さようなら、私の白すぎた結婚~契約結婚のキレイな終わらせ方~
第四章 私のやや白さを失った結婚

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 執務室の前ではパトリックが難しい顔で立っていた。
 見慣れない護衛もいて、中に入れてもらえないようだ。ここはカニンガム公爵家の領地の屋敷なのに? こんなことができる人は公爵よりも地位が高い人よね?

 パトリックがチラチラと執務室の隣の部屋に視線を送るので、エルシャは黙って隣の部屋に入った。パトリックは扉の前から動けないのか入ってこない。

 このお部屋は縦長だから執務室に隣接しているとバレていないのだろうか。先ほど扉の前にいた護衛が咎めに来るわけでもない。いや、しかし外野に咎められてもエルシャはカニンガム公爵夫人なのであるし……。

 そんなことを考えながら、向こうに執務室のある壁に耳を当てた。今日は雨が降っていて少し肌寒い。壁も冷たくて触れた瞬間、少し身構えてしまった。
 公爵相手にこんなことができるのは……王族よね? もしかして、夫が怪我をした件かしら。令嬢たちの処罰ってどうなったんだっけ? でも、わざわざ領地まで来て言うことじゃないわよね。手紙で済むもの。急ぎのお仕事かしら。

 冷たい壁に頑張って耳を押し付けてみる。

「まさか、記憶が戻っているとは思わなかった」
「……完全ではありません」
「それなら話が早い。あの続きを調べてくれ」
「殿下から連絡が何もないので、もう解決したのかと思っていました」
「私の手の者だって使っているが、他にも割かなくてはいけない。しかしあれにまたきな臭い動きが出てきている。どうも隣国に情報を流しているようだ」
「そこまで分かっていて尻尾が掴めないのでしょうか」
「あれは小心者だからな。小心者ほど用心深い」
「最初は税の誤魔化し程度だったはずです」
「あれでは大した罪に問えない。それにあの件で取り調べをしたら、あの小心者はすぐに内通をやめるだろう」

 彼らがこの壁の近くに立っているせいなのか、意外にも声がよく聞こえた。

「やめるなら、それでいいのでは?」
「そうすればあの何度も法の境界を超える小心者は野放しだ」
「小心者とおっしゃいますが、尻尾を掴めていないので相当用心深いですね」
「だからこそ、いい意味での小心者だ」
「はぁ、殿下が隣国の王女と婚約をちらつかせて様子を見ては」
「今その方向で進めている。つい最近婚約の打診があちらから来たところだ」

 殿下ということは王子殿下だろうか。それとも王太子殿下?
 その前に、一番最初に記憶が戻っているって言っていなかった? 夫の記憶は戻っていないはず。まさか、殿下なる人が来た瞬間に戻った?

「とにかく、以前と同様に調べてくれ。母親にあの件を知られたくないだろう? この件が終われば、書類を破棄しよう。それとも今はあの伯爵家出身の妻の方が大事なのか?」
「……本当に書類を破棄してくださるんですか」
「あぁ、あれが一番厄介だからな。それにしても驚いた。記憶喪失の賜物か? 結婚を延期か取りやめにしようとしていた妻と領地に来たなんて」

 どうやら二人は移動したらしい。声がくぐもって聞こえなくなった。
 エルシャは冷たい壁に背を預けてその場に座り込む。

 断片的に聞こえた会話からして、夫は記憶が戻っている。しかし完全ではない?
 しかも義母を盾に脅されている雰囲気だった。さらにいえば、エルシャのことも話に出ていた。結婚を延期か取りやめって何? そんな話出ませんでしたよね? そもそも婚約期間数カ月だったし! 婚約したら即結婚状態だったのに、あの間に何があって取り止めようと?


 エルシャはしばらくその場から動けなかった。
 やがて、廊下に複数の足音が響く。お帰りのようだ。窓からこっそりのぞいたが彼らは正面から帰らなかったようだ。いつまでも見ていても彼らの姿は屋敷から出てこなかった。裏口から出たのかな。今日は天気が悪いからフードを被っていれば目立たないだろう。

 そろそろ自室に戻るかと思ったその時、部屋の扉が開いた。
 夫とその後ろにはパトリックが立っている。私は窓辺でちょうど膝立ちで振り返ったところだった。

 夫はパトリックに何か言うと、一人だけで部屋に入って来て扉を閉めた。
 夫の顔が普段よりもやや厳しいので、エルシャは窓辺の床になんとはなしに座って両手を上げた。盗み聞きがバレている気がしたからだ。

「……聞いたのか」
「えっと、少しだけ」

 夫の表情は厳しめだと思ったが、今度は悲し気に見えた。ほぼ表情としては変わっていないが。
 外は雨脚が強まって雷が鳴り始めた。夫は黙り込んで何も言わない。エルシャはしばらく待って、意を決して口を開いた。

「旦那様は記憶が戻ったんですか?」
「エルシャ、離婚しよう」

 口を開いたのは同時であった。
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