反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
第十三章 二人ぼっち

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 決めたといっても、すぐドラクロアに戻ったわけではない。
 三カ月ほど二人で他国をぶらぶらしていた。エーファがまだ心を切り替えられなかったせいもある。ドラクロアに戻るには心の準備が必要だった。天空城に行くのだとしても。

 ドラクロアに連れて行かれてから緊張の連続で、ドラクロアから抜け出しても緊迫感があった。だから今は最も穏やかな時間が流れている。

 メルヴィン王国ではない国で海を見た。真っ白な砂浜を歩き、海に足をつけ、海と太陽が出会う瞬間も目撃した。

「ずっと母がいつ死ぬか気を揉んでいたから、こんなに平和な時間は初めてだ」

 砂浜に座り込んだリヒトシュタインが呟く。

「ドラクロアを出てからどうしてたの?」
「メルヴィン王国で放浪していた」
「よくこの前まで番に会わずに済んでたね」
「本当に皮肉だ」
「その人間離れした外見で歩き回っていれば目立ったと思う」
「認識阻害はかけている」
「うわぁ」

 海に入っていたエーファは海水をすくって勢いよくかけた。

「塩辛い」
「そりゃあ、海だから」

 髪と顔に海水がかかったのに気にすることもなくリヒトシュタインは立ち上がり、バシャバシャとエーファの立っているところまで近づいて来た。

「さっきは海に入らないって言ったのに」
「気が変わった。踊ろう」
「なんで踊るの。そもそもここ、貝殻で足の裏が痛い」
「海の上で踊ればいい。簡単だ」

 リヒトシュタインがエーファの腕をつかんで引っ張り上げる。足に当たる冷たい感触がなくなって、見下ろすと海面の上に立っていた。

「魔法?」
「あぁ。シャンデリアと楽団は出せないが」

 差し出されたリヒトシュタインの手をぼんやり眺める。シャンデリアと楽団という二つの言葉を聞いて思い出すのはたった一つだけ。

 話をしただろうか。母国を出てから二人でずっと一緒にいるから話したかもしれない。リヒトシュタインの長い指を眺めながら、苦々しい始まりを嫌でも思い出す。スタンリーと踊りたくて、でも結局踊ることの叶わなかったあのパーティーを。

 そして何の因果なのか。ギデオンのいたドラクロアに戻ることは決まっている。

「そんなに躊躇するほどダンスが下手なのか」
「失礼ね」
「俺は丈夫だから踏まれても骨は折れない」
「あなたこそ踊れるの?」
「竜人は何でもできる」
「私だって運動神経はいい方よ」
「それをお転婆と人は呼ぶだろう」

 からかうようなリヒトシュタインの言葉に、心の片隅で小さな傷が主張するように微かな音を立てる。その音を無視してリヒトシュタインの手に自身の手をゆっくり乗せた。太陽の光をきらきら反射する波の上で引き寄せられる。

「なんで急に踊ろうって?」
「気分だ。それに思い出した」
「何を? ここ来たことあるの?」
「いや、そろそろ俺の誕生日だ。前にエーファが聞いてきた時はすっかり忘れていた」
「え、嘘でしょ。聞いたのってほんの数日前よ。どうしてこんなに日が近いのに忘れるの」
「竜人は長く生きる分、日付の感覚が曖昧だ。それに誕生日を祝う習慣が人間のようにない。竜王の誕生日は祝うが、竜王でさえも誕生日はこのあたりのどれかという感じだ」

 ひょいと腕を上げて一回転させられ、再び向かい合う。

「母が人間だったから、俺はまだ正確に覚えている方だ。日付は覚えていないが」
「じゃあ、お祝いしないと」
「竜人は長生きだから何度も祝わないといけなくなる」
「誕生日っていうのは祝うものよ。あと、生んでくれた母親に感謝する日よ」

 リヒトシュタインは返事をしなかった。その代わりに抱き上げられて回転が入る。

「なんでそんなに回転入れるのよ!」
「大人しいダンスは好きじゃない。何より相手はお転婆だ」
「セミの間違いでしょ」
「しっかりついてこい」

 文句を言いながらも反射する太陽の光がシャンデリアのようで、波の音が音楽のようだった。

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