わたしの大切なおとうと

【第一章.命日まで】

 わたしはくるりと、空を舞った。頭が物凄い勢いで冴えて、今までの人生がコマ送りに再生される。……これって、走馬灯ってやつ? 世界も同じに、ゆっくりになる。

 歩く人は誰もいない。区画整理された巨大な分譲マンションが整然と建ち並ぶ、夜の街。ここは多摩ニュータウン。日本で一番大きなニュータウン。その南大沢。午後十一時四十二分。
 よく見ると、遠くで一棟、煙が出ているマンションがある。火事だろうか。まだオレンジの光を放つ炎が、窓から吹き上がって上の階をも巻き込んで焼いていく。野次馬たちを掻き分けて、消防士たちの怒号が響く。サイレンの音が津波のように押し寄せる。
 数秒前まで、そこをけらけらと大笑いしながら走っていた「わたし」は、赤信号すらもう認識できていなかった。制限速度を大きく超えた時速六十五キロで走っていた銀のクーペが、そんなわたしを跳ね飛ばした。跳ねあげられた身体がひしゃげる。愚かで馬鹿なわたしは、ゆっくりと宙を舞う。でも、どうして跳ねられたのか、どうして自分がここに居るのか。……わたしにはもう、わからない。
 あら、きれい。見て? お月様がミラーボールみたいだよ。わたしの頭の上でくるくる回ってる。くるくる。くるくる。わたしのひしゃげた身体も回る。くるくる。くるくる。
 ……あっ。ねえ。大切なおとうとが。かいちゃんのいのちが。わたしの中で消えていく。待って。行かないで。わたしをひとりにしないで。かいちゃん、かいちゃん。ねえ、かいちゃん……お姉ちゃん。お姉ちゃんね。あなたが、あなたが大好きだった。大好きだったの。ただ、それだけだったの。
 くるくる。くるくる。地面が近づく。終わりが近づく。わたしの、終わりが。かいちゃんの、終わりが。
 ……ああ、そうだ、そこのあなた。そう、あなた。あなたに、今日まで生きたわたしの足あと。教えてあげる。要らない子だと言われた、女の子の一生を。わたしみたいに間違えないように。わたしみたいに大切なひとを亡くさないように。
 お願い。どうか、どうか。……どうか、聞いてくださいますか? わたしのこれまでの、一生を。どうか。

 ……ぐしゃっ。

 鈍い音を立てて、私は三十メートル先にあるアスファルトに大きくなったお腹から落ちて、そのいのちを潰した。
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