わたしの大切なおとうと
「お風呂入るよー、かいとおいでー」
「ほら、かいちゃん。お母さんが呼んでるよー?」
「やだー。おねえちゃんとあそぶー」
「あら、嬉しい。お姉ちゃんもだよ。お風呂から出たらいっぱい遊ぼうね」
わたしは可愛い可愛いおとうとにちゅうをした。
そしたら。
ぐい。
「ほらっ、いつまでそうしてんのっ。早く来なさいったら。……ああ、なぎさちゃん? お風呂から出たらすぐ寝るからね、遊べないからね」
あからさまにこの所、風当たりが強い。
どうしてかな。なんでかな。
うちの子になってって。そう言ったじゃん。
かいとのお姉ちゃんになってって。そう言ったじゃん。
……ちゅっちゅ。
わかってるよ、もう、要らなくなったんでしょ。
……ちゅっちゅ。
かいちゃんからわたしを、引き離そうとしてるんでしょ。
……ちゅっちゅ。
そうは、いかないよ。放すもんか。かいちゃんは。かいちゃんは。
わたしのだ。
……ちゅっちゅ。この歳になってもわたしは指しゃぶりが治らない。
……
令和七年。一月二十日。月曜日。午後九時十四分。わたし、十七歳。
平日の月曜日は、こうせいさんは仕事の都合で家に帰らない。
実行に移すには、今晩しかない。いつもかいちゃんの寝かしつけは九時。かおりさんも寝落ちするか、起きてくるかは大体半々だ。そして、彼女はいつも、寝る前にコーヒーを飲む。
でも、わたしは知っている。この前入眠剤を薬棚に見かけた。「就寝前、二錠」。記載を無視して六錠ぷちぷちとシートから外した。
お風呂から聞こえるかいちゃんの声。天使みたいに笑ってる。……渡さない。渡さないよ、かおりさん。
わたしはその六錠を湯気がたっているコーヒーに入れた。
ぽちゃん。
すかさずティースプーンでかき混ぜる。
……もう、後戻りは、できない。
コーヒーの香りは、とても苦かった。
……
九時三十分。
……案の定、かおりさんは起きてこない。
わたしは、学生服に着替えて、学生カバン──わたしのこの世に残された、たったひとつの荷物──に刃渡り十二センチくらいの片刃の果物ナイフを台所から盗って、こっそり仕舞った。
「かいちゃん、かいちゃん。起きて。起きて」
寝室の小さなおとこの子をゆする。
「……んー。なあに、おねえちゃん……」
「おねえちゃんとお出かけしよう」
「……うん……」
むにゃむにゃしてるかいちゃんをピンクのくまのワンピースに着替えさせた。昔からそう。ワンビースは着替えさせ易くていい。
保育園のリュックも背負わせた。かいちゃんがお腹減ったら可哀想。戸棚のポテトチップスをリュックに入れてあげてある。
「ほら、おいで?」
「……どこいくの……?」
「お姉ちゃんと、ふたりだけのお家に行こう」
「ママは……? ねえ」
わたしは構わず小さな手を引いた。
かいちゃんはわかってくれる。
かいちゃんは辛抱強い子だ。
お母さんと離れ離れになるのは辛いかもしれないけれど、これがいちばんなんだ。
「ママはこないよ」
わたしはかいちゃんを立たせて、その前でしゃがんだ。
「いい? これからは二人で暮らすの。それがいちばんしあわせなんだよ?」
「ママがいい」
「かいちゃん、聞いて? いい子ね。かいちゃんはお姉ちゃんといる方が幸せなんだよ」
「ママがいいよー」
困ったな。かいちゃんに中々伝わらない。
泣き出しそうだ。
あまり声を他の人に聞かれたくない。
……その時。
「どこいくのよっ」
寝ていたはずのかおりさんに羽交い締めにされて、わたしはかいちゃんのお布団に倒れた。
「ほら、かいちゃん。お母さんが呼んでるよー?」
「やだー。おねえちゃんとあそぶー」
「あら、嬉しい。お姉ちゃんもだよ。お風呂から出たらいっぱい遊ぼうね」
わたしは可愛い可愛いおとうとにちゅうをした。
そしたら。
ぐい。
「ほらっ、いつまでそうしてんのっ。早く来なさいったら。……ああ、なぎさちゃん? お風呂から出たらすぐ寝るからね、遊べないからね」
あからさまにこの所、風当たりが強い。
どうしてかな。なんでかな。
うちの子になってって。そう言ったじゃん。
かいとのお姉ちゃんになってって。そう言ったじゃん。
……ちゅっちゅ。
わかってるよ、もう、要らなくなったんでしょ。
……ちゅっちゅ。
かいちゃんからわたしを、引き離そうとしてるんでしょ。
……ちゅっちゅ。
そうは、いかないよ。放すもんか。かいちゃんは。かいちゃんは。
わたしのだ。
……ちゅっちゅ。この歳になってもわたしは指しゃぶりが治らない。
……
令和七年。一月二十日。月曜日。午後九時十四分。わたし、十七歳。
平日の月曜日は、こうせいさんは仕事の都合で家に帰らない。
実行に移すには、今晩しかない。いつもかいちゃんの寝かしつけは九時。かおりさんも寝落ちするか、起きてくるかは大体半々だ。そして、彼女はいつも、寝る前にコーヒーを飲む。
でも、わたしは知っている。この前入眠剤を薬棚に見かけた。「就寝前、二錠」。記載を無視して六錠ぷちぷちとシートから外した。
お風呂から聞こえるかいちゃんの声。天使みたいに笑ってる。……渡さない。渡さないよ、かおりさん。
わたしはその六錠を湯気がたっているコーヒーに入れた。
ぽちゃん。
すかさずティースプーンでかき混ぜる。
……もう、後戻りは、できない。
コーヒーの香りは、とても苦かった。
……
九時三十分。
……案の定、かおりさんは起きてこない。
わたしは、学生服に着替えて、学生カバン──わたしのこの世に残された、たったひとつの荷物──に刃渡り十二センチくらいの片刃の果物ナイフを台所から盗って、こっそり仕舞った。
「かいちゃん、かいちゃん。起きて。起きて」
寝室の小さなおとこの子をゆする。
「……んー。なあに、おねえちゃん……」
「おねえちゃんとお出かけしよう」
「……うん……」
むにゃむにゃしてるかいちゃんをピンクのくまのワンピースに着替えさせた。昔からそう。ワンビースは着替えさせ易くていい。
保育園のリュックも背負わせた。かいちゃんがお腹減ったら可哀想。戸棚のポテトチップスをリュックに入れてあげてある。
「ほら、おいで?」
「……どこいくの……?」
「お姉ちゃんと、ふたりだけのお家に行こう」
「ママは……? ねえ」
わたしは構わず小さな手を引いた。
かいちゃんはわかってくれる。
かいちゃんは辛抱強い子だ。
お母さんと離れ離れになるのは辛いかもしれないけれど、これがいちばんなんだ。
「ママはこないよ」
わたしはかいちゃんを立たせて、その前でしゃがんだ。
「いい? これからは二人で暮らすの。それがいちばんしあわせなんだよ?」
「ママがいい」
「かいちゃん、聞いて? いい子ね。かいちゃんはお姉ちゃんといる方が幸せなんだよ」
「ママがいいよー」
困ったな。かいちゃんに中々伝わらない。
泣き出しそうだ。
あまり声を他の人に聞かれたくない。
……その時。
「どこいくのよっ」
寝ていたはずのかおりさんに羽交い締めにされて、わたしはかいちゃんのお布団に倒れた。