さようなら、私の白すぎた結婚~契約結婚のキレイな終わらせ方~

8

 翌日から夫は忙しくなった。最近少し落ち着いていたが、元に戻ったというべきだろうか。
 バクスター公爵夫妻の取り調べが始まったせいである。もちろん王弟である公爵も捕まっている。

 エルシャは公爵夫人とのやり取りを聴取されただけだったが、夫は大変そうだ。
 やっと落ち着いたのは二週間後。バクスター公爵夫人が取り調べに協力的であったため、このくらいで済んだのだ。


「私は絶対に謝りませんよ。何も間違ったことはしておりません」

 バクスター公爵夫人は取り調べに同席した夫に向かってこう言ったそうだ。先代カニンガム公爵と使用人を一緒に殺害した件についてである。

 夫人の実家の男爵家が内通と殺害には関与していた。夫人は執務を行っていたので情報を得るのは簡単だったのだ。それを実家の男爵家に送り、男爵家が情報を他国に流す。
 奇しくも、夫が妊娠した使用人の存在を隠して欲しいと頼んだことは夫人の助けになってしまった。

「夫の子供を身ごもったあの子も、それを知っていて匿った先代カニンガム公爵も私は許せません。王家の血を引く子供が少ないからなのか、保護した理由は分かりませんが。身ごもらない私が嫌なら、妾でも迎えればいいのに。それをせず夫婦の寝室で私の悪口を言いながらコソコソするなんて、虫唾が走ります。そんな使用人は死んで当然です」

 そう、亡くなっているから先代カニンガム公爵がなぜ王弟の愛人だった使用人を匿ったのかは分からない。王家の血を引く子供を殺したら重罪だから、という見方ももちろんあるが先代公爵は王弟に連絡を取ったりして真偽を確認していないのだ。

「大丈夫だ、君のことは私が何とかする。家を用意しよう」

 夫が聞いたこのセリフは、匿う意味での言葉だった。そして公爵自ら一緒にその隠れ家に向かう途中で殺された。先代カニンガム公爵は浮気なんてしていなかったのだ。

 取り調べで事実が明るみになるたびに、夫は疲れて帰って来た。

「陛下の退位が早まるそうだ」
「夜会ではお元気そうでしたが、まさかご病気ですか?」
「表向きはそうだが、王弟の件を握りつぶしていた」
「どういうことですか? 税の誤魔化しは夫人がやったのでは? 内通はさすがに握りつぶしては……」
「妊娠していた愛人の件だ」

 先代カニンガム公爵が妊娠した愛人と一緒に死んだことにできればいいが、おしどり夫婦で通っていたカニンガム公爵夫妻だ。疑われて調べられたら王弟のことがバレてしまう。その時に、ちょうど愛人の存在を消してくれという嘆願があり、国王は最終的に握りつぶしたのだ。

「聴取の騎士に私は愛人の存在を消してくれ、母が悲しむからと話した。でも、公爵家だからとあんなに簡単に通ったのを疑うべきだった。それはそうだな。最終的に陛下のところにいったわけだ。捜査も大してされずに父の死は事故で処理された」

 先代カニンガム公爵が亡くなった時、夫はまだ十歳の子供だった。そんなことまで考えられなくて当然だ。「自分が父を殺したかもしれない」という罪悪感がこれで払拭されるだろうか。

「王太子殿下も国王まで関与していたとは考えておらず。ショックを受けておいでだった。王太子殿下はずっと王弟の存在を気にして追っていたが、まさか陛下まで関与していたとは」
「王太子殿下にとっては、継承権を脅かす最も近い存在でしたからね」

 エルシャは王太子のあの態度がどうにも許せないが、王太子も王太子なりの苦労はあるのだろう。なんといってもただ一人の王子であるからプレッシャーだって相当だ。
 「女性にそこまで首を突っ込まれる謂れはない」という言葉は取り消しも訂正もしてもらえなかったが、そこは王太子が結婚して苦労すればいい。

