反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
9
困惑した視線が多方向からエーファに集まる。唯一、好奇の視線はリヒトシュタインからだ。
「スタンリー、もう出て行って。局長と後処理の話をするから」
「エーファ……どうしてそんなこと」
スタンリーはエーファの手を再度握ろうとしてきたが振り払った。
彼は希望の光だったはずだった。彼の手をこんな風に振り払う日がくるなんて思わなかった。彼の手を握ることをずっと望んでいたはずだった。
「あのエミリーって人と寝たでしょう。見たら分かる」
隣でエーギルが頷く様子がある。獣人は臭いで分かるのだろう。分かっていて今まで黙っていたのだ。忌々しいことこの上ない。エーファの勘を裏打ちしてくるのだから。
「私が命を懸けてる間にスタンリーはそんなことしてたんだ」
「酒に酔っていて。本当に関係を持ったか分からないんだ」
「それはパーティーの時の話でしょう。問題はその後よ。その後で関係を持ったでしょ」
女の勘ならばそんなもの欲しくなかった。もっと鈍感で愚鈍に生きていたかった。スタンリーの表情なんて読みたくなかった。今もわずかな表情で真実を読み取りたくなかった。
後悔しないように一年以内に帰ってくると約束したのに。約束したことを後悔してる。
「私と同じように命を懸けてほしかったわけじゃない。でも、約束したことくらいは守ってほしかった。守れない、守る気がないならあの時言ってくれればよかったのに」
「彼女とは別れる。妊娠してると嘘をついてるんだから。だから、もう少し待ってほしい。エーファ、ごめん」
「でも寝たんでしょ? 責任取れって言われるわよ」
言い争いほど激しくはないが、スタンリーとの会話が虚しくなってエーファの世界は瞬く間に色を失った。
「私を選ぶって口にしながら、スタンリーの行動は迷ってる。私のことを愛しているなら迷わないはず」
エーファはこれまで迷わなかった。ギデオンになびいたこともない。キスは許してしまったからスタンリーもそのくらいなら何も言わないつもりだった。
「出て行って。私の愛を搾取するだけの男なんていらない」
「エーファ。ちゃんと後で話そう。彼女とは一度関係を持っただけで。脅されて婚約してるだけなんだ」
「出て行って」
「……分かった」
「さよなら、スタンリー」
行かないでほしい。一瞬、スタンリーの背中に縋りたくなった。ここで彼が立ち止まって戻って来てエーファを抱きしめてくれたら全部水に流してもいいとさえ思った。それか、自分がベッドから抜け出て走り寄るべきか。
でも、スタンリーはちらりと振り返るだけで出て行った。エーファもベッドから抜け出すことはなかった。
エーファのことを舐めているからあんな態度が取れるのだ。まだ、エーファが後で話し合いに応じると考えている。ため息を無理矢理飲み込んで現実を見た。
「局長、失礼しました。家が焼けた件の賠償は必要ですか?」
アモン・スペンサー局長はようやくリヒトシュタインから視線をはがしてエーファを見た。
「いい顔になった。魔法の跡から見ても分かるが、ドラクロアでサボっていたわけではないようだ」
「ありがとうございます」
さっきまでのスタンリーとの痴話喧嘩もどきを塵芥のようにスルーするのが局長らしい。
「俺はスタンリー・オーバンより君に残ってほしかったのにな。ドラクロアの獣が憎い。一人の人生をたった一年、いや一瞬で狂わせるんだから。うちの魔法がドラクロアの軍事力に匹敵していれば違う未来があったことを悔やまずにはいられない」
局長は言葉とは裏腹に恍惚とした視線をリヒトシュタインに向けた。
「だが、目の前にすると悔やむこともできないほどの実力差があるようだ」
「実力差が分かるということは、お前は引かれた境界で強者側にいる」
「できたら鱗をもらえませんか?」
本当にブレないな、この人。口を挟んだリヒトシュタインに鱗を要求する局長。リヒトシュタインの呆れたような視線を受け、局長は残念そうに肩をすくめるとエーファに視線を戻した。
「これからどうする。黒髪の君に似た人間はここに来たかもしれないが、エーファ・シュミットと断定することは困難だ。つまり、賠償する必要はない。この国から去るつもりならスタンリー・オーバンに裏切られた慰謝料と相殺したらいい」
「後処理でご迷惑をおかけします」
「一生に一度見るか見ないかの竜人に会えたのだから気にする必要はない。それに後処理は部下の仕事だ。部下が大変なだけだし、そこの青い髪の彼がかなり奔走してくれたから」
「ありがとうございます」
