わたしの大切なおとうと
 一月二十日。月曜日。午後九時三十一分。わたし、十七歳。

「えーん。うえーん」

 かいちゃんが、泣いている。とうに寝てなきゃいけない、その時間に。けれど、二歳になったばかりの男の子には、どうしていいかわからない。

「この不良女! 何飲ませたのよ!」
「離して、はなしてっ」

 意識が朦朧としているかおりさんは、足元がおぼつかないのか、すがり付くような形でわたしを羽交い締めにしてきた。

「ずっとずっとあやしいと……思ってたのよねっ!……とうとう、本性みせたわね!」

 嘘つき。うちの子におなりって言ってたのに。
 入眠剤をたくさん飲んだはずのかおりさん。わたしは五センチくらいしか身長は変わらない。けれど、力の強さは段違いだった。

「あたしのかいとを返しなさいよっ」
 
 ふたりはかいちゃんのお布団の上でどたばたと暴れた。かいちゃんのお母さんは、動かない体で懸命に、わたしの首を左の二の腕で締め上げた。

「ぐっ……か……」
「このままおとなしくしてなさいよっ、警察呼んであげるからっ」

 嘘つき。このままじゃまなわたしを締めて殺す気でしょ。
 わたしは、必死で抵抗した。そして意図しない形で、左の肘が、かおりさんのみぞおちに入った。

「げえっ、ごほっごほっ」
「かいちゃん、かいちゃん!」

 わたしは四つ這いでかいちゃんの所まで行って、この家から連れ出そうとした。けど、そこでまたかおりさんに捕まった。仰向けに押し倒されて、今度は首を絞めてきた。

「この誘拐犯! 殺してやる! 殺してやるからっ!」
「ぐぅっ……げっ……」

 あら奇遇。わたしも同じ気持ちだよ。
 学生カバンは開いている。右の手をあと少し伸ばせば果物ナイフに手が届く。ばん、ばん、フローリングを叩いた。

「あんたなんか死んじゃえっ! このクソガキがぁあっ!」
「うぁあああ──!」

 かおりさんがそう叫んだのと、わたしが果物ナイフを掴んで振るったのは、ほとんど同時だった。

 ……

「あ……が……!」

 頸動脈を切られたかおりさんは天井まで血を吹いて倒れた。床には赤黒い血溜まりが、みるみる広がる。

「はあっ、はあっ」

 わたしは上にのって倒れ込む彼女を何とかどけて、かいちゃんの元に駆け寄った。
 泣いて泣いて、引きつけを起こしかけているその肩を抱いた。

「かいちゃん、かいちゃん!」
「あーん、あーん! あぁーん!」

 目の前でお母さんを殺してしまった。
 でも、しかたない。かいちゃんはわたしのそばて守ってあげないとだめなの。
 これは仕方の無いことなの。それを教えてあげないと。

「これはしかたないことなの、わかる? しかたないことなんだよ、かいちゃん」

 そう言って、血まみれのわたしは抱きしめてあげた。
 だいじょうぶ。おねえちゃんがついてるよ。だから……ね。これからもずっとずっと……

「なにしてる?」

 振り返ると、こうせいさんが、玄関に立っていた。
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