反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
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「殺してくれ。エーファになら殺されてもいい」
「なに、急に、言ってるの」
「今すぐ。でないと、あの女を攫ってしまう」
リヒトシュタインの爪はさらに手に食い込んで血が流れ続けている。
「嘘でしょ」
「あの女が俺の番だ」
「じゃあ、別に問題ないんじゃ」
「あの女は結婚してる。臭いで分かる」
「この距離で?」
「竜人、だからな」
エーファは目がいい方だ。はるか遠くに金髪の若い女性がいる。
「とにかく、ここから一刻も早く離れよう」
震えながらリヒトシュタインは自分の指をあらぬ方向に曲げてボキボキ折り始めた。
「な! やめて!」
「こうしていないと衝動に耐えられない。悪いが無理矢理遠くに連れて行ってくれ。マシになるかもしれない」
脂汗を浮かべているリヒトシュタインを身体強化と風魔法で無理矢理引っ張ったのは仕方のないことだった。
かなり離れたところまで連れてきたが、リヒトシュタインの様子は変わらない。
「わざわざ今、番が出てくるなんて」
「皮肉だ。まさかこの場所で会うなんて思わなかった。しかも番を見た時の衝動がこれほど酷いとは」
「ちょ、何してんの!」
「痛みを与えないと今すぐ飛び立ちそうだ」
「だからって何で自分の腕の鱗剝がしてるの!」
「これが竜人にとって最も痛い」
腕に浮き上がった黒い鱗をリヒトシュタインは顔を歪めながら剥いで、エーファに渡してきた。
「竜の鱗一枚で豪邸が三十軒建つ。良かったな。大金持ちだ」
「ふざけないでよ。こんな時に!」
「ふざけていない。エーファには俺が父のようになる前に殺してもらわないといけない。その駄賃だと思えばいい」
周囲の草を魔法で成長させてリヒトシュタインの体を拘束した。リヒトシュタインはさっきから顔色が悪く震えており、拘束したところでそれほど変わった様子はない。
「これでどう?」
「こんな軟弱な拘束はすぐ破れる」
「じゃあ髪の毛でも燃やせばいいの?」
「エーファ。母のような人間をもう生み出したくない」
「だからって死ななくても!」
「いや、この衝動は酷い。今は耐えているがこのままだと……耐え切れなくなる。本当に死ぬしかない。簡単だ、竜人は心臓を刺せば死ぬ。ここだ」
「簡単なら私に殺させないでよ! どっかで一人で勝手に死んで!」
リヒトシュタインの状態が冗談でも夢でもないとエーファに突きつける。急に殺せなどと言われて、エーファは耐え切れなくなって叫んだ。
ただでさえギデオンとスタンリーのことで精神状態が乱れているのに。なぜこんなことが起きるのか。
「悪いが、俺は番への衝動を耐えるのに精いっぱいだ」
「そんなに、なの?」
「あぁ、知らなかった。父もこうだったのだろう。知りたくもなかったが」
「とりあえずあの人を誘拐して、えっと、倦怠期になるまで側に置いたら?」
「駄目だ。多分すぐ発情期に入る。相手に他のオスがいればこうなるんだろう」
衝動を耐えて震えながらリヒトシュタインはエーファの作った植物の拘束をブチっと切った。腕に鱗を浮き上がらせてさらにそれを剥ごうとする。
「毒は? 毒は竜人に効くの?」
「竜人を殺すほど効く毒は一つだけ。キョウチクトウの毒だ。残念ながら、このあたりにはないだろう」
「それなら持ってる。公爵夫人の時に使った」
「良かった」
「良くない!」
心臓を刺す勇気がないから適当に毒について聞いたのに。混乱しすぎて意味が分からなくなってきている。
「一人殺すのも二人殺すのも同じだ。エーファはすでに二人殺しただろう。公爵夫人とあの犬、じゃないオオカミ」
「そんなの、全然違う!」
