さようなら、私の白すぎた結婚~契約結婚のキレイな終わらせ方~

7

「あー、そろそろあなたの誕生日だな」

 夫とランチを食べていると、言いづらそうに切り出された。
 ものすごく言いづらそうにする気持ちは分かるが、そんなに言いたくないなら言わなくていいのに。なんといっても記憶がないのだから。
 あぁ、でも記憶がないのに妻の誕生日が近いと聞いてこうやって切り出してくる夫。いいかもしれない。

「そうでしたっけ」
「あぁ」
「もうそんな時期ですか。あ、もう来週ですね、忙しなくて忘れてました」

 旦那様が怪我したり、領地に来たり、旦那様が倒れたりしたからね。

「仕事もそれほどないし……何か食べたいものはないか?」

 ランチを食べてる最中に食べたいものを聞かれても。
 実家にいる時はランチを食べながら、野菜の残りは何があったかを頭の中で考えていたけど。

「うーん……援助もしてもらってるのでいいですよ」

 何も思いつかないので沈黙する。
 沈黙に耐えかねたのか、エルシャの脱いだ上着についた草を取ってくれていた使用人がおずおずと声を上げた。

「いつもどのようにお祝いされていたのでしょうか?」

 夫から祝われたことはありません。お仕事でしたから。もちろん声には出さないけど。
 夫の誕生日にはみんなでケーキを用意していたけど、帰ってこないものね。夜遅くに帰って来てケーキは要らないと言われるから、みんなで厨房でこっそり夫の分のケーキを山分けしたよね。でも、そんなことを記憶喪失の夫に当てこすりのように言わない。だって、お仕事あんなにあったら大変だものね。

 お仕事で外出中に馬車の事故を見たら、夫はパニックを起こしていたのかもしれない。それなら本当に彼はいろいろ大変だったのだろう。あぁ、その外出にもエルシャがついていっていればあれこれお世話を焼けたのに。

 しんみりしかけたので、実家の話をすることにする。

「実家にいる時は、アップルパイを作って食べていました」
「奥様はアップルパイがお好きですか? リンゴをよく食べていらっしゃいますよね」

 ユーグさんに沢山もらったからね。

「うーん……実家の時は誕生日のたびに形が悪かったリンゴでアップルパイを作っていたんですが。弟たちと妹たちが取り分でいつも喧嘩してしまって。私は譲っていたのでアップルパイはそれほど食べていないんです。どちらかといえば、私が譲ると分かっていた母親と一緒にこっそり夜に厨房で食べる一粒のチョコレートが誕生日のイメージが強いですし、好きですね」

 母はエルシャの誕生日の夜、弟妹たちが寝るとエルシャを呼んでチョコレートを出してくれたのだ。貧乏な伯爵家では高級品である。
 誕生日といえば、母と一緒にこっそり食べるあのチョコレートだ。

「あぁ、だから結婚式の時のケーキにチョコレートが使ってあったのか」
「そうなんです! お義母様が私に希望を聞いてくださって! 絶対チョコレートにしてほしかったんです! ってあれ? 旦那様、覚えていらっしゃるんですか?」

 結婚式の記憶は夫にはないはずだ。

「…………ユーグが、チョコレートケーキが美味しかったと言っていた」

 夫はなぜか苦虫を噛み潰したような表情だ。記憶がない時の話を出されるのは苦痛なのだろうか。

「あ、ユーグさん覚えていらっしゃったんですね。そうなんです。それで、お義母様はそれをずっと覚えていてくださっていて。嫁いでからは誕生日の翌日に侍女も連れてカフェに行って『メニューにのっているケーキを全部出してちょうだい』ってケーキを好きなだけ食べさせてくれるんです」

 夫の顔がますます苦くなる。ケーキは苦手なのだろうか。

 一応、義母も夫が帰って来るかもとエルシャの誕生日当日はそんなことはしないのだ。贈り物はいただいている。
 そして夫が何もしなかった翌日、ものすごい笑顔でエルシャをカフェに連れて行くのである。実家に支援してもらっているのでいいと言ったのだが、義母は必ずそうする。大変、男前な義母である。

 あら、なぜか使用人が泣いている。ハンカチまで目に当てて。
 草が目に入っちゃった? 申し訳ない。

「奥様……お誕生日のケーキは三段にしましょう……チョコレートはちょっと無理ですが……クリームならいける……」
「それは多すぎない?」

 どこのウェディングケーキだ。使用人は涙ぐみながら変な決意を固めているようだ。

「今から言えば、卵はなんとかなるはずです……いや、むしろ卵がないならニワトリを飼えばいいじゃない、です」

 使用人のノリがおかしい。
 実家に援助もしてもらっているし、領地に来ることでさらにアップしてもらったのだから誕生日なんていいのに。

「誕生日は母親に感謝する日なので、そんな豪華にしなくってもいいですよ。それに、旦那様だっていつも遅くまで仕事をしていて誕生日のお祝いはできていないんですから」

 最初の年は義母と相談してカフスボタンをプレゼントしたけれど、つけていないようだったから次の年からは契約妻として弁えてやめておいた。

 よく考えたら、夫は誕生日のお祝いをしたことがあるのだろうか。
 義母だって公爵代理として忙しかったはず。今もそれなりに忙しそうな中でエルシャに構ってくれる。

 そこで、エルシャはピーンと天啓のようなものを得た。

 さっき夫が「食べたいものはないか」と聞いたのは夫がしてほしいからではないだろうか。普通であれば「欲しいものはないか」と聞いて、適当に贈り物を使用人に頼んで買わせて済ますのではないか。
 つまり、夫は贈り物だけテーンともらうだけの誕生日をずっと過ごしていたのではないか。エルシャの実家のようにアップルパイを取り合って大人数で殴り合いの喧嘩などなく。

 エルシャのたくましい想像力は、そんな可哀想な夫をしっかり想像できてしまった。贈り物を前に一人でいる夫の姿を。贈り物を一人で開けている夫の姿を。

 エルシャの顔は輝いた。なぜか後退っていた夫の手を取る。怪我は治ってしまったので、しっかり両手を握る。

「旦那様、お誕生日はアポーパイを作りましょう。いえ、食べたいです」
「アポー……パイ……?」

 うっかり幼い弟や妹に言うような言い方になってしまったが、スルーしよう。

「みんなで食べると楽しいんですよ!」
「わ、分かった」

 なぜか夫の顔は引きつっていた。未経験のことって怖いものね。

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