無能の乙女は麒麟の花嫁に望まれる
 十六になった夏、結月はようやく初潮を迎えた。ろくな食事を与えられず栄養状態の悪い結月は、年齢の割に小柄で痩せているため生理が遅かった。

 そんな結月が初めてその時を迎えたのは、四家の集まりのタイミングで。

 いつも通り膳を下げた結月は、下腹部の違和感に耐えかね、炊事場を切り盛りしている年配の使用人の女性に勇気を出して告げる。事情を知った彼女に生理用品を手配してもらい、仕事を終えた結月はいつも通り悠と中庭の池で落ち合おうとした。

  しかしそこには、悠の他にも先客がいた。雲間から漏れる月明かりを頼りに結月が目を凝らすと、悠は木蓮家の当主と何やら揉めているようだった。

「夜な夜な出歩いて、何をなさっておいでですか。貴方には自覚が足りないようです」
「放っておけ」
「貴方はもうすぐ十八になるのですよ。お披露目の時も近いというのに……!」

 最近はすっかりと鳴りを潜めていた悠の乱暴な口調に、結月は瞠目する。

 木蓮家の当主が言うように十八の誕生日が近い悠は、道行く人がすべて振り返るような美青年へと成長していた。中性的で非の打ち所がない美貌はそのままに、着物の袖や襟から覗く肢体にはしっかりとした筋肉が見てとれる。

(……悠って、青龍を司る木蓮家の人だったのかな)

 そんなことを考えていると、意識が散漫になっていたせいか足元の小枝を踏んでしまう。その音に反応して悠と木蓮家の当主がバッとこちらに視線を寄越してきたので、結月はたじろいだ。

「あ、ご……ごめんなさい。お話の邪魔をするつもりはなかったんですけど……」
「君は……」

 木蓮家の当主は、淡い藤色の瞳を眇める。その瞬間に彼の目が光り、周囲の空気がざわついた気がして、結月は胸の前で手を組んだ。

(この空気……木蓮家の当主が、加護をお使いになられた……? 何故?)

 木蓮家の当主が持つ加護は何だったか。結月が記憶の糸を辿っていると、大股で近付いた中年の彼に肩を掴まれた。それを横目で見ていた悠が眉間にしわを寄せる。

「おい、時雨」

 木蓮家の当主の下の名を呼び捨てた悠に構わず、かの当主――時雨は怯える結月をしげしげと眺めて呟いた。

「君は素晴らしい加護を持っているな」
「え……? 私?」

 結月は動揺から目を見開く。

「他に誰がいる。今私が見ているのは君だ」
「わた、私、加護なんて持っていません。無能です。朱雀の火の力も使えないし――――」
「千里眼の加護を持つ私を欺けるとでも? 君には『受胎』の加護が宿っている。これは交わった相手の加護を、生まれてくる子にそっくりそのまま引き継がせることができるという稀有な能力だ」

「受胎……って……子供……?」

 結月は空恐ろしい気持ちで、自身の薄い腹を両手で押さえる。自分には加護がないのだと思ってきた。

 けれどそれが、これまで発現してなかっただけだとしたら?

(もしかして、私の能力が受胎だから、子供を産める身体になるまで、加護が何か分からなかった……?)

「……どうやら本当に知らなかったようだな」

 結月の反応を見てか、もしくは千里眼を使って察したのか、時雨は目を細めて囁いた。

「とにかく一大事だ。君の加護はこの国の未来を大きく左右する。すぐに帝や政府、四家の当主にも報告をしなくては」
「え、あの」
「時雨!」

 結月の肩を抱き、広間へと向かおうとする時雨に悠が声を荒らげる。しかしさすが木蓮家の当主というべきか、彼は落ちつき払った声で言った。

「貴方と彼女の関係性については後でお聞きします」
「誰に向かって口を利いている」
「悠様。貴方はまだ『あの座』についていない。……君、来なさい」

 時雨の言う『あの座』は何のことなのか。木蓮家の当主に食ってかかっても許される悠は何者なのか。

 疑問は山ほどあったが、今の結月は自分の置かれた状況に適応しようといっぱいいっぱいで、それどころではなかった。



 天地がひっくり返るとは、まさにこのことだ。

 結月が受胎の加護を持つと判明してからというもの、周囲からの扱いは百八十度変わった。

「よくやったぞ、結月」
「これで我が家も安泰ね」

 今まで虫けらを見るような目でこちらを睨んでいた父親も母親も、諸手を挙げて喜び、結月を深窓の姫君のように扱いだした。国の上層部からは結月の養育費として莫大な金額が与えられ、秋からは学校も四家の者が通う有名な私立校への転校が決まった。

