反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

6

「これからどうする」

 気怠くて眠りそうになっていたら、後ろからリヒトシュタインの声がする。見上げるように頭を動かすと彼の肩に頭が当たった。

「んー……今眠くてあまり考えられない」

 腕が回ってきて座ったまま抱きしめられる。温かさでまた眠りそうになったが、首に唇の感触を感じリヒトシュタインの頭を叩いた。

「ムードがないな」
「どっちが」
「それに関しては悪かった。初めてがこんな場所で」
「ちょっと黙って」

 今度は手のひらで口を塞いだ。金色の目にはエーファの反応を面白がるような様子が浮かんでいる。
 しばらくリヒトシュタインはそのまま何の反応もしなかったが、エーファの手を口からゆっくり外すと腕に唇を這わせた。

「ちょっと!」
「なんだ、本当にムードがないな。このムードについてこれないほどお子ちゃまなのか」
「今ムードなんて関係ないから。大体、つい最近までセミ扱いだったでしょ。何急にお子ちゃま扱いしてるの」

 腕を引き抜くと残念そうな顔をされた。

「今は番だ」
「態度を急変させないで」
「なぜだ? エーファが俺を番にしたのに」

 逆。それ逆だから! 私が選んで番になったの! と叫びたいのを堪える。自分で口にするのは恥ずかしいから。

「態度の変化についていけないから。番になったからって香りに惑わされてるだけでしょ。そもそも私はニセモノの番なんだから」

 彼に触られたところがゾワゾワして思わず腕をさする。

「セミ扱いの方がいいの」
「セミほど尊敬に値するものはない。命を燃やして鳴く声には風情がある。違うか?」

 リヒトシュタインを睨んだが、面白そうに笑うだけでまた抱き寄せられた。

「発情期なの?」
「そうかもしれない。なったことがないからそうなのか分からない」
「とにかく、倦怠期になって今すぐ。それか離れて」
「全身で俺に寄りかかっているくせによく言う」
「じゃあ、私が離れるからもういいでしょ」
「父は母を攫って三日は部屋から出てこなかったようだから、これほど軽く済んでいるのは」
「そこは詳しく説明しないで」

 怠い体に力を入れて立ち上がろうとするが、腕が腰に回って阻止された。

「番に振り回されすぎじゃない?」
「エーファだって愛に振り回されてる。あんなに魔法が使えてオオカミ獣人も平気で殺すのに」

 反論したいができなかったのでエーファは悔しいが口をつぐんだ。

「エーファが俺を生かしたんだ」

 黙ったエーファの耳元で後ろからリヒトシュタインが囁く。エーファは唇をとがらせた。
 正直、あの場での決断は本当に迫られたからで……こうやって死の足音が遠ざかるとこの状況は恥ずかしい。
 
 リヒトシュタインの態度の変化についていけないのは、まだ怖いから。番紛いを使ってでも誤魔化した番だから裏切られないとも感じるのに、番だからこんな態度になったのだと考えると苦しい。

 エーファが思考に沈んでいると、リヒトシュタインはエーファの髪の毛をいじり始めた。

「好き嫌いを超えて、このクソみたいな世界で一緒に生きていく。それをエーファの口から聞いた時に愛だと思った」

 クソみたいな世界なんてエーファは言っていない。ムードにうるさいくせに自分でムードを壊す竜人相手にツッコミは入れないが。

「困ったら死ねばいいと思っていた。だが良いことも悪いことも、エーファと一緒なら乗り越えていけると思った」
「地獄かもよ? もっと不幸になるかも」
「それでも一緒にいてくれるとエーファは決めてくれただろう?」
「そうだけど」
「その意志こそが愛の始まりだと思う」

 リヒトシュタインを殺すしかないのかを迫られた極限状態で出した答えが、愛なのか。

 思い返せば、エーファが辛い体験をするたびに彼はそばにいた。
 最初に天空城で出会った時もエーファは無理矢理ドラクロアに連れてこられたばかりで気分は最悪。セレンが死んだ後に天空城へ行った時もこれ以上自分の無力さに落ち込むことはないと思っていた。
 そして最悪だったのはスタンリーとのことだ。同じだけの愛を返してくれないスタンリーの裏切りにもう立ち上がれないと思ったのに。なぜかリヒトシュタインは今回もエーファの前に現れている。

 でも、運命なんて信じたくない。決めたのは自分なのだと信じたい。でなければすぐ後悔しそうだから。

 エーファはリヒトシュタインの方に思い切り体重をかけた。ずるずる体が移動してリヒトシュタインの膝の上に頭を置いている状態になる。

「これは運命ではなく、意志だ」

 何も答えないエーファの心の内を見透かしたようにリヒトシュタインは言う。エーファは唇を尖らせて、違う話をした。

「この国に居続けるのも不安だし、ヴァルトルトに帰る気もない」
「ドラクロアに帰るか」

 思いもよらないリヒトシュタインの言葉に空に向けていた視線を彼に移す。金色の目は温かな焚火のような温度を持ってエーファを見つめていた。目が離せなくなる。

「番紛いについて分からないことが多すぎる。調べるにはドラクロアに戻るのが手っ取り早い」
「それは、そうね」
「どうせあの兄にも番紛いは必要だろうから。この時期まで竜人の中から番が見つからないなら、兄の番もきっと……」

 言いたいことが分かったのでエーファは軽く息を吐いた。また誰かが不幸になるかもしれない。

「多分、兄なら俺ほどあの衝動に耐えられないだろう」

 また息を吐きかけて、エーファはリヒトシュタインの鱗の剥がれた方の腕を掴んだ。

「剥いだ鱗は生えてくるの?」
「ずっと一緒にいるんだから俺の腕を見ていればいい」
「不安だから教えてよ。どっちなの?」
「五から三十年で生えてくる。小さいものほど生えてくるのが早い」
「良かった」
「鱗で大金持ちだからか?」
「そうじゃなくて。いざとなったら局長の餌にできるだけ」
「もう他の男の話か。ムードがないな」

 軽く笑いながらリヒトシュタインが顔を近付けてくる。エーファは彼の黒髪を引っ張った。

「ドラクロアに戻ろっか」
「あぁ、天空城に。始まりの場所だな」

 最初のキスは涙の味がした。ギデオンとのキスは気持ち悪いだけだった。
 前のキスは血の味がしたけれど、今回はそうではなかった。
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