【11月5日書籍発売】さようなら、私の白すぎた結婚~契約結婚のキレイな終わらせ方~
番外編
書籍化記念SS 誰がエルシャを選んだか
「実家が金に困っている未婚女性はこのような方々が該当しました」
リチャードが五枚の書類を机の上に並べた。
彼の表情は少しばかり苦々しく、本当にこんな契約結婚するんですかとでも言いたげだ。
私はさっと五枚の書類に目を通し、そのうちの二枚を脇によける。
「この令嬢とこの令嬢は却下だ」
「どうしてでしょうか」
「仕事の話がしたいと次期当主に呼び出されて行ったら、誰もおらず。待っていたらこの令嬢がカーテンの後ろから飛び出て抱き着いてきそうになったのですぐに逃げた」
「却下ですね。では、こちらのご令嬢も同様の理由で?」
リチャードは素早くその書類を片付けた。
「あぁ、近いな。彼女の妹から何度も薬を盛られそうになったことがある。髪の毛の入った贈り物を押し付けられることもあったな。万が一、彼女と結婚したらその妹が押しかけてくる可能性が」
「ご家族がそのような行動をされているとは調査しきれませんでした。申し訳ございません」
「複数にそんなことをしていなければ表沙汰になっていないだろう。私も似たようなことがありすぎていちいち言わなかったからな」
「では、この方も却下で。残りお三方ですね。リヒターお坊ちゃまは本当に女性に人気がありますね」
リチャードが含みのある呼び方をしてくるが、敢えて反応はしなかった。
日常生活にまで支障をきたしているのだ。私が独身でい続けるのがいけないらしい。こちらとしては興味もないのに、たまったものではない。
「この子爵令嬢では、公爵夫人は荷が重すぎるだろう」
「あぁ、この方は領地経営を頑張っていらっしゃるのですよ。先代が賭博で作った借金を返すために現子爵と協力して」
「却下だ」
「おや、なぜでしょうか。領地経営を頑張っていると評判ならば旦那様のお仕事もある程度お手伝いいただけるのではないかと」
「借金は賭博でできたものだろう。これを見る限り、どうにも彼女も子爵も賭けに出るようなやり方が多い。子爵家の規模と借金がある場合ならそれでもいいが、カニンガム公爵家の規模でそれをやられると困る。リスクが大きすぎる」
「そのくらいは分かっていらっしゃるのでは?」
「変に成功体験があって口出しされて引っ掻き回されるのは迷惑だ」
「それなら残るのはこのお二方ですが……ええと、レンブロン伯爵家のカタリナ嬢とバートリ伯爵家のエルシャ嬢です」
机の上に残った書類は二枚。
答えは決まっていた。五枚あった時から決めていた。
なんとなく目を引かれた。会ったこともないのに懐かしささえ感じた。おかしい、別にタイプでも何でもないし誰かに似ているということもない。
だが、複数の選択肢がある時に考え込んでも無駄だ。大体、最初に良いと思った選択肢が最良なのだから。悩むのは言い訳したいだけだ。
「バートリ伯爵家の令嬢にする。かの伯爵家に婚約の申し込みを」
「え? 旦那様? レンブロン伯爵令嬢の方がよろしいかと思います。なぜなら、バートリ伯爵家はこの中で借金額が最も多いのですよ」
「ちょうどいい。援助が長引くし、従順で逃げ出す可能性が低い」
「……人の心はおありなのですか? いえ、旦那様の血が赤いのか本気で心配になってまいりました」
「利害の一致だ。私は援助をする。彼女の実家は助かり、女除けの公爵夫人を演じてもらう。それだけだ」
「レンブロン伯爵令嬢は慈善事業に精を出していらっしゃいます。彼女の方が公爵夫人向きなのではないでしょうか」
私は書類という名前の調査書に目を落とす。
「孤児院で子供と遊んでいるだけだろう」
「いえいえいえ、刺繍を教えたり絵本を読んだりしていらっしゃいますよ」
「刺繍を教えて就労支援にでもなるのか。やらないよりはマシだが、やるならばもっと根本的なことをやらねばならない」
「しかし、バートリ伯爵令嬢は領地からほとんど出たこともなく、社交経験だってないのに公爵夫人が務まりますか」
「社交はしても最低限だ。交友関係だって母が広げるだろう。問題ない」
「ふむ、左様でございますか……まぁ、この方は五人兄弟姉妹の一番上でいらっしゃいますし……多産家系かもしれませんね。大奥様もお喜びになるやもしれません」
「そういう意味で選んだわけじゃない」
書類上の妻ならばあまり出歩かず行動力のない、そして交友関係もほとんどない女性が都合がいいと思ったのだ。途中で嫌になって投げ出して逃げないような。
思っていた人物像と妻は全く違ったわけだが。
