでに終えているのだろう。耳に心地よい、低く澄んだ声の持ち主だ。

 雲間から覗く月明かりによって照らされた髪は、寒空にちらつきはじめた新雪よりも白く、繊細に目元にかかっている。魅惑的な桃花眼はイエローサファイアと同じ色をしており、鋭くこちらを睨み据えていた。

(……雪の、精霊……?)

 筋が通った鼻も薄い唇も、整いすぎて人形めいている。上等そうな白地の着物を着ているせいか、余計に浮世離れした神々しさを感じた。

(こんな綺麗な子、生まれて初めて見た……)

「あ、の……私、火乃守の……結月と申します。えっと貴方は」

 自分よりも二つか三つ年上に見える彼にも名前を伺おうとしたところで、結月はピタリと言葉を切った。彼が部屋にかかっていた掛け軸を乱暴に掴み、今にも打ち捨てようとしていたからだ。

「それ……麒麟の……?」

 美しい男の子が持っていた掛け軸には、猛々しい麒麟の絵が描かれていた。龍に似た顔と身体を覆う鱗の一枚一枚が緻密に描写された、いかにも高価そうなものだ。

 最初は薄暗くて分からなかったが、目が慣れてくると、部屋の中には四神や麒麟にまつわる祭具や調度品が多く保管されているようだった。

 そんな貴重な品である一つを、今まさに眼前の端整な男の子は乱暴に扱っている。その事実に、結月は小さな歯の隙間から悲鳴を漏らした。

「だ、ダメですよ……! それ、きっと貴重なものです。しかも麒麟……麒麟は四家にとっても大切な存在なんです! 乱暴に扱っちゃダメ!」

 結月は握り飯の載った皿を床に置くと、男の子に手を伸ばす。掛け軸を取り返そうと背伸びをする結月に、彼は嘲りの籠った口調で言った。

「いいんだよ。こんなもの。ねえ、どうして四神が麒麟を中央に据えるか知ってるか? いや、言い方が悪いな。どうして四神を司る四家が、麒麟を冠する者を中心とし、かの者の言うことを聞かないといけないか、知ってる?」

「それは……えっと、そういうものだからじゃ……? 麒麟は四神を司る四家と違って、大勢の血族を持たない、たった一人の希少な存在だからだと、父が言っていたことがあります」

 突然の問いかけに、結月は目を白黒させて一般論を語る。男の子は栄養不足で背の低い結月が届かない高さまで掛け軸を遠ざけると、皮肉っぽく笑って言った。

「ハズレ。正解は、この国の権力者たちが麒麟を司る者の力を借りたいから。麒麟は太平の世に現れる。この国のリーダーが、自分の統治力が優れているからだと示すにはもってこいの象徴だ。だから四家にも、麒麟を特別扱いし、何を置いても優先して中央に据えるよう言いつけてある。馬鹿馬鹿しいことこの上ないだろ」

 自分で言いながら、どこか寂しそうな顔をした男の子に結月は気付かない。言われた言葉を反芻した結月は、オロオロと視線を泳がせると、ゆっくりと考えを纏めながら口を開いた。

「それだけ、でしょうか」
「は?」
「利用したいから、麒麟を特別扱いするんでしょうか。私は、私なら」

 結月は掛け軸に描かれた、猛々しくも凛々しい麒麟を一瞥する。

「自分にはないものを持っている人に、敬意を示したいから大切にします」
「……!」

 宝石のように美しい男の子が、桃花眼を見開く。結月は両手の指を組み合わせ、祈るように囁いた。

「麒麟は四家のように代々続く一族ではなく、その時々の御代にたった一人だけ現れると教わったことがあります。それこそ、高貴な血筋の方もいれば、百姓や、貧しい家から誕生することもあると。最後に麒麟の力を司る方が現れたのは、四百年も昔だって、習いました」

 習ったと言っても、結月は四家の者が通う有名な私立校には通わせてもらえなかったので、四家の秘密を知る家庭教師に教わったのだが。

「麒麟は、この国を覆う闇を晴らすことができる希望です。私には妖魔を払う力はありません。だからこそ、強い破魔の力を持ち、太平の世に導いてくれる麒麟という存在を尊敬しています」

 確かに、国の上層部には、麒麟を上手く利用したいという打算もあるだろう。そのため四家の者にも、もし麒麟と思しき者を見つけたら後見人になるよう命じている。

 でも、結月は違う。純粋に尊敬しているのだ。麒麟という存在を。

(……使用人のように働く中で、一族の人たちが妖魔を払うのに失敗して大きな怪我をして帰ってくる姿を何度も見てきた。美夜やお父様たちが私に辛く当たるのも、そういう行き場のない怒りの矛先をこちらに向けて鬱憤を晴らしてるのかもしれないって、思ってる。戦えない私は、安全な場所で待つしかできないから)

 だから理不尽な扱いを受けても、ぐっと奥歯を噛んで耐えているのだ。加護の力を持つ者たちには、持っている者だからこその苦悩があるのだろうと。

(麒麟は、破魔の力がずば抜けているって聞いたことがある。だから、四家にとって、妖魔を倒す力が強い麒麟は希望だわ)