 連日、取り調べに同席して疲れている夫を誘って庭でティータイムにする。
 こんな時間は以前では考えられなかった。エルシャが無理矢理引っ張ってくれば可能だったかもしれないが、これほどゆっくり一緒に過ごすなんて考えられなかった。

「母には……一連のことは黙っておこうと思う」
「それがいいと思います。お義母様だって旦那様がそんなに苦しんでいたなんて、とご自身を責めるでしょうから」
「私はこのことを墓場まで持っていく。あなたに強要はできないが……」

 夫は疲れた顔で紅茶のカップを置いた。

「お義母様を傷つけたくないので、私も墓場まで持っていきます」
「ありがとう」

 夫はあの夜会の日、秘密の部屋で休憩室の様子を覗いていたそうだ。後からエルシャは知って驚いた。屋根裏に王太子の部下はおらずクローゼットの中だったが、秘密の部屋は本当に存在した。

 声も聞こえる仕様で、夫は何度も止めに入ろうとして王太子の部下に阻止されたんだとか。結局、エルシャがピンチになった時に部下を振り切って割って入ってくれた。

「ありがとうございました」
「いや、すべてあなたの手柄だ。王太子でも私でもない」

 でも、夫はバクスター公爵夫人の愛人云々の告白を聞いた後で動揺していたはずなのだ。事実、過呼吸を起こしかけたらしい。それでもエルシャのために部下を振り切って休憩室に入って来てくれたのだ。

 高熱だろうと誕生日だろうと無視していたあの夫が、である。
 夜にうなされるほど夫は先代カニンガム公爵の件で苦しんでいたのに。王太子にも震えながら言い返してくれた。

「王太子殿下はあの書類を破棄してくださったんですか?」
「あぁ、目の前で破棄してくれた。それに真実が分かったから、破棄したものがダミーでも困らない」
「そうですね」
「不思議だ」
「何がですか?」
「あなたと契約結婚をしてから全てが解決してしまった。長年ずっと苦しめられてきたものが全て」

 夫はイスに背を預けて疲れた様子だが、晴れ晴れとした表情だ。エルシャはトラブルメーカー扱いされているのかどうか分からず、そっと笑って黙っていた。

「あなたが全てのカギを持っていたようなものだ」
「旦那様が一人で背負い込んでいただけです。私はくすぐって脅したり、お世話したりしただけです」
「許さなくてもいいけれど、もう一度言わせてほしい。今まで本当に申し訳なかった。私は自分のことしか考えていなかったんだな。全て独りよがりだった。母と公爵家を守っていたつもりで、あなたを遠ざけようとして全く守れていなかった」

 夫は立ち上がって、エルシャの前に跪いた。公爵である夫がここまですることはあり得ない。以前の謝罪は座ったままだったのに。

「私は間違っていた。王太子殿下とあまり変わらない」

 夫がエルシャの手を取ろうとしてくる。それを察知してエルシャは手を引っ込めた。夫はそんなエルシャの態度を責めることなく、やや震える手を所在なさそうに彷徨わせてから同様に引っ込めた。

 その手の動きは、最初に会ったバクスター公爵夫人の手の動きと似ていた。王弟を呼び止めようとして力なく落ちた、あの手。

 バクスター公爵夫人は使用人と先代カニンガム公爵を殺しても、夫である王弟だけは殺さなかった。危害さえ加えていない。彼女は疲れたと言いながら、まだ王弟を深く愛しているはずだ。

 人の心が簡単に見えたらいいのに。エルシャは初めてそう思った。夫との距離は近付いた、でも心はどうだろう。こんなこと、お世話している時は考えなかった。考えたらあんなに近付かなかった。

「旦那様」

 夫が跪いたまま顔を上げる。
 綺麗な青い目がエルシャを捉えた。自分の声が喉の奥に張り付きそうになる。それでも、声を振り絞った。

「旦那様、私と離婚してください」

 夫の目が大きく見開かれた。石切りをした湖の色のようにとても綺麗だった。
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