「このように旦那様はご自身でエルシャ様を選ばれたのです」
「そうだったのね」
「本当に率直にお話してしまいましたが……」
「私が教えて欲しいと言ったんだから。安心したわ」
少し席を外している間に、リチャードが妻に勝手に説明をしているので「違う」と言いながら執務室に入った。
「旦那様は何の迷いもなくエルシャ様を選ばれたではないですか」
まぁ……それはそうだが。最初からこの妻に振り回されることは決まっていたのかもしれない。あるいは、自分でそれでいいと決めていたのか。
「これを運命というのですねぇ」
リチャードは私から漂う微妙な空気を察知したらしく、そそくさと理由をつけて部屋を出て行った。
「……すまない。気分を悪くしただろう」
「いえいえ、そんなことはありません。むしろ安心しました」
「どこにもあの話に安心できる要素はなかったと思うが」
「領地からほとんど出たことがなくて社交経験もないことは気にしていたんですけど、それを旦那様が問題ないと言ってくださったので」
「何も問題なかっただろう。あなたは最近ではよくお茶会にも招かれているし、母もまた茶会を開催しようと意欲的になっているし」
座っている彼女に近付くと、彼女のつむじを見下ろす形になる。
本当に不思議だ。調査書をちらりと眺めただけでなぜ彼女に決めていたのだろう。リチャードに言った理由はすべて後付けなのに。何をもってして彼女を契約妻に選んだのか。顔合わせをしていたら絶対に選んでいなかったともそういえば思ったな。
「旦那様?」
黙っている私を彼女は見上げてくる。
彼女の背中に流れる栗毛を一房持ち上げて触れ、どう言葉にしていいかわからずにしばらく沈黙していた。
「あなたと契約結婚して良かった」
結局はそんな言葉になった。
後付けの理由は彼女を道具としか見ていないような酷いものだったが、あの五人の中から彼女を選んだのは私だ。
今はこの一言に尽きる。
彼女が良かった。あの瞬間にどんな理由で選んだとしても。
妻はパッと花が綻ぶように笑う。
「それは私のセリフですよ」
その言葉を聞いて、本当に彼女が良かったのだと分かった。
柔らかい栗毛にそっとキスを落とすと、妻は目を見開き徐々に顔は真っ赤になった。
「え、枝毛がありますから」
「ないと思うが」
やっぱり彼女が私の扉を開けるカギを持っていた。彼女が笑ってくれるだけでこれほど心が満たされるのだから。
リチャードが五枚の書類を机の上に並べた。
彼の表情は少しばかり苦々しく、本当にこんな契約結婚するんですかとでも言いたげだ。
私はさっと五枚の書類に目を通し、そのうちの二枚を脇によける。
「この令嬢とこの令嬢は却下だ」
「どうしてでしょうか」
「仕事の話がしたいと次期当主に呼び出されて行ったら、誰もおらず。待っていたらこの令嬢がカーテンの後ろから飛び出て抱き着いてきそうになったのですぐに逃げた」
「却下ですね。では、こちらのご令嬢も同様の理由で?」
リチャードは素早くその書類を片付けた。
「あぁ、近いな。彼女の妹から何度も薬を盛られそうになったことがある。髪の毛の入った贈り物を押し付けられることもあったな。万が一、彼女と結婚したらその妹が押しかけてくる可能性が」
「ご家族がそのような行動をされているとは調査しきれませんでした。申し訳ございません」
「複数にそんなことをしていなければ表沙汰になっていないだろう。私も似たようなことがありすぎていちいち言わなかったからな」
「では、この方も却下で。残りお三方ですね。リヒターお坊ちゃまは本当に女性に人気がありますね」
リチャードが含みのある呼び方をしてくるが、敢えて反応はしなかった。
日常生活にまで支障をきたしているのだ。私が独身でい続けるのがいけないらしい。こちらとしては興味もないのに、たまったものではない。
「この子爵令嬢では、公爵夫人は荷が重すぎるだろう」
「あぁ、この方は領地経営を頑張っていらっしゃるのですよ。先代が賭博で作った借金を返すために現子爵と協力して」
「却下だ」
「おや、なぜでしょうか。領地経営を頑張っていると評判ならば旦那様のお仕事もある程度お手伝いいただけるのではないかと」
「借金は賭博でできたものだろう。これを見る限り、どうにも彼女も子爵も賭けに出るようなやり方が多い。子爵家の規模と借金がある場合ならそれでもいいが、カニンガム公爵家の規模でそれをやられると困る。リスクが大きすぎる」
「そのくらいは分かっていらっしゃるのでは?」
「変に成功体験があって口出しされて引っ掻き回されるのは迷惑だ」