エーファがベッドから下りようとすると、リヒトシュタインの手が差し出された。さっきまでこの部屋にいたスタンリー以外、エーファのこれからの行動をすでに予測しているように見える。
「スタンリー、もう出て行って。局長と後処理の話をするから」
「エーファ……どうしてそんなこと」
スタンリーはエーファの手を再度握ろうとしてきたが振り払った。
彼は希望の光だったはずだった。彼の手をこんな風に振り払う日がくるなんて思わなかった。彼の手を握ることをずっと望んでいたはずだった。
「あのエミリーって人と寝たでしょう。見たら分かる」
隣でエーギルが頷く様子がある。獣人は臭いで分かるのだろう。分かっていて今まで黙っていたのだ。忌々しいことこの上ない。エーファの勘を裏打ちしてくるのだから。
「私が命を懸けてる間にスタンリーはそんなことしてたんだ」
「酒に酔っていて。本当に関係を持ったか分からないんだ」
「それはパーティーの時の話でしょう。問題はその後よ。その後で関係を持ったでしょ」
女の勘ならばそんなもの欲しくなかった。もっと鈍感で愚鈍に生きていたかった。スタンリーの表情なんて読みたくなかった。今もわずかな表情で真実を読み取りたくなかった。
後悔しないように一年以内に帰ってくると約束したのに。約束したことを後悔してる。
「私と同じように命を懸けてほしかったわけじゃない。でも、約束したことくらいは守ってほしかった。守れない、守る気がないならあの時言ってくれればよかったのに」
「彼女とは別れる。妊娠してると嘘をついてるんだから。だから、もう少し待ってほしい。エーファ、ごめん」
「でも寝たんでしょ? 責任取れって言われるわよ」
言い争いほど激しくはないが、スタンリーとの会話が虚しくなってエーファの世界は瞬く間に色を失った。
「私を選ぶって口にしながら、スタンリーの行動は迷ってる。私のことを愛しているなら迷わないはず」
エーファはこれまで迷わなかった。ギデオンになびいたこともない。キスは許してしまったからスタンリーもそのくらいなら何も言わないつもりだった。
「出て行って。私の愛を搾取するだけの男なんていらない」
「エーファ。ちゃんと後で話そう。彼女とは一度関係を持っただけで。脅されて婚約してるだけなんだ」
「出て行って」
「……分かった」
「さよなら、スタンリー」
行かないでほしい。一瞬、スタンリーの背中に縋りたくなった。ここで彼が立ち止まって戻って来てエーファを抱きしめてくれたら全部水に流してもいいとさえ思った。それか、自分がベッドから抜け出て走り寄るべきか。
でも、スタンリーはちらりと振り返るだけで出て行った。エーファもベッドから抜け出すことはなかった。
エーファのことを舐めているからあんな態度が取れるのだ。まだ、エーファが後で話し合いに応じると考えている。ため息を無理矢理飲み込んで現実を見た。
「局長、失礼しました。家が焼けた件の賠償は必要ですか?」
アモン・スペンサー局長はようやくリヒトシュタインから視線をはがしてエーファを見た。
「いい顔になった。魔法の跡から見ても分かるが、ドラクロアでサボっていたわけではないようだ」
「ありがとうございます」
さっきまでのスタンリーとの痴話喧嘩もどきを塵芥のようにスルーするのが局長らしい。
「俺はスタンリー・オーバンより君に残ってほしかったのにな。ドラクロアの獣が憎い。一人の人生をたった一年、いや一瞬で狂わせるんだから。うちの魔法がドラクロアの軍事力に匹敵していれば違う未来があったことを悔やまずにはいられない」
局長は言葉とは裏腹に恍惚とした視線をリヒトシュタインに向けた。
「だが、目の前にすると悔やむこともできないほどの実力差があるようだ」
「実力差が分かるということは、お前は引かれた境界で強者側にいる」
「できたら鱗をもらえませんか?」
本当にブレないな、この人。口を挟んだリヒトシュタインに鱗を要求する局長。リヒトシュタインの呆れたような視線を受け、局長は残念そうに肩をすくめるとエーファに視線を戻した。
「これからどうする。黒髪の君に似た人間はここに来たかもしれないが、エーファ・シュミットと断定することは困難だ。つまり、賠償する必要はない。この国から去るつもりならスタンリー・オーバンに裏切られた慰謝料と相殺したらいい」
「後処理でご迷惑をおかけします」
「一生に一度見るか見ないかの竜人に会えたのだから気にする必要はない。それに後処理は部下の仕事だ。部下が大変なだけだし、そこの青い髪の彼がかなり奔走してくれたから」
「ありがとうございます」
エーファがベッドから下りようとすると、リヒトシュタインの手が差し出された。さっきまでこの部屋にいたスタンリー以外、エーファのこれからの行動をすでに予測しているように見える。