反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
第十二章 愛が蘇る時

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「エーギルは連れて帰らなくて良かったの?」
「あのトカゲなら小さくなって鳥に張り付いてドラクロアまで帰る」
「へぇ、それは便利」

 リヒトシュタインに運ばれて虹の谷までたどり着いた頃には夜だった。
 ここまでエーファはぼんやり景色を眺めていたのと、凍死しないように魔法を使っていただけだ。

 エーギルは見送る時になんとも言い難い表情を浮かべていたが、彼の表情を分析する余裕はなかった。局長は最後まで鱗についてリヒトシュタインに聞いていたし、スタンリーには会いもしなかった。ちゃんとさよならと言ったのだし、相手が受け取っていなくてももういいだろう。

 スタンリーがギデオンに殺されていればとも考えたが、やはりそれはダメだ。殺されてしまっていたら、浮気の事実を知ってもきっと彼を美化して許してしまう。

 下り立った虹の谷。
 夜でも一面に虹色の花が輝いて美しい。ここは道中と違って暖かくて天国のようだ。

「天国があったらこんな感じかな」
「人間は皆そう言うらしい。この辺りは気をつけろ。虹の谷にたどり着いたものの、力尽きて寒暖差で死んだ人間の死体があるかもしれん」
「いきなり地獄みたいなこと言わないでよ」

 見回しても死体らしきものはなくてホッとする。

「ここは夜でも暖かいのね」
「そうだな。でないとこれだけの花は咲かない」
「竜人にも花を愛でる趣味があるなんてね」
「竜人は美しいものを好む。もちろん自然も。ここはずば抜けて美しい。だから死体の上に座りたくない。虹の谷を目指す志は美しいが、死体は腐るからな」

 リヒトシュタインは地面をしげしげ眺めた後で座り込んでエーファの手を引っ張った。

「ティファイラが掃除したようだ。死体がない」
「もう死体の話はいいから。ティファイラいないけど」
「あいつはこの場所が気に入っているはずだが、どこかへ遊びに行っているんだろう。竜は自由で気ままだ。竜王が亡くなってから国を出たからな」
「ランハートがルカリオンに殺されてたのを見たけど、ティファイラはそうじゃなくて良かった」
「歯向かわなければ殺されない。ランハートは愚かだ。兄に従っておけば良かったものを」

 リヒトシュタインと背中合わせに地面に座った。背中に固い感触がある。

「ほら、流れ星だ」

 リヒトシュタインの言葉にイーリスの花から空へ視線を移す。たくさんの星が空を彩っていた。

「ここってこんなに星がよく見えるんだ」
「願い事をしないのか?」
「流れ星に?」
「そうだ。人間はよくしているだろう」
「するわけないでしょ。それこそバカみたいじゃない」

 空からイーリスに視線を戻す。

「絵本の中の世界だけよ。星に願って叶うのなんて」
「悲観的だな」
「なんとでも。私は愛に振り回されて傷ついてるんだから。悲観的にも攻撃的にもなる」
「あの嘘つきで情けない男をそんなに愛していたのか」
「分からない。もう、何も分からない」

 愛していると確信していた。約一年ぶりにスタンリーに会ったあの瞬間までは。スタンリーはまるで私の一部のようだったから。でも今は何も分からない。
 あれだけ会いたくて恋焦がれたはずのスタンリーの顔ももう見たくない。命まで懸けたのに、プツンと切れて宙ぶらりんになった気分だ。愛って一体どんな感情で、どんな気持ちになるものなのか。もう思い出せもしない。

「番だったら良かったのに」
「番でも振り回される」
「番だったら浮気しない?」
「一夫多妻制の獣人もいるからな。する奴もいる」
「それって愛って言えるの?」
「俺に聞くな、分かるだろ」

 腹が立ったのでエーファはリヒトシュタインの長い髪の毛を引っ張った。

「愛が何かは知らないが、愛ではないものはなぜかすぐ分かる」

 髪の毛を引っ張ってもリヒトシュタインは怒らなかった。振り返ってエーファの手をつかんだだけだ。

「ここの景色を母に見せたかった。この夜空も。太陽が昇ったら花はもっと美しい。摘んだイーリスではなくこの景色を見せたかった。こう考えるのは愛だろうか?」

 手をつかんだまま、暗闇に光る金色の目がエーファを捉える。

「それは……愛だと思うけど」
「なら良かった。俺は母を愛していたということだな」

 きっと今、エーファは酷い顔をしているだろう。何も分からなくなったエーファと違って、リヒトシュタインは愛が何か分かっているようだから。
 夜で良かった、と思いながらも俯いた。こんな混乱した情けない表情を見られる可能性を少しでも減らしたかった。

「なぜ隠す」

 リヒトシュタインの指が顎に当たる。

「胸を張って顔を上げて堂々としていろ。お前は強い」

 リヒトシュタインの指が顎から目尻に移動する。知らないうちにエーファは泣いていた。
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