「それなら残るのはこのお二方ですが……ええと、レンブロン伯爵家のカタリナ嬢とバートリ伯爵家のエルシャ嬢です」
机の上に残った書類は二枚。
答えは決まっていた。五枚あった時から決めていた。
なんとなく目を引かれた。会ったこともないのに懐かしささえ感じた。おかしい、別にタイプでも何でもないし誰かに似ているということもない。
だが、複数の選択肢がある時に考え込んでも無駄だ。大体、最初に良いと思った選択肢が最良なのだから。悩むのは言い訳したいだけだ。
「バートリ伯爵家の令嬢にする。かの伯爵家に婚約の申し込みを」
「え? 旦那様? レンブロン伯爵令嬢の方がよろしいかと思います。なぜなら、バートリ伯爵家はこの中で借金額が最も多いのですよ」
「ちょうどいい。援助が長引くし、従順で逃げ出す可能性が低い」
「……人の心はおありなのですか? いえ、旦那様の血が赤いのか本気で心配になってまいりました」
「利害の一致だ。私は援助をする。彼女の実家は助かり、女除けの公爵夫人を演じてもらう。それだけだ」
「レンブロン伯爵令嬢は慈善事業に精を出していらっしゃいます。彼女の方が公爵夫人向きなのではないでしょうか」
私は書類という名前の調査書に目を落とす。
「孤児院で子供と遊んでいるだけだろう」
「いえいえいえ、刺繍を教えたり絵本を読んだりしていらっしゃいますよ」
「刺繍を教えて就労支援にでもなるのか。やらないよりはマシだが、やるならばもっと根本的なことをやらねばならない」
「しかし、バートリ伯爵令嬢は領地からほとんど出たこともなく、社交経験だってないのに公爵夫人が務まりますか」
「社交はしても最低限だ。交友関係だって母が広げるだろう。問題ない」
「ふむ、左様でございますか……まぁ、この方は五人兄弟姉妹の一番上でいらっしゃいますし……多産家系かもしれませんね。大奥様もお喜びになるやもしれません」
「そういう意味で選んだわけじゃない」
書類上の妻ならばあまり出歩かず行動力のない、そして交友関係もほとんどない女性が都合がいいと思ったのだ。途中で嫌になって投げ出して逃げないような。
思っていた人物像と妻は全く違ったわけだが。
「このように旦那様はご自身でエルシャ様を選ばれたのです」
「そうだったのね」
「本当に率直にお話してしまいましたが……」
「私が教えて欲しいと言ったんだから。安心したわ」
少し席を外している間に、リチャードが妻に勝手に説明をしているので「違う」と言いながら執務室に入った。
「旦那様は何の迷いもなくエルシャ様を選ばれたではないですか」
まぁ……それはそうだが。最初からこの妻に振り回されることは決まっていたのかもしれない。あるいは、自分でそれでいいと決めていたのか。
「これを運命というのですねぇ」
リチャードは私から漂う微妙な空気を察知したらしく、そそくさと理由をつけて部屋を出て行った。
「……すまない。気分を悪くしただろう」
「いえいえ、そんなことはありません。むしろ安心しました」
「どこにもあの話に安心できる要素はなかったと思うが」
「領地からほとんど出たことがなくて社交経験もないことは気にしていたんですけど、それを旦那様が問題ないと言ってくださったので」
「何も問題なかっただろう。あなたは最近ではよくお茶会にも招かれているし、母もまた茶会を開催しようと意欲的になっているし」
座っている彼女に近付くと、彼女のつむじを見下ろす形になる。
本当に不思議だ。調査書をちらりと眺めただけでなぜ彼女に決めていたのだろう。リチャードに言った理由はすべて後付けなのに。何をもってして彼女を契約妻に選んだのか。顔合わせをしていたら絶対に選んでいなかったともそういえば思ったな。
「旦那様?」
黙っている私を彼女は見上げてくる。
彼女の背中に流れる栗毛を一房持ち上げて触れ、どう言葉にしていいかわからずにしばらく沈黙していた。
「あなたと契約結婚して良かった」
結局はそんな言葉になった。
後付けの理由は彼女を道具としか見ていないような酷いものだったが、あの五人の中から彼女を選んだのは私だ。
今はこの一言に尽きる。
彼女が良かった。あの瞬間にどんな理由で選んだとしても。
妻はパッと花が綻ぶように笑う。
「それは私のセリフですよ」
その言葉を聞いて、本当に彼女が良かったのだと分かった。
柔らかい栗毛にそっとキスを落とすと、妻は目を見開き徐々に顔は真っ赤になった。
「え、枝毛がありますから」
「ないと思うが」
やっぱり彼女が私の扉を開けるカギを持っていた。彼女が笑ってくれるだけでこれほど心が満たされるのだから。