反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
第十四章 残火
1
ぐしゃっと目の前で材料が一瞬で無駄になった。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、たくさんありますので。これはただの手順確認で本番ではないので」
新しいチェサレの葉を、顔を赤らめているアヴァンティアに差し出す。
「前もこんな感じで作ったんですか?」
「そうね……」
「いえ、あの。以前はよく番紛いができたなと」
細かい作業が苦手と聞いていたが、ここまでとは。これでは細かく切り刻む作業なんてできないだろう。エーファはさまざまな作業を魔法でやるが、アヴァンティアが魔法でやろうとすると材料がほぼ炭になる。
リヒトシュタインを見ると少しおおざっぱではあるものの、難なくやっている。個人差があるらしい。
「このせいで失敗したのかもしれないわ」
「失敗した番紛いを飲むとどうなるか、他に情報はありませんか?」
「ないのよ」
「匂いが変わって先代竜王陛下に番だと思われたのかもしれませんね」
アヴァンティアは番紛いを試しに作るのを諦めて、エーファの作業を見ているだけにしたようだ。
材料をすべて入れて撹拌すると、淡い水色の液体が出来上がる。それを見てアヴァンティアは余計に顔を赤らめて目をそらした。
「私が作った時はもっと濃い色だったわ」
「なるほど。ここに髪の毛などを入れると無色透明になります。こんな感じで作ります」
「分かったわ。私ではとても無理ね」
リヒトシュタインが作業していたものは、やや濃い青色になった。
「これって何が違うんでしょう」
「飲まなければ分からないわ」
ちらりとリヒトシュタインを見ると、嫌そうな顔をされた。
「一度飲んでいたら意味がないわよ。それに番っているでしょ、余計に意味がないわ」
鼻が利く種族はこれだから嫌いだ。昨晩食べたものまでバレるのだろうか。
「あとは竜王陛下の髪の毛をもう少し集めていただくだけです」
「ルカリオンは説得できそうかしら?」
「これから頑張ります」
「私だって息子を騙したくはないけれど……難しいと思うわ」
「失敗したらもう仕方がありません。リヒトシュタインに手伝ってもらって力技で飲ませます」
「その案は聞いていないな」
「ルカリオンを抑え込めるのはリヒトシュタインだけだものね」
手順を覚えていることは確認した。森で採ってきた材料にもまだまだ余裕がある。一度採取しているから場所も覚えているのは大きい。あとは髪の毛さえあればすぐに完成する。
アヴァンティアが部屋から出て行ってから、貸してもらった資料を広げた。
「兄に無理矢理飲ますのか」
「アヴァンティア様の前で言っただけで本気では考えてない」
リヒトシュタインの作った青色の液体をしげしげ観察する。ギデオンにはおそらく番紛いは効いていて、リヒトシュタインにもきっちり効いているから作り方はエーファのやった通りでいいはずだ。この青色と水色の違いは一体……。
「何をおかしなことを考えている」
青い液体をひょいと取り上げられた。
「飲んでみたら違いが分かるかなって」
「やめておけ」
「人間には番の概念がないから大丈夫じゃない?」
「万が一、エーファの匂いが変わったら困る」
「ねぇ。なんで首筋の匂いを嗅いでるの、気持ち悪いんだけど」
「番の匂いはここが一番強い」
「ギデオンはこんなことしてなかったよ」
突然首筋に顔を埋めたリヒトシュタインの頭を押し戻そうとするが、舌打ちが聞こえた。
「犬は竜人よりも鼻がいいからな」
「オオカミって竜人よりも鼻がいいんだ?」
「他のすべての点は竜人が優れている」
「嗅覚で張り合わなくていいと思うけど」
「そもそも他の男の名前を出すな」
「じゃあなんて呼べばいい? 私が殺したあの犬、とか?」