 家には毎日、玄関が塞がるほどの貢ぎ物と釣書が届くようになった。どれも、結月との婚姻を望む四家の者からだ。

 より強い加護を持つ者との子を成し、一族を安定させたいというのが、四家の者の狙いなのだろう。

 唯一態度を変えなかったのは、美夜だった。

「そこで突っ立ってないでよ。邪魔!」

 美夜は廊下を歩く結月の背を突き飛ばし、転ばせようとする。けれどそれを目撃した母親が、初めて愛娘に対し怒声を浴びせた。

「貴重な胎に何をするの! 美夜、私たちが贅沢な暮らしができるのはこの子がお金になる加護を持っていたからなのよ!」
「美夜も結月を見習いなさい。今や結月には、お前宛てよりもずっと多くの釣書が届いているんだぞ」

 声が聞こえていたのか、曲がり角から現れた父親も、美夜を叱る。これまで一度も両親から怒られたことのない美夜は雷に撃たれたような顔をしていた。

 これまでと、立場が逆転する。けれど……。

(お母様、私のことを胎って呼んだ……)

 結月はこれまでと何も変わらない、薄い腹を見下ろす。自分に、利用価値ができた。でも、どうしてこんなにも。

(寂しいままなんだろう……)

 寂しい時はいつも、悠と過ごした思い出を振り返っていた。けれど、あの夏の日に加護が判明してからすぐに家に連れ帰られた結月は、あれ以来悠に会えていない。

(お正月には、会えるかな。もう使用人の扱いじゃなくなるかもしれないけど、宴会に呼んでもらえるのかな……。悠、会いたいよ)

 最後に見た彼は、木蓮家の当主に対して怒っているように見えた。きっと心配してくれている。雪のように儚く冷たい美貌なのに、春風のように優しく笑う悠のことを、結月は恋しく思った。



 けれど、事態はさらに大きく動いて。

「火乃守家の次期当主、緋路仁(ひろひと)様と、私の婚約が決まった……?」

「ええ、そうよ。緋路仁様の加護を受け継ぐ子を是非産んでほしいというのが、本家の願いであり決定なの。ああ、分家筋でも末端のうちの娘が、本家の嫡男に嫁ぐよう所望されるなんて……!」

 夢見る少女のような瞳で呟く母親の口の動きを、結月はぼんやりと眺める。展開の速さに頭も心もついていけない。まるで濁流に吞まれた流木のように、ただ存在しているだけ。

(緋路仁様は確か今年で二十四……私より八つ上の方だっけ)

「何ボケッとしているの、結月。本家の嫡男に嫁ぐことができるなんて、初めて人の役に立てるなんて、貴女も嬉しいでしょう?」

「……、はい。お母様」

(これは、喜ぶべきことなんだよね……?)

 無能と呼ばれ続けてきた自分が、人々の役に立てるのだから。

 ずっと、誰かの役に立ちたいと思って生きてきた。でも自分は加護を持っていないから、妖魔と戦う一族の人々の役に立てるよう、小間使いとしてでもいいから努力しようって。

(だけど役目が与えられたのだから、しっかり果たさなくちゃ)

 たとえ、そう、たとえ――――悠のことを想って、心が千切れそうでも。

(好きでもない方の子を成すことが、私の使命だというなら、それを果たさなきゃ。だって初めて人の役に立てるんだから。そう、初めて……)

 ふと、荒れている庭が目に入る。

 ここの管理は結月が任されていて、暑い日も寒い日も泥だらけになりながら雑草を抜き、石畳を磨き、手のマメが潰れても終わらない枝の剪定を行っていた。いつも家族が快適に過ごせるようにと。でも結月の加護が判明し扱いが変わった今は、その仕事は不要だと両親に止められた。

 そして現状誰も、池の水が汚れようが、落ち葉で道が埋もれようが、見向きもしていない。自分が懸命に行っていたことなど、両親にとってはどうでもよかったのだろう。

 子を成すという利用価値を知って初めて、自分自身に存在意味が与えられた。それまでの努力してきた自分は、無価値だったのだと改めて突きつけられた気分だ。

(悠だけ。悠だけが、私の努力を認めてくれた……)

「会いたいよ……悠」

 何も持たなかった頃の自分を、唯一認めてくれた彼の優しい手に触れたい。恋しいと、結月はひっそり涙を零した。

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