「違わない。大丈夫だ。良かったじゃないか。竜人を殺すチャンスなんてめったにない。すごいぞ、竜人殺しだ」
ぶちっと鱗を剝いでまたエーファに投げてきた。
「やめてってば!」
おかしい。こんなのおかしい。
さっきまでエーファの方が生きる意味を失って、むしろ死にたかったのに。これは全部夢だ。きっと。
「今は何とか耐えているが本当にマズイ。おそらく母親が人間だったからここまで耐えられるんだろう。親が両方竜人だったら耐えられなかった」
リヒトシュタインの目から血が流れているのを見て、エーファは震えた。さっきまで海辺を歩いていただけなのに。なぜエーファはリヒトシュタインを殺すよう、本人から迫られているのだろう。
「俺を今ここで殺さなければ不幸な人間がまた増える。多分、このままいけばあの女を攫ってすぐ番ってしまう。止めてくれ」
「頑張って耐えるくらいしてよ!」
「無理だ。本当に今で精一杯なんだ」
「適当なことばっかり喋ってるじゃないの」
「口を開いていなければ衝動に耐えられない。あまりに衝動に抵抗していて血管が焼き切れそうだ」
リヒトシュタインの両目から血の涙が流れ始めた。
「父のようには死んでもなりたくない。母のような女性をもう生み出したくない」
「だからって、わざわざ私に殺させないで!」
ギデオンを殺すのとはわけが違う。公爵夫人に毒を飲ませるのとも。
「番に出会うとも思っていなかった。俺の番は竜人にはいなかったから」
リヒトシュタインがさらに鱗を剝がそうとするのを腕を押さえつけて止める。力で押し返されそうになったので頬を叩いた。目の前で自傷行為を繰り返されると気分が悪い。
「死ぬのに鱗なんていらない」
「勝手に話を進めないでよ! あの人攫って番った後、元のところに返したらいいんじゃないの! 子供できたら生んだ後とか!」
我ながらとても酷いことを言っている。自覚はある。ドラクロアから必死に逃げてきたエーファが口にして良い言葉ではない。
「それができたなら、母はああならなかった。番ったら離さないだろう」
リヒトシュタインの顔が苦痛に歪んで、エーファの手が振りほどかれた。
「頼む。お前みたいな人間だって俺は増やしたくない。お前だって無理矢理連れてこられて傷ついただろう。番なんて呪いでしかない」
「番消しは? 作れないの?」
魔法でもう一度リヒトシュタインを拘束する。
「材料となるユニコーンは人間が乱獲したせいで数が激減。不死鳥も人間が追い回したせいで住処を追われた」
「それは悪かったわね!」
エーファはユニコーンも不死鳥も見たことがないが、人間が悪いのでなぜだか謝る羽目になった。番消しが作れていれば、エーファの逃亡は簡単だった。人間の首を絞めたのは人間自身だ。
「お前を最初に見た時、狼煙を上げる人間だと思った」
急に何だろうか。リヒトシュタインは新しい魔法の拘束をいとも簡単に破ると、エーファの腕をつかんだ。金色の目は全く嘘をついていない輝きを放っている。
「俺を殺したら少しはドラクロアへの反撃にもなるだろう。弱い人間が最強の竜人を殺す。これがどれだけドラクロアに搾取され続けた人間にとっての希望になるか、分かるか」
「そんな難しいこと言われても!」
「大丈夫だ。そういう政治的なことは殺してから考えたらいい。キョクチョーにでも聞け」
腕を折れそうなくらい握られる。身体強化しているからまだギリギリ折れていない。
「頼む。早く殺してくれ。俺を父のようにしないでくれ。このままだと俺は」
黒い鱗が剥がれて散らばり、血の涙を流して切羽詰まって懇願する竜人を目の前にしてエーファは何が正しいのかもう分からなかった。
「なぜ泣く」
「分かんない」
自分がなぜ泣いているのかさえ分からないんだから。
「キョウチクトウの毒は抽出した奴でいい?」
「そちらの方がよく効く。そのまま食べるなら葉が三十枚くらい必要だからな」
