無能の乙女は麒麟の花嫁に望まれる
 四神を司る四家の集まりは、夏と冬に年二回催される。姉である美夜の加護が期待されているお陰か、悠と初めての邂逅を果たしてからというもの、結月は毎年、小間使いとして参加を許された。

 しかし自分を認めてくれる悠に出会ってから以前より明るくなった結月が気に入らないのだろう。美夜の嫌がらせは日に日にエスカレートしていく。

「やめて、やだ、美夜姉さん!」
「こんな弱い妖魔も祓えないくせに、ヘラヘラしていないでよ」

 妖魔を傀儡のごとく操る加護を持つ美夜は、ドロドロしたスライムのような妖魔を結月にけしかける。

「根暗で役立たずのアンタは俯いて、ずっと泣いていればいいの」

 結月は月の化身のように美しい悠と出会ったことを、誰にも話さなかった。けれど、自分を認めてくれる存在に出会ったことで以前より笑顔が増えたことを美夜は見逃がさず、ひたすら詰ってきた。

「出来損ないのアンタなんか、皆の鬱憤の捌け口にしかなれないんだから」

 妖魔にのしかかられて泣く結月の頬を、美夜は足蹴にする。たちまち頬骨に鈍痛が走ったが、胸の方が切り裂かれたような痛みを感じ、結月はより一層すすり泣いた。

 年を重ねるごとに、美夜の暴言も嫌がらせも激しさを増していく。それを見ない振りする父親と、同じように言葉で斬りつけてくる母親。

 それでも確かに、結月には希望があった。半年に一度、夏と冬の時期になれば、悠に会えるからだ。彼と過ごせる時期を思えば、どんなに辛いことも耐えられた。



「綺麗……! 私、蛍って初めて見た……!」

 夏のひと時、宴会場の給仕を終えた結月は、夜更けに悠と落ち合うのが習慣になっていた。

 今日は離宮の裏手に流れる小川で蛍が鑑賞できると悠に聞き、一緒に手を繋いでやってきたのだ。墨を塗ったような暗がりの中に浮かぶ蛍は幻想的で、まるで星屑が踊っているみたいだと結月は思った。

「楽しい?」
「うん、とっても!」
「はしゃぎすぎると川に落ちるよ」

 蛍の淡い輝きに夢中になり足元が疎かになった結月を、悠が繋いだ手に力を込めて引き寄せる。けれど結月が痛みに顔をしかめたので、悠は怪訝そうに尋ねた。

「結月……肩、怪我してるの?」
「あ……ちょっと」

 結月の身体は、服に隠れて見えない場所に痣がいくつもある。どれも躾と称して母親に扇子で叩かれたり、父に蔵に閉じ込められる際に掴まれたり、美夜につねられた痕だ。

 けれどそれを素直に言ってしまうと、悠に心配をかけてしまう。現に彼は美しい顔を歪め、イエローサファイアの瞳に激しく燃えあがる炎のような怒りを宿した。

「火乃守の誰かにやられたの? 誰がやったか言って。僕がそいつを懲らしめるよ」
「やめて……! いい、大丈夫だから」

 悠はいつも上等な着物を羽織っていたが、彼を宴会場で目にしたことはない。

 彼が木蓮家なのか、金宮家なのか、はたまた水瀬家の人間なのかは未だに教えてもらえていないが、宴会場にいないということは少なくとも本家の人間ではないのだろう。つまり彼の発言権は強くない。

 四家は基本、他の一族の問題については不可侵だ。だから悠が他家である結月のことに口を挟めば、火乃守家からいい顔をされないに違いない。悠が自分の家の者から叱責を受ける可能性だってある。

(私のせいで、悠が怒られるのは嫌……!)

「もしお父様の怒りを買って、夏と冬の集まりに連れてきてもらえなくなったら、やだよ。悠に会えなくなる」
「僕も、結月に会えなくなるのは嫌だけど……君がひどい扱いを受けるのも嫌だよ」

 年を重ねるにつれて、一人称が『俺』から『僕』に代わり、口調も柔らかく変化した悠は、結月の手を握る力を強める。その手にもう一方の手を重ね、結月は健気に微笑んでみせた。

「大丈夫。大したことないから、ね?」
「結月……」
「ねえ、明日はどんなことしよっか? 悠が教えてくれることはどれも素敵。楽しい」
「僕も、結月といる時間が楽しくて好きだよ」

 悠の声には、たっぷりとした熱が込められている。その甘い熱情に気付かない結月は、再び蛍に見入った。

 四家の宴はいつも一週間催される。その期間は人の目があるので、両親も美夜も結月を嬲ったりしない。この泡沫のように短い時間に悠と沢山の思い出を作るのが、結月にとって何よりも楽しみだった。彼はいつも初めての経験をくれるから。

 悠がどこからか用意してくれたスイカを川で冷やして食べたり、花火を見たり。冬は積もった雪に足跡をつけたり、南天の実をもいで雪うさぎを作ったり。

 その頃にはもう、結月は悠に向ける自分の想いがどんどん膨らんでいるのを自覚していた。

 だって彼は、一等優しいのだ。あかぎれだらけの手で雪に触れる結月に、悠は自分の手袋をはめてくれる。

 日々洗い物で冷水に晒している手はすでにボロボロなのだから、今さら大丈夫だと言っても、

「頑張り屋さんの結月の手は好きだけど、傷つくところは見たくないから」

 と囁かれ、挙句塗り薬まで用意されては、結月は悠の優しさに惹かれていく一方だ。

(好き。大好き)

「結月」
「なあに、悠……っわ?」

 結月の柔らかな黒髪に、悠によって華やかな赤い椿の花が差し込まれる。

「思った通り、結月の綺麗な髪には、赤い椿がよく映える」

 神様が特別贔屓したように美しい悠の瞳が、結月を捉えて柔らかな色を浮かべる。まるで大切だと口にされているようで気恥ずかしく想いながら、結月ははにかんだ。

 毎年、思い出を一つずつ重ねていくのが何よりも尊く嬉しい。その宝物のような記憶があれば、辛い日々だって我慢できたのだ。



 けれど、転機は突然訪れる。

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