「歴代の麒麟を冠する者は、身を危険に晒しながらも人々のために妖魔を払ってくれたんですって。そんな優しくて気高い存在を、私も大事にしたいから、大切にするんです」

「だから乱暴に扱わないで」と結月が懇願すると、天女のように美しい白髪の男の子は、掛け軸を元の場所にそっと戻した。

 気のせいだろうか。月明かりを浴びた彼の滑らかな頬は、わずかに色づいている。

「……結月って言ったっけ」

「はい。あ、えっと、貴方のお名前は……?」

 見るからに上等な着物を着ている彼は、どこかの本家の人間かもしれない。四家に名を連ねているとはいえ、小間使いのような扱いを受けている自分が、気軽に話しかけていい存在ではなかったのかもしれない。ようやくそこまで思い至ると、結月は青ざめて問うた。

(どうしよう……木蓮家か、金宮家の方……? いえ、水瀬家の御嫡男かも……)

 だとしたら、分家筋の、しかも無能な小娘が生意気な口を利くなと叱られてもおかしくはない。しかし男の子は、四神を司る四家の姓を口にせず、涼やかな声で名前だけ発した。

「……悠《はるか》」
「はるか様?」
「呼び捨てでいい。俺も結月って呼ぶから。敬語もいらない」
「でも……」

 結月が渋っていると、不意にグーと間延びした音が鳴った。自分のお腹から鳴った音だと気付くなり、結月は服の上から音の出所を押さえる。

「あ、の……っ。えっと」
「ご飯、まだ食べてないのか?」
「さっきまで、大広間の宴会場で給仕をしていましたので……悠さ……悠は?」

 敬称を付けようとするとイエローサファイアの瞳に睨まれたので、結月は慌てて呼び捨てる。悠は空腹を感じていないのか、

「俺も食べてない」

 と淡々と答えた。

 結月は床に置いていた、握り飯の載った皿を持ちあげて見せる。時間がたったせいで、白米に海苔がしっとりと貼りついていた。

「じゃあ、一緒に食べる?」
「いや、君が食べなよ。失礼だけどその身なり……お手伝いとして呼ばれたんだろう?」

 結月が着ているお仕着せに視線をやり、悠が問う。同年代の子に立場の違いを指摘された気がして、結月は羞恥によりカッと頬を染めて頷いた。

 しかし悠から次に発せられた言葉は、身分に対する蔑みではなかった。

「じゃあ、そのご飯は君が頑張った対価として貰ったんだ。だから、今日を懸命に過ごした君のものだよ」
「……っ」

 思わず、息を呑む。曇天のように重たく暗い視界が、一気に晴れたような感覚がした。

(今、悠は……)

「頑張った、私の……?」
「ああ。偉いんだな、結月は」

 聞き間違いじゃない。高揚感から、小鳥のように結月の鼓動が速くなる。

 実家では、小間使いのように働くのは当然の義務で。無能な自分に課せられた恥でもあって。だから褒められたことなんて一度もなかったのに。

「……ありがとう……」

 生まれて初めて、誰かに褒めてもらえた。頑張りを認めてもらえた。それが、涙が止まらないくらい嬉しくて。結月は肩を震わせた。

 いきなり泣き出してしまった結月に、悠は狼狽える。

「どうした? どこか痛いのか?」

 白魚のような手が結月の背を優しく撫でてくれる。壊れ物を扱うみたいにそっと触れられるのも初めてのことで、結月は黒真珠の瞳に涙をより溢れさせた。

 結月が落ちつくまで待ってくれた悠に、おずおずと握り飯の載った皿を差しだす。

「……? だから、いいって」
「一緒に食べたい。ダメ?」

 この握り飯が頑張った証なら、それを認めてくれた悠と食べたい。

 洗われた御影石のような瞳で結月が問うと、悠は白皙の頬をほんのり染めて握り飯に手を伸ばした。もう一方を結月も手に取り、同じタイミングでかぶりつく。

 涙の味がして、少ししょっぱい。けれどこれまで食べてきた食事の中で、一番美味しく感じられた。

「俺、ここには無理やり連れてこられたからさ。宴会場とは別の部屋で豪勢な料理を用意されてたんだけど、食べる気すらしなくて、この部屋に逃げこんで」

 悠は整った唇で、とつとつと言葉を紡ぐ。

「でも、結月と食べるご飯は美味しい。ありがとう」
「私も……っ、悠と食べるご飯、美味しいよ」

 握り飯一つじゃ、空腹が満たされるはずもないのに。幸せで胸がいっぱいで、結月は赤くなった目元を綻ばせて笑う。その笑顔に見惚れた様子の悠はおもむろに呟いた。

「……結月、また会える?」
「え……?」
「結月にまた会いたい」
「あ、わ、私も……! 悠に会いたい……!」

 宝石よりも、天女よりも美しい男の子。雪のように儚くて、でも一振りの刀のようなしなやかさも持つ悠と出会い、結月は初めて恋を知った。

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