わたしの大切なおとうと

【第八章.お姉ちゃんの生き方】

 しゃわしゃわセミが鳴いている。だからたぶん夏なんだろうと思う。ちゃぽん。コイも元気に跳ねている。すいすい。カモも気持ち良さそうに泳いでる。
 でも……わたしはわからない。今令和何年? 何月何日? 何曜日? 今何時? わたし何歳だっけ?
 真夏の日差しがさんさんと差す、小山内裏公園(おやまだいりこうえん)の池のほとり。ベンチに座る、わたしと白鷺みそらさん。

「思い出しましたか、先輩。私の最後の質問。今日は何月何日ですか」

「令和五年六月八日」

 わたしは、小さくそう答えた。

「……そう。『かいりの心が壊れた日』。先輩の時間は、ずっとそこで止まってるんですね」

 白鷺みそらさんが、赤い縁が良く似合うメガネをくいとあげる。涙ぐんでいる……ようにも見える。

「白鷺みそらさん……あなたはわたしに、ずっと、ずっと呼び掛けてたんだね」

 彼女は、背筋を伸ばして、わたしを見た。

「私は先輩そのもの。白鷺みそらなんて人間ははじめからいない。あなたが自分自身と向き合おうとする心が、存在しない私を産んだ。ある時は後輩の女子。ある時は救命病棟の女医。ある時は精神科のカウンセラーとして。そしてある時は、蒼井かいりそのものとして」

 わたしは、自分で自分の手を見た。

「かいちゃん……わたし、またかいちゃんに会いたい」
「それは無理ですね。もう先輩の命は、内臓破裂であと数秒後には尽きます。覚えてますか。自分でくるまを暴走させて、枝がお腹にささって。……覚えてますか」

 よく見ると、その手は真っ赤だ。
 この血は……わたしのお腹から出た血だろうか。それとも、かおりさんの首から溢れた返り血だろうか。
 それとも。わたしのおとうとのものだろうか。

「……それも覚えてないんですね。先輩は自分で手放したんですよ。何度も。自分の大切なおとうとも、家族も、全部」
「どうしていつもそうなっちゃうの? わたし、ただ、おとうとを守りたいだけだったのに。かいちゃんはわたしが守らなきゃいけないの。そうでないと、そうでないと」

 そう言うと、わたしは言葉に詰まった。そうでないと?
 ……なんで? なんでだっけ。

「……はあ。本当に救いようがないひとですね。まあ、ここでの時間はまだ残ってます。現実では数秒の命だけど、まだここでならしばらく居られますよ。考えるといいですよ。時間をかけて。何度でも。……どうして先輩が、そこまでしてかいりを守ろうとするのか。……思い出せるといいですね?」

 いつかみたいに、白鷺みそらさんは、にっこりと笑った。
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