【11月5日書籍発売】さようなら、私の白すぎた結婚~契約結婚のキレイな終わらせ方~
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「ふんふ~ん、ふふ~ん」
エルシャは鼻歌を歌いながら廊下を歩いていた。
昨夜、夫が熱を出したため大変上機嫌だった。体を拭いて薬を飲ませて子守歌を歌って寝かせて、それから早朝にまた夫はうなされて起きたので着替えさせて擦ったリンゴを食べさせて。
久しぶりに空が夜から朝に変わる瞬間を見た。清々しい気分である。
弟妹たちが同時多発的に体調を崩した時によくやってたわよね、徹夜で看病。おかげで看病セットは一瞬で準備できる。
六歳下のルークなんか特に大変だった。
しんどくてグズグズしていて「お薬苦いから飲まない!」ってよくぺーンされたもの。薬を飲まずにしんどくて眠れなくて、エンドレス子守歌だとかエンドレス面白いお話だとかねだられた。
夫がそんな遅れてきた反抗期のような態度ではなくて良かった。
お薬は苦手らしく睨んでいたが、そんなの可愛いものだ。最初は体を拭かれるのも抵抗していたのに、さっきなどはもう信頼して完全に体を預けてくれたのだ。やっぱり体に力が入っているとこっちもやりにくいもの。
正直、今の夫の方がずっといい。
いつもクールで隙がなく冷たい完璧を気取った夫よりも、怪我をして熱を出している夫の方が可愛いのだ。人間らしいもの。
夫はエルシャに関する記憶がないはずだが、正直この二年の記憶があったとしてもほぼ接していないのだからあまり関係ないのではないかなんて開き直り始めている。
怪我をしてからこの数日間の方が、この二年間よりも夫と過ごしているのではないだろうか。肉を切れずに困っている夫や水を差し出されて困惑している夫の顔といったら本当に可愛い。人に慣れていない野生のオオカミみたいだ。
それをお世話するのもとっても楽しい。公爵家に来て、今が一番楽しいかもしれない。存在意義を見つけた気がする。
「奥様、お疲れ様でございます。まさか徹夜で看病されていらっしゃったとは。旦那様の様子は私が見ているのでお休みください」
家令のリチャードがどこからかさっと現れて、エルシャの手にある盥をささっと受け取った。鼻歌、うるさかったかしら。
「大丈夫ですよ、旦那様の代わりに私にできる仕事を片付けます」
「いえ、奥様はほとんど寝ておられませんでしょう」
「大丈夫です! 弟たちで慣れてますし、私は長女なので平気です!」
拳を握ると、リチャードに複雑そうな顔をされてしまったが「ご無理は決してなさらないでください」と念を押された。
昨日に引き続き手紙の山を片付け、夫の書類の整理を分かる範囲で行う。
合間に夫の様子を見に行って、果物を食べさせたり、医者の診察を受けさせたり、仕事に行かないようにベッドに引き戻して説得したりした。
昨夜の夫はかなりうなされていた。これまではそんなこと微塵も感じさせなかったが、夫も重圧を感じているのだなとエルシャは思った。
たまに「父さん」と夫は苦し気に口にしていたので、夫が幼い頃亡くなった先代公爵の夢でも見ていたのだろう。
今の夫は薬が効いてすやすや眠っている。夫の寝顔は意外とあどけなくて、三歳は下に見えてしまう。
つい弟たちにやっていた癖で、頬にぷにっと指を沈めてみたが夫は起きない。
エルシャは公爵家に嫁いでから慣れずに一度だけ高熱を出した。おそらく知恵熱の類だろう。
あれほど高熱が出たのは人生初だった。それまでは健康を体現していたのに。それでも、夫は普段通りに仕事をこなして深夜に帰ってきたのだった。
あの時は「人としてどうなの? 私のお父さんでも心配して早く切り上げて帰って来るのに」と思っていたが、夫は熱が高いのに仕事をしようとした。こういう人なんだろうなと今日で分かった。夫は、熱でも体調不良でも公爵家のために働く人なのだ。それならばお飾りの契約妻の高熱で早く帰ってくるわけがない。
「エルシャちゃん。ちょっといいかしら」
指に包帯を巻いている義母に呼ばれ、仕事を中断してお茶にする。
「お義母さま、申し訳ありません。まだ養子のリストをすべて作り終わっていなくて」
義母が神妙な顔だったから、てっきりその話かと思っていたら。
「あぁ違うのよ、ちょっと領地に二人で行ってみてくれない?」
「何か問題でも起きたのですか?」
「リヒターがあんなでしょう? 見舞いと称して、自分の娘を次の妻にとか愛人にって言ってくる貴族たちがいるのよ」
エルシャは目を瞬かせた。
「私は愛人でも第二夫人でも何でも大丈夫ですよ?」
いい嫁もやめたので、どんとこいである。ただ、離婚されてうちへの援助が今打ち切られるのは厳しい……そこだけは気になる。
「そういう礼儀のなっていない家と縁づくと大変なの。それにリヒターも怪我をして記憶もないのにこの状況では、あの子のことだからなかなか休めないわ。だから療養よ。遅めの新婚旅行だとでも思って、あの子が無理に仕事をしないようにお世話にしてくれない?」
ふむ、お世話と言われたらエルシャは弱い。しかも、義母は紅茶のカップを手にしようとして指が当たって痛そうにしながら哀れにお願いしてくるのだ。
しかし、不在の間の仕事はどうするのだろうか。全部義母が? 義母は夫が爵位を継ぐまで公爵代理だったから可能だろうが……。
