わたしの大切なおとうと
 今令和何年? 何月何日? 何曜日? 今何時? わたし何歳だっけ?
 真っ白。真っ白な部屋。天井から床まで、全部真っ白。カウンセラーの先生の白衣も真っ白。
 全てが明るいこの部屋で、わたしは薄ぼんやりと下を見てぼーっとしている。

「なにが、見えますか」

 赤い縁のメガネが良く似合う、カウンセラーの先生が、いつものように聞く。

「真っ赤な血」

 かたかたかたかた。
 先生のブラインドタッチの音。
 わたし、真っ暗。目の前も。希望も。何もかも。
 何もかもをも失って。

「誰のって? わたしの。……ううん、かいちゃんの。破水して、わたしのお腹から流れ出した……かいちゃんの、いのちそのもの」

 かたかたかたかた。
 今日はキーボードの音が妙に耳につく。

「それ以外? ……なにも。なにも見えない。真っ暗。真っ暗だわ」
「よく周りを見てみてください。本当に、真っ暗ですか」
「……お月様。夜のお空にたくさん並んで……」
「お月様……たくさんですか?」
「たくさん……ううん、違った。あれは……街灯? 街灯だわ」

 かたかたかたかた。

「たくさん並んで……光の道みたいになってる。あ、赤い光も見える。人の形の……信号だわ。赤信号」
「何か聞こえますか」
「……救急車のサイレン。だんだん近づいてくる。あと……」

 かたかたかたかた。

「何でしょう」
「心臓の音と……何かが流れ出る音」
「何が……流れ出ているんでしょう」
「血……ううん、かいちゃん。わたしの、わたしのかいちゃんのいのちが、消えていく音……」

 かたかたかたかた。たんっ。
 カウンセラーさんは、キーボードから手を離した。
 そして、哀れみを含んだような目で、わたしを見た。
 
「どんな、気分ですか」
「それ、聞いてどうすんの?」

 ハッ。わたしは短く強く息を吐いた。唾を吐くみたいに。

「かいちゃんが居なくなった後のことなんて、考えたことないんだから。……もう、なんにも、残ってない。私がこの世にいる意味も、今日を生きる気力も。なにも。なにもない」

 でも、カウンセラーの先生は、こちらを見て、柔らかく微笑んだ。

「でも、今。荒浜さんはここにいてくださいますよね……?」

 虚をつかれたわたしは、いっしゅん、思考が止まった。
 何秒かしたあと、口を開いた。

「……そうね。あの日。あの時。見つけたの。わたしの最後の希望」

 思い出す。小さな背中。柔らかい声。ピンクのレジンのボール。
 溢れた涙が……頬を伝った。

「……小さな。ほんとうに小さな、希望だった」
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