【11月5日書籍発売】さようなら、私の白すぎた結婚~契約結婚のキレイな終わらせ方~
第六章 さようなら、私の白すぎた結婚
1
執務室で頭を抱える夫の前には手紙が広げられていた。
覗き込みたいのを我慢して、エルシャはクッキーを夫の前に差し出す。
「嫌な知らせですか?」
「あぁ」
眉間に皺を寄せながら、クッキーを口に入れてモゴモゴしている夫は意外と可愛かった。うっかりエルシャはにやけそうになる。
お酒と出来る家令の力を借りて執務室に突撃してからは避けられなくなっていたし、会話も口頭でできるようになっていた。ものすごい進歩だ。
野生のオオカミをとうとう手なずけて、室内で飼う犬にしたような気持ちだ。
「バクスター公爵夫人は中々顔を出さないから、探りづらい」
「お城のパーティーにくらいしかいらっしゃらないそうですもんね」
「そうだ。行動パターンが探りづらい。何の手がかりもない。だから、あなたがお茶会に行って交流してくれと王太子殿下が……」
そこまで言って夫は顔を覆った。
「さすがに旦那様がお茶会に行くわけにいかないので、私が社交の一環として行きますよ?」
「危険だ。今回、母は招待されていない」
「お茶会に行ってブスッと刺されることはさすがにないでしょう」
「だが……女性の社交は独特の戦いがあるだろう」
分かりにくい舌戦が繰り広げられるだけですね。
公爵夫人のお茶会で紅茶をかけられたり、足ひっかけられたりなんてつまらないことはない。派閥の令嬢たちが勝手にやるかもしれないけれども。
「招待されたお茶会は介抱のお礼なのですから、大丈夫だと思います。少人数であるはずですし。旦那様もこの件でずっと煩わされるのは嫌でしょう」
夫は顔を覆ったまま、体を前後に揺らした。百面相を体で表現している。
「護衛をたくさんつけて」
「お茶会にぞろぞろと護衛を引き連れて行ったら、それこそ喧嘩を売っていませんか」
夫は顔を覆ったまま、今度は体を左右に揺らしている。夫のことはクールだと思っていたけれど、追い詰められて考えすぎて無表情になるほど悩んでいただけなのかもしれない。揺れている夫を見てエルシャは自分の視野が狭かったことを恥じた。
そこでエルシャは初めて気づいた。
エルシャの父もずっと難しい顔をしていた。たまに笑顔を見せる時もあったが。あれは、頭の中で延々金策を考えていたからかもしれない。食事の時もずっと。
なぜ父はそれほど金策を考えていたか。それは家族のためだ。紛れもなく家族の幸せのためだった。子供になるべく借金を残さないようにするため。それにエルシャは今の今まで気付かなかった。だって、エルシャは子供だった。
気付かずに父に話しかけて「女は口を出すな」と言われて傷ついた。
そして、同じようなことを夫で繰り返した。夫はエルシャと義母と公爵家を守ろうと頑張ってくれていたのだ。この気付きがなければ、エルシャは到底夫のことも父のことも許せなかっただろう。今、夫を目の前にしてもエルシャの心に湧き上がるのは諦めではない。
「大丈夫ですよ、旦那様。お茶を飲んで雑談してお菓子を食べて帰ってきます。できれば、行動パターンも探ってきますし頑張って仲良くなってきます」
「当日、体調不良で欠席して欲しい」
「そうしたらまた解決が遠のくじゃないですか。そろそろ外出禁止も飽きちゃいました」
また夫は顔を覆って考えているようだった。
「王太子殿下に脅迫されるのももう疲れましたし」
「私が女装すれば行けるのか」
「旦那様が女装すれば私よりも絶対に綺麗に仕上がるかと思いますが、身長でバレますね。いつもどうやって調べていたんですか」
「王太子殿下の部下を借りて探っていた。書類は見ればいいだけで、あとはこの髪色が目立つから変装して王弟の行動履歴を追っていた」
「ではお茶会の日に私にその部下の方をつけていただくことはできますか。侍女としてなら連れて行けます」
「……あなたを巻き込むつもりは毛頭なかったのに」
「ほとんど出かけないバクスター公爵夫人が犯人である可能性は低いんですから、旦那様は王弟殿下を調べておいてください。あとは私が帰ってきたらちゃんとご褒美をください」
「なんだ、ご褒美とは」
「旦那様は私の誕生日の贈り物をまだ買ってくださっていません。それをください」
夫がこのまま悩んでいてはお茶会の日が来てしまう。何なら参加の返事さえまだしていないではないか。
だから、エルシャはちょっと矛先を逸らした。領地で夫が王都に帰ってから贈り物をするとか言っていたのだ。いや、贈り物を探すと言っていたんだったか。
夫はうちの弟や妹たちのように話を逸らしたことにすぐには引っ掛かってくれなかったが、やがてため息をつきながら頷いた。
「絶対に危ない真似はしないでくれ」
「お酒も出ませんし大丈夫です」
「あの二人はやっと仲直りしたのね」
「はい、大奥様。お二人でお仕事をされていらっしゃいます」
「孫も期待していいかしらねぇ」
「それは口にされない方がまだよろしいかと」
「ふふっ、それはそうね。あの人が生きていたらリヒターがあんな風になっているのを見せてあげたかったわ。あの子はあの人に似て愛情深い子のはずだから」