「殺した犬のことなんて話さなくていいだろう」
リヒトシュタインは軽く唸り声を上げながら首筋を噛んできた。
「痛い」
すぐ離れるかと思ったのに、そのまま抱きしめられた。
「変態」
アヴァンティアが握りつぶしたり、粉々にしたりしたせいで周囲には植物の香りが漂っている。それをかき消すようにリヒトシュタインは首筋に鼻を当ててくる。
ぐいぐい押してみたがびくともしない。諦めて彼の髪で遊びながら考える。もし、エーファの番としての匂いが変わったら彼の態度も変わるのだろうか。
いや、それよりも気になるのは。
番ったら人間でも寿命が長くなると宰相が言っていた。でも、きっとエーファの方が先に死ぬだろう。共鳴期になっていたらリヒトシュタインもやがて死ぬことになる。エーファが番紛いを飲ませてしまったばかりに彼は早く死ぬのだ。
母親のことで傷ついた彼はエーファが死んだ時に泣いてくれるだろうか。別に泣いてくれなくていいか。ただ、彼の傷が少しでも癒えていることを願う。背中の傷も心の傷も。そうしたらエーファが死んだ時でもそんなに悲しくないだろう。
死ぬ前に番の匂いが変わったら、情が薄れて少しは彼の悲しみも軽くなるだろうか。もしかして、そうすれば長生きしてくれるだろうか。番消しが確実だろうか。
「何を考えている」
ぼんやり考えていると、やっとリヒトシュタインが首筋から離れた。
「なんで私の考えてることをそんなに知りたがるの」
「嫌な感じがした」
「陛下をどうやって説得しようかなって」
胸が痛まない程度の小さな嘘をつく。金色の目が探るようにエーファを見てくるが、わずかでも考えていたことなので完全な嘘ではない。
「なに? リヒトシュタインのことを考えてたって言えば良かった?」
「そっちの方が断然いい。この状況で他の男のことを考えるのはムードがなさすぎる」
「こんなに薬草臭いのにムードなんてもともとないでしょ」
考えていたけれど、本当のことを言えば面倒なことになるだろう。彼が持ったままだった青い液体を取り上げて空間の中に入れた。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、たくさんありますので。これはただの手順確認で本番ではないので」
新しいチェサレの葉を、顔を赤らめているアヴァンティアに差し出す。
「前もこんな感じで作ったんですか?」
「そうね……」
「いえ、あの。以前はよく番紛いができたなと」
細かい作業が苦手と聞いていたが、ここまでとは。これでは細かく切り刻む作業なんてできないだろう。エーファはさまざまな作業を魔法でやるが、アヴァンティアが魔法でやろうとすると材料がほぼ炭になる。
リヒトシュタインを見ると少しおおざっぱではあるものの、難なくやっている。個人差があるらしい。
「このせいで失敗したのかもしれないわ」
「失敗した番紛いを飲むとどうなるか、他に情報はありませんか?」
「ないのよ」
「匂いが変わって先代竜王陛下に番だと思われたのかもしれませんね」
アヴァンティアは番紛いを試しに作るのを諦めて、エーファの作業を見ているだけにしたようだ。
材料をすべて入れて撹拌すると、淡い水色の液体が出来上がる。それを見てアヴァンティアは余計に顔を赤らめて目をそらした。
「私が作った時はもっと濃い色だったわ」
「なるほど。ここに髪の毛などを入れると無色透明になります。こんな感じで作ります」
「分かったわ。私ではとても無理ね」
リヒトシュタインが作業していたものは、やや濃い青色になった。
「これって何が違うんでしょう」
「飲まなければ分からないわ」
ちらりとリヒトシュタインを見ると、嫌そうな顔をされた。
「一度飲んでいたら意味がないわよ。それに番っているでしょ、余計に意味がないわ」
鼻が利く種族はこれだから嫌いだ。昨晩食べたものまでバレるのだろうか。
「あとは竜王陛下の髪の毛をもう少し集めていただくだけです」
