わたしの大切なおとうと
映画館のロビー。キャラメルポップコーンのいい匂いで満たされている。これからエンターテインメントを見るのだというこころのわくわくを、否が応でもかき立ててくれる。
その、トイレ。女子トイレの個室。
「はああ……!」
わたしは、あまりの嬉しさに息を飲む。おしっこをかけたその小さなスティックに表示される「-」の表示。昨日降りてきたわたしの小さな希望と夢が、ほんものだったと教えてくれる、神さまの啓示。
かいちゃんが、帰ってきてくれるんだ!
「どした? なんか嬉しそうにして」
「ううん、なんでも」
トイレから出たわたしに、森田りく君が不思議そうにした。
……
令和六年。六月六日。木曜日。午後五時十二分。わたし、十六歳。もうすぐかいちゃんが帰ってくる。
彼と、学校の帰り、橋本の、京王線の窓からも見える大きな映画館でデートした。上映前に、プリクラを撮ってみた。わたしは期待を込めて、「ずっといっしょ」って書いてみた。もちろん、ふたりのいっしょじゃない。さんにんのいっしょなのだ。
けれど、わたしの彼には、わたしがプリクラに込めた大切な期待も、素敵なラブロマンスな映画の内容も、関係なかった。暗いのをいいことに、スカートの中に手を入れたりキスしたり、やりたい放題だった。正直、だいぶしんどい。いろいろ。
……わたしの今の目的は、ただひとつだ。森田りく君に、かいちゃんのお父さんになってもらうこと。ただそれだけ。
大事なお話だ。誰にも聞かれたくなかった。
帰りの橋本駅。午後十時五十二分。京王線のホームの新宿方の端に、連れてきた。
「あのね。大事なお話があるの。聞いて欲しいな」
「え、なになに? ホテル行く? 丁度さ、サッカー部の松村が、なぎとまたしたいって言ってるから。よんじゃう?」
はあ。この子はほんとに呆れるなあ。
大切なお話なのに。
ううん、大切なお話だから。わたしは諦めない。
「お腹にね、わたしのお腹に……おとうとがいるの。つきましては森田りく君。きみに、わたしのおとうとのお父さんになってほしいんだ」
「は?」
夜十一時の京王線のホームの端。わたしは陽性の反応が出たピンクの色が可愛い妊娠検査薬を見せながら詰め寄った。
「かいちゃんをね、死んじゃったおとうとを、もう一度産むの。産み直すの。わたしが。……だから森田りく君。お父さんになって?」
でも、彼は首を振ってとぼけるばかり。
「お、お父さんってなんだよ、俺、高一だよ、なれる訳ないじゃん」
わたしは、それでも諦めなかった。あんな最低な父親じゃ、だめ。きみが要るんだよ、森田りく君。
「ね? いいよね」
「いいって……できるわけねえじゃん!」
けれど、わたしの視線から逃れようとした森田りく君は、後ずさった。
「ね?」
「ね、じゃねえよ、知らねえよ、堕ろせよ!」
「……ね?」
そんなにわたしが、かいちゃんがいや?
ねえ、森田りく君。
きみ……本当に、救いようがないね。
だってほら。
もうそこにはホームはないっていうのに。
ぷぁーん。高速で進入してきた京王線の車両が、彼を轢き殺した。
その、トイレ。女子トイレの個室。
「はああ……!」
わたしは、あまりの嬉しさに息を飲む。おしっこをかけたその小さなスティックに表示される「-」の表示。昨日降りてきたわたしの小さな希望と夢が、ほんものだったと教えてくれる、神さまの啓示。
かいちゃんが、帰ってきてくれるんだ!
「どした? なんか嬉しそうにして」
「ううん、なんでも」
トイレから出たわたしに、森田りく君が不思議そうにした。
……
令和六年。六月六日。木曜日。午後五時十二分。わたし、十六歳。もうすぐかいちゃんが帰ってくる。
彼と、学校の帰り、橋本の、京王線の窓からも見える大きな映画館でデートした。上映前に、プリクラを撮ってみた。わたしは期待を込めて、「ずっといっしょ」って書いてみた。もちろん、ふたりのいっしょじゃない。さんにんのいっしょなのだ。
けれど、わたしの彼には、わたしがプリクラに込めた大切な期待も、素敵なラブロマンスな映画の内容も、関係なかった。暗いのをいいことに、スカートの中に手を入れたりキスしたり、やりたい放題だった。正直、だいぶしんどい。いろいろ。
……わたしの今の目的は、ただひとつだ。森田りく君に、かいちゃんのお父さんになってもらうこと。ただそれだけ。
大事なお話だ。誰にも聞かれたくなかった。
帰りの橋本駅。午後十時五十二分。京王線のホームの新宿方の端に、連れてきた。
「あのね。大事なお話があるの。聞いて欲しいな」
「え、なになに? ホテル行く? 丁度さ、サッカー部の松村が、なぎとまたしたいって言ってるから。よんじゃう?」
はあ。この子はほんとに呆れるなあ。
大切なお話なのに。
ううん、大切なお話だから。わたしは諦めない。
「お腹にね、わたしのお腹に……おとうとがいるの。つきましては森田りく君。きみに、わたしのおとうとのお父さんになってほしいんだ」
「は?」
夜十一時の京王線のホームの端。わたしは陽性の反応が出たピンクの色が可愛い妊娠検査薬を見せながら詰め寄った。
「かいちゃんをね、死んじゃったおとうとを、もう一度産むの。産み直すの。わたしが。……だから森田りく君。お父さんになって?」
でも、彼は首を振ってとぼけるばかり。
「お、お父さんってなんだよ、俺、高一だよ、なれる訳ないじゃん」
わたしは、それでも諦めなかった。あんな最低な父親じゃ、だめ。きみが要るんだよ、森田りく君。
「ね? いいよね」
「いいって……できるわけねえじゃん!」
けれど、わたしの視線から逃れようとした森田りく君は、後ずさった。
「ね?」
「ね、じゃねえよ、知らねえよ、堕ろせよ!」
「……ね?」
そんなにわたしが、かいちゃんがいや?
ねえ、森田りく君。
きみ……本当に、救いようがないね。
だってほら。
もうそこにはホームはないっていうのに。
ぷぁーん。高速で進入してきた京王線の車両が、彼を轢き殺した。