「大旦那様はきっと見守っておられますよ」
覗き込みたいのを我慢して、エルシャはクッキーを夫の前に差し出す。
「嫌な知らせですか?」
「あぁ」
眉間に皺を寄せながら、クッキーを口に入れてモゴモゴしている夫は意外と可愛かった。うっかりエルシャはにやけそうになる。
お酒と出来る家令の力を借りて執務室に突撃してからは避けられなくなっていたし、会話も口頭でできるようになっていた。ものすごい進歩だ。
野生のオオカミをとうとう手なずけて、室内で飼う犬にしたような気持ちだ。
「バクスター公爵夫人は中々顔を出さないから、探りづらい」
「お城のパーティーにくらいしかいらっしゃらないそうですもんね」
「そうだ。行動パターンが探りづらい。何の手がかりもない。だから、あなたがお茶会に行って交流してくれと王太子殿下が……」
そこまで言って夫は顔を覆った。
「さすがに旦那様がお茶会に行くわけにいかないので、私が社交の一環として行きますよ?」
「危険だ。今回、母は招待されていない」
「お茶会に行ってブスッと刺されることはさすがにないでしょう」
「だが……女性の社交は独特の戦いがあるだろう」
分かりにくい舌戦が繰り広げられるだけですね。
公爵夫人のお茶会で紅茶をかけられたり、足ひっかけられたりなんてつまらないことはない。派閥の令嬢たちが勝手にやるかもしれないけれども。
「招待されたお茶会は介抱のお礼なのですから、大丈夫だと思います。少人数であるはずですし。旦那様もこの件でずっと煩わされるのは嫌でしょう」
夫は顔を覆ったまま、体を前後に揺らした。百面相を体で表現している。
「護衛をたくさんつけて」
「お茶会にぞろぞろと護衛を引き連れて行ったら、それこそ喧嘩を売っていませんか」
夫は顔を覆ったまま、今度は体を左右に揺らしている。夫のことはクールだと思っていたけれど、追い詰められて考えすぎて無表情になるほど悩んでいただけなのかもしれない。揺れている夫を見てエルシャは自分の視野が狭かったことを恥じた。
そこでエルシャは初めて気づいた。
エルシャの父もずっと難しい顔をしていた。たまに笑顔を見せる時もあったが。あれは、頭の中で延々金策を考えていたからかもしれない。食事の時もずっと。
なぜ父はそれほど金策を考えていたか。それは家族のためだ。紛れもなく家族の幸せのためだった。子供になるべく借金を残さないようにするため。それにエルシャは今の今まで気付かなかった。だって、エルシャは子供だった。
気付かずに父に話しかけて「女は口を出すな」と言われて傷ついた。
そして、同じようなことを夫で繰り返した。夫はエルシャと義母と公爵家を守ろうと頑張ってくれていたのだ。この気付きがなければ、エルシャは到底夫のことも父のことも許せなかっただろう。今、夫を目の前にしてもエルシャの心に湧き上がるのは諦めではない。
「大丈夫ですよ、旦那様。お茶を飲んで雑談してお菓子を食べて帰ってきます。できれば、行動パターンも探ってきますし頑張って仲良くなってきます」
「当日、体調不良で欠席して欲しい」
「そうしたらまた解決が遠のくじゃないですか。そろそろ外出禁止も飽きちゃいました」
また夫は顔を覆って考えているようだった。
「王太子殿下に脅迫されるのももう疲れましたし」
「私が女装すれば行けるのか」
「旦那様が女装すれば私よりも絶対に綺麗に仕上がるかと思いますが、身長でバレますね。いつもどうやって調べていたんですか」
「王太子殿下の部下を借りて探っていた。書類は見ればいいだけで、あとはこの髪色が目立つから変装して王弟の行動履歴を追っていた」
「ではお茶会の日に私にその部下の方をつけていただくことはできますか。侍女としてなら連れて行けます」
「……あなたを巻き込むつもりは毛頭なかったのに」
「ほとんど出かけないバクスター公爵夫人が犯人である可能性は低いんですから、旦那様は王弟殿下を調べておいてください。あとは私が帰ってきたらちゃんとご褒美をください」
「なんだ、ご褒美とは」
「旦那様は私の誕生日の贈り物をまだ買ってくださっていません。それをください」
夫がこのまま悩んでいてはお茶会の日が来てしまう。何なら参加の返事さえまだしていないではないか。
だから、エルシャはちょっと矛先を逸らした。領地で夫が王都に帰ってから贈り物をするとか言っていたのだ。いや、贈り物を探すと言っていたんだったか。
夫はうちの弟や妹たちのように話を逸らしたことにすぐには引っ掛かってくれなかったが、やがてため息をつきながら頷いた。
「絶対に危ない真似はしないでくれ」
「お酒も出ませんし大丈夫です」
「あの二人はやっと仲直りしたのね」
「はい、大奥様。お二人でお仕事をされていらっしゃいます」
「孫も期待していいかしらねぇ」
「それは口にされない方がまだよろしいかと」
「ふふっ、それはそうね。あの人が生きていたらリヒターがあんな風になっているのを見せてあげたかったわ。あの子はあの人に似て愛情深い子のはずだから」
「大旦那様はきっと見守っておられますよ」