エーファは小さく頷いた。俯いただけと言い訳できるほど小さく。それでも、リヒトシュタインは安心したように笑っていた。
「なに、急に、言ってるの」
「今すぐ。でないと、あの女を攫ってしまう」
リヒトシュタインの爪はさらに手に食い込んで血が流れ続けている。
「嘘でしょ」
「あの女が俺の番だ」
「じゃあ、別に問題ないんじゃ」
「あの女は結婚してる。臭いで分かる」
「この距離で?」
「竜人、だからな」
エーファは目がいい方だ。はるか遠くに金髪の若い女性がいる。
「とにかく、ここから一刻も早く離れよう」
震えながらリヒトシュタインは自分の指をあらぬ方向に曲げてボキボキ折り始めた。
「な! やめて!」
「こうしていないと衝動に耐えられない。悪いが無理矢理遠くに連れて行ってくれ。マシになるかもしれない」
脂汗を浮かべているリヒトシュタインを身体強化と風魔法で無理矢理引っ張ったのは仕方のないことだった。
かなり離れたところまで連れてきたが、リヒトシュタインの様子は変わらない。
「わざわざ今、番が出てくるなんて」
「皮肉だ。まさかこの場所で会うなんて思わなかった。しかも番を見た時の衝動がこれほど酷いとは」
「ちょ、何してんの!」
「痛みを与えないと今すぐ飛び立ちそうだ」
「だからって何で自分の腕の鱗剝がしてるの!」
「これが竜人にとって最も痛い」
腕に浮き上がった黒い鱗をリヒトシュタインは顔を歪めながら剥いで、エーファに渡してきた。
「竜の鱗一枚で豪邸が三十軒建つ。良かったな。大金持ちだ」
「ふざけないでよ。こんな時に!」
「ふざけていない。エーファには俺が父のようになる前に殺してもらわないといけない。その駄賃だと思えばいい」
周囲の草を魔法で成長させてリヒトシュタインの体を拘束した。リヒトシュタインはさっきから顔色が悪く震えており、拘束したところでそれほど変わった様子はない。
「これでどう?」
「こんな軟弱な拘束はすぐ破れる」
「じゃあ髪の毛でも燃やせばいいの?」
「エーファ。母のような人間をもう生み出したくない」
「だからって死ななくても!」
「いや、この衝動は酷い。今は耐えているがこのままだと……耐え切れなくなる。本当に死ぬしかない。簡単だ、竜人は心臓を刺せば死ぬ。ここだ」
「簡単なら私に殺させないでよ! どっかで一人で勝手に死んで!」
リヒトシュタインの状態が冗談でも夢でもないとエーファに突きつける。急に殺せなどと言われて、エーファは耐え切れなくなって叫んだ。
ただでさえギデオンとスタンリーのことで精神状態が乱れているのに。なぜこんなことが起きるのか。
「悪いが、俺は番への衝動を耐えるのに精いっぱいだ」
「そんなに、なの?」
「あぁ、知らなかった。父もこうだったのだろう。知りたくもなかったが」
「とりあえずあの人を誘拐して、えっと、倦怠期になるまで側に置いたら?」
「駄目だ。多分すぐ発情期に入る。相手に他のオスがいればこうなるんだろう」
衝動を耐えて震えながらリヒトシュタインはエーファの作った植物の拘束をブチっと切った。腕に鱗を浮き上がらせてさらにそれを剥ごうとする。
「毒は? 毒は竜人に効くの?」
「竜人を殺すほど効く毒は一つだけ。キョウチクトウの毒だ。残念ながら、このあたりにはないだろう」
「それなら持ってる。公爵夫人の時に使った」
「良かった」
「良くない!」
心臓を刺す勇気がないから適当に毒について聞いたのに。混乱しすぎて意味が分からなくなってきている。
「一人殺すのも二人殺すのも同じだ。エーファはすでに二人殺しただろう。公爵夫人とあの犬、じゃないオオカミ」
「そんなの、全然違う!」
「違わない。大丈夫だ。良かったじゃないか。竜人を殺すチャンスなんてめったにない。すごいぞ、竜人殺しだ」
ぶちっと鱗を剝いでまたエーファに投げてきた。