「もちろん、大変だろうからエルシャちゃんのご実家への援助額を気持ちアップさせるわ」
「領地に行きます!」
エルシャは鼻歌を歌いながら廊下を歩いていた。
昨夜、夫が熱を出したため大変上機嫌だった。体を拭いて薬を飲ませて子守歌を歌って寝かせて、それから早朝にまた夫はうなされて起きたので着替えさせて擦ったリンゴを食べさせて。
久しぶりに空が夜から朝に変わる瞬間を見た。清々しい気分である。
弟妹たちが同時多発的に体調を崩した時によくやってたわよね、徹夜で看病。おかげで看病セットは一瞬で準備できる。
六歳下のルークなんか特に大変だった。
しんどくてグズグズしていて「お薬苦いから飲まない!」ってよくぺーンされたもの。薬を飲まずにしんどくて眠れなくて、エンドレス子守歌だとかエンドレス面白いお話だとかねだられた。
夫がそんな遅れてきた反抗期のような態度ではなくて良かった。
お薬は苦手らしく睨んでいたが、そんなの可愛いものだ。最初は体を拭かれるのも抵抗していたのに、さっきなどはもう信頼して完全に体を預けてくれたのだ。やっぱり体に力が入っているとこっちもやりにくいもの。
正直、今の夫の方がずっといい。
いつもクールで隙がなく冷たい完璧を気取った夫よりも、怪我をして熱を出している夫の方が可愛いのだ。人間らしいもの。
夫はエルシャに関する記憶がないはずだが、正直この二年の記憶があったとしてもほぼ接していないのだからあまり関係ないのではないかなんて開き直り始めている。
怪我をしてからこの数日間の方が、この二年間よりも夫と過ごしているのではないだろうか。肉を切れずに困っている夫や水を差し出されて困惑している夫の顔といったら本当に可愛い。人に慣れていない野生のオオカミみたいだ。
それをお世話するのもとっても楽しい。公爵家に来て、今が一番楽しいかもしれない。存在意義を見つけた気がする。
「奥様、お疲れ様でございます。まさか徹夜で看病されていらっしゃったとは。旦那様の様子は私が見ているのでお休みください」
家令のリチャードがどこからかさっと現れて、エルシャの手にある盥をささっと受け取った。鼻歌、うるさかったかしら。
「大丈夫ですよ、旦那様の代わりに私にできる仕事を片付けます」
「いえ、奥様はほとんど寝ておられませんでしょう」
「大丈夫です! 弟たちで慣れてますし、私は長女なので平気です!」
拳を握ると、リチャードに複雑そうな顔をされてしまったが「ご無理は決してなさらないでください」と念を押された。
昨日に引き続き手紙の山を片付け、夫の書類の整理を分かる範囲で行う。
合間に夫の様子を見に行って、果物を食べさせたり、医者の診察を受けさせたり、仕事に行かないようにベッドに引き戻して説得したりした。
昨夜の夫はかなりうなされていた。これまではそんなこと微塵も感じさせなかったが、夫も重圧を感じているのだなとエルシャは思った。
たまに「父さん」と夫は苦し気に口にしていたので、夫が幼い頃亡くなった先代公爵の夢でも見ていたのだろう。
今の夫は薬が効いてすやすや眠っている。夫の寝顔は意外とあどけなくて、三歳は下に見えてしまう。
つい弟たちにやっていた癖で、頬にぷにっと指を沈めてみたが夫は起きない。
エルシャは公爵家に嫁いでから慣れずに一度だけ高熱を出した。おそらく知恵熱の類だろう。
あれほど高熱が出たのは人生初だった。それまでは健康を体現していたのに。それでも、夫は普段通りに仕事をこなして深夜に帰ってきたのだった。
あの時は「人としてどうなの? 私のお父さんでも心配して早く切り上げて帰って来るのに」と思っていたが、夫は熱が高いのに仕事をしようとした。こういう人なんだろうなと今日で分かった。夫は、熱でも体調不良でも公爵家のために働く人なのだ。それならばお飾りの契約妻の高熱で早く帰ってくるわけがない。
「エルシャちゃん。ちょっといいかしら」
指に包帯を巻いている義母に呼ばれ、仕事を中断してお茶にする。
「お義母さま、申し訳ありません。まだ養子のリストをすべて作り終わっていなくて」
義母が神妙な顔だったから、てっきりその話かと思っていたら。
「あぁ違うのよ、ちょっと領地に二人で行ってみてくれない?」
「何か問題でも起きたのですか?」
「リヒターがあんなでしょう? 見舞いと称して、自分の娘を次の妻にとか愛人にって言ってくる貴族たちがいるのよ」
エルシャは目を瞬かせた。
「私は愛人でも第二夫人でも何でも大丈夫ですよ?」
いい嫁もやめたので、どんとこいである。ただ、離婚されてうちへの援助が今打ち切られるのは厳しい……そこだけは気になる。
「そういう礼儀のなっていない家と縁づくと大変なの。それにリヒターも怪我をして記憶もないのにこの状況では、あの子のことだからなかなか休めないわ。だから療養よ。遅めの新婚旅行だとでも思って、あの子が無理に仕事をしないようにお世話にしてくれない?」
ふむ、お世話と言われたらエルシャは弱い。しかも、義母は紅茶のカップを手にしようとして指が当たって痛そうにしながら哀れにお願いしてくるのだ。
しかし、不在の間の仕事はどうするのだろうか。全部義母が? 義母は夫が爵位を継ぐまで公爵代理だったから可能だろうが……。
「もちろん、大変だろうからエルシャちゃんのご実家への援助額を気持ちアップさせるわ」
「領地に行きます!」