わたしの大切なおとうと
 平成二十二年六月二十七日。日曜日。午前十時三十二分。わたし、三歳。かいちゃん、二歳。
 お母さんに連れられて、所沢のおじいちゃん家に来た。駅から離れてるから、お母さんの運転するマイカーに乗って。梅雨の切れ間。灰色の空の下、畑も兼ねた庭のおじいちゃんのくるまの横に付けた。

「おじいちゃーん!」

 わたしはおじいちゃんに飛びついた。

「おお、おお、大きくなったなあ、なぎさちゃん! かいりちゃんも大きくなって!」

 わたし、二ヶ月前に会ったけど? おじいちゃんの「大きくなって」は、いつもの決まり文句だ。六十五を過ぎても、がっしりと大きくて、かっこよくて、わたしはお母さんの次のかいちゃんの次に好きだ。

「ただいま、父さん」

 お母さんは短く挨拶する。おじいちゃんはなぜかそんな素っ気ない娘に、ハグして、ほっぺにちゅうをした。

「やめてよ……こどもみてるから」
「やっと来たか。二ヶ月も待ったんだぞ」

 お母さんとおじいちゃんは仲がいい。よくちゅうしてるのを見るし、お手手もつないでたりしてる。わたしは、なかよしなのはいいこと、幼稚園でせんせいがそう教えてくれた。だから、それをみて、まねしてかいちゃんにちゅうをした。

「やめなさいっ!」

 あれ。お母さんがわたしをかいちゃんから引き離した。

「きょうだいで、そんなこと!」

 おこられた。どうして?

 ……あ。なるほど。「やきもち」ってやつねえ。お母さん、可愛いなあ。

「ほら、メロンきったわよー」

 おばあちゃんが、リビングから顔を出した。

「はーい!」

 やった、メロンだ! わたしは、黄緑色の宝石に釘付けになって、おとうとといっしょに駆け出した。

「わたし、くるまで休んでるわ」

 そういえば、お母さんは、おじいちゃん家に来ると、いつもくるまで休んでる。……つまんなくないのかな。

「おう、風呂、入るわ」

 おじいちゃんがわたしたちの後ろでおばあちゃんに声をかけた。

 ……

「おいしい?」
「ん! おいひー!」

 わたしとおとうとはみずみずしい果肉を思いっきり頬張って、おばあちゃんに答えた。
 あら、かいちゃんったら。お洋服がべたべたじゃない。せっかくの黄色い機関車のシャツにたくさん染みを付けている。お手手もどろどろ。

「て、あらおっか!」

 わたしはまだもぐもぐとメロンを頬張るおとうとの手を引いて、洗面所に向かった。

 ……

「ほら、おててだして? おねえちゃんがあらってあげる!」

 かいちゃんの手を泡のハンドソープで洗ってあげた。よしよし。きれいきれいになった。
 となりのお風呂場にはおじいちゃんが湯船に入っているのか、ちゃぷちゃぷと水の跳ねる音がする。

「メロンまだたべるー」

 おとうとが駆け出した。わたしも後に続こうとした、その時。耳が、違和感を聞き取った。

「……」

 あれ。この声……お母さん? なんで? くるまじゃないの?
 ……なんで、泣いてるの?

 わたしは。

 ゆっくりと、お風呂場の引き戸を開けた。
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