「やめてってば!」
おかしい。こんなのおかしい。
さっきまでエーファの方が生きる意味を失って、むしろ死にたかったのに。これは全部夢だ。きっと。
「今は何とか耐えているが本当にマズイ。おそらく母親が人間だったからここまで耐えられるんだろう。親が両方竜人だったら耐えられなかった」
リヒトシュタインの目から血が流れているのを見て、エーファは震えた。さっきまで海辺を歩いていただけなのに。なぜエーファはリヒトシュタインを殺すよう、本人から迫られているのだろう。
「俺を今ここで殺さなければ不幸な人間がまた増える。多分、このままいけばあの女を攫ってすぐ番ってしまう。止めてくれ」
「頑張って耐えるくらいしてよ!」
「無理だ。本当に今で精一杯なんだ」
「適当なことばっかり喋ってるじゃないの」
「口を開いていなければ衝動に耐えられない。あまりに衝動に抵抗していて血管が焼き切れそうだ」
リヒトシュタインの両目から血の涙が流れ始めた。
「父のようには死んでもなりたくない。母のような女性をもう生み出したくない」
「だからって、わざわざ私に殺させないで!」
ギデオンを殺すのとはわけが違う。公爵夫人に毒を飲ませるのとも。
「番に出会うとも思っていなかった。俺の番は竜人にはいなかったから」
リヒトシュタインがさらに鱗を剝がそうとするのを腕を押さえつけて止める。力で押し返されそうになったので頬を叩いた。目の前で自傷行為を繰り返されると気分が悪い。
「死ぬのに鱗なんていらない」
「勝手に話を進めないでよ! あの人攫って番った後、元のところに返したらいいんじゃないの! 子供できたら生んだ後とか!」
我ながらとても酷いことを言っている。自覚はある。ドラクロアから必死に逃げてきたエーファが口にして良い言葉ではない。
「それができたなら、母はああならなかった。番ったら離さないだろう」
リヒトシュタインの顔が苦痛に歪んで、エーファの手が振りほどかれた。
「頼む。お前みたいな人間だって俺は増やしたくない。お前だって無理矢理連れてこられて傷ついただろう。番なんて呪いでしかない」
「番消しは? 作れないの?」
魔法でもう一度リヒトシュタインを拘束する。
「材料となるユニコーンは人間が乱獲したせいで数が激減。不死鳥も人間が追い回したせいで住処を追われた」
「それは悪かったわね!」
エーファはユニコーンも不死鳥も見たことがないが、人間が悪いのでなぜだか謝る羽目になった。番消しが作れていれば、エーファの逃亡は簡単だった。人間の首を絞めたのは人間自身だ。
「お前を最初に見た時、狼煙を上げる人間だと思った」
急に何だろうか。リヒトシュタインは新しい魔法の拘束をいとも簡単に破ると、エーファの腕をつかんだ。金色の目は全く嘘をついていない輝きを放っている。
「俺を殺したら少しはドラクロアへの反撃にもなるだろう。弱い人間が最強の竜人を殺す。これがどれだけドラクロアに搾取され続けた人間にとっての希望になるか、分かるか」
「そんな難しいこと言われても!」
「大丈夫だ。そういう政治的なことは殺してから考えたらいい。キョクチョーにでも聞け」
腕を折れそうなくらい握られる。身体強化しているからまだギリギリ折れていない。
「頼む。早く殺してくれ。俺を父のようにしないでくれ。このままだと俺は」
黒い鱗が剥がれて散らばり、血の涙を流して切羽詰まって懇願する竜人を目の前にしてエーファは何が正しいのかもう分からなかった。
「なぜ泣く」
「分かんない」
自分がなぜ泣いているのかさえ分からないんだから。
「キョウチクトウの毒は抽出した奴でいい?」
「そちらの方がよく効く。そのまま食べるなら葉が三十枚くらい必要だからな」
エーファは小さく頷いた。俯いただけと言い訳できるほど小さく。それでも、リヒトシュタインは安心したように笑っていた。