「ルカリオンは説得できそうかしら?」
「これから頑張ります」
「私だって息子を騙したくはないけれど……難しいと思うわ」
「失敗したらもう仕方がありません。リヒトシュタインに手伝ってもらって力技で飲ませます」
「その案は聞いていないな」
「ルカリオンを抑え込めるのはリヒトシュタインだけだものね」
手順を覚えていることは確認した。森で採ってきた材料にもまだまだ余裕がある。一度採取しているから場所も覚えているのは大きい。あとは髪の毛さえあればすぐに完成する。
アヴァンティアが部屋から出て行ってから、貸してもらった資料を広げた。
「兄に無理矢理飲ますのか」
「アヴァンティア様の前で言っただけで本気では考えてない」
リヒトシュタインの作った青色の液体をしげしげ観察する。ギデオンにはおそらく番紛いは効いていて、リヒトシュタインにもきっちり効いているから作り方はエーファのやった通りでいいはずだ。この青色と水色の違いは一体……。
「何をおかしなことを考えている」
青い液体をひょいと取り上げられた。
「飲んでみたら違いが分かるかなって」
「やめておけ」
「人間には番の概念がないから大丈夫じゃない?」
「万が一、エーファの匂いが変わったら困る」
「ねぇ。なんで首筋の匂いを嗅いでるの、気持ち悪いんだけど」
「番の匂いはここが一番強い」
「ギデオンはこんなことしてなかったよ」
突然首筋に顔を埋めたリヒトシュタインの頭を押し戻そうとするが、舌打ちが聞こえた。
「犬は竜人よりも鼻がいいからな」
「オオカミって竜人よりも鼻がいいんだ?」
「他のすべての点は竜人が優れている」
「嗅覚で張り合わなくていいと思うけど」
「そもそも他の男の名前を出すな」
「じゃあなんて呼べばいい? 私が殺したあの犬、とか?」
「殺した犬のことなんて話さなくていいだろう」
リヒトシュタインは軽く唸り声を上げながら首筋を噛んできた。
「痛い」
すぐ離れるかと思ったのに、そのまま抱きしめられた。
「変態」
アヴァンティアが握りつぶしたり、粉々にしたりしたせいで周囲には植物の香りが漂っている。それをかき消すようにリヒトシュタインは首筋に鼻を当ててくる。
ぐいぐい押してみたがびくともしない。諦めて彼の髪で遊びながら考える。もし、エーファの番としての匂いが変わったら彼の態度も変わるのだろうか。
いや、それよりも気になるのは。
番ったら人間でも寿命が長くなると宰相が言っていた。でも、きっとエーファの方が先に死ぬだろう。共鳴期になっていたらリヒトシュタインもやがて死ぬことになる。エーファが番紛いを飲ませてしまったばかりに彼は早く死ぬのだ。
母親のことで傷ついた彼はエーファが死んだ時に泣いてくれるだろうか。別に泣いてくれなくていいか。ただ、彼の傷が少しでも癒えていることを願う。背中の傷も心の傷も。そうしたらエーファが死んだ時でもそんなに悲しくないだろう。
死ぬ前に番の匂いが変わったら、情が薄れて少しは彼の悲しみも軽くなるだろうか。もしかして、そうすれば長生きしてくれるだろうか。番消しが確実だろうか。
「何を考えている」
ぼんやり考えていると、やっとリヒトシュタインが首筋から離れた。
「なんで私の考えてることをそんなに知りたがるの」
「嫌な感じがした」
「陛下をどうやって説得しようかなって」
胸が痛まない程度の小さな嘘をつく。金色の目が探るようにエーファを見てくるが、わずかでも考えていたことなので完全な嘘ではない。
「なに? リヒトシュタインのことを考えてたって言えば良かった?」
「そっちの方が断然いい。この状況で他の男のことを考えるのはムードがなさすぎる」
「こんなに薬草臭いのにムードなんてもともとないでしょ」
考えていたけれど、本当のことを言えば面倒なことになるだろう。彼が持ったままだった青い液体を取り上げて空間の中に入れた。