反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

4

「あの? 竜王陛下?」

 急にうずくまったルカリオンに呼びかける。彼は顔だけこちらに向けた。

「……お前」
「はい」

 ルカリオンは鼻と口を覆ったまま呼びかけてくる。息を乱していて明らかに様子がおかしい。
 返事をして近付こうとしたが、また大きなブラックバードが城の中に入って来た。

「凍らせろ!」

 え、そういう魔法は苦手なのに。仕方なく火魔法の発動をやめて切り替える。翼と足を凍らせたら後ろから舌打ちが聞こえた。ルカリオンが指を鳴らす。

「へたくそが!」

 全身が凍ったブラックバードが目の前にいた。

「全身を凍らせる必要があるとは思いませんでした。魔力の節約です」
「あのブラックバード、おかしな匂いがつけてあるから燃やすと広がる」
「おかしな匂い、ですか?」
「あぁ、全身を凍らせないとずっと振りまく」

 クンクンやってみても何もおかしなことはない。

「人間が攻めてきているのだから、人間には効かないように調整されているのだろう。それより、さっき話していた番紛いを出せ。今すぐに」

 ルカリオンは冷静に話をしているようで、よくよく見ると冷や汗をかいている。問い返さず、オルタンシアの髪の毛を入れてから無色透明になった番紛いを取り出した。

 ルカリオンは受け取ってすぐに飲み干す。エーファが「責任は取りたくないですが……」と言い訳がましく口を挟む暇もなかった。一滴もこぼさずに飲み切ってからルカリオンはしばらく肩で息をしながら黙っていた。

「番に似た匂いをこの魔物たちは振りまいている。嗅いだら酩酊状態に近くなる。番がいる者は惑わされないだろうが強い匂いであれば抗いがたいだろう」
「番紛いを飲んだら大丈夫なんですか?」
「ここはまだ匂いが強くない。強制的に番がいることにすればまだ抗える」

 ルカリオンは服の袖を裂くと口と鼻を覆うようにつけた。

「ここまでブラックバードが入ってきたということは、外の竜人や竜は酩酊状態だということだ。オルタンシアは……番紛いを飲んだのか」
「渡してありますが、飲んだかはわかりません。陛下のお返事次第でしたから」
「嘘をつくな。あの女が俺の返事次第などと殊勝なことを言うはずがない」
「嘘と言われても」

 オルタンシアの性格をエーファはよく知らない。そもそも竜人のことをまだよく知らない。オルタンシアが番紛いを飲んでから夜這いをかけようが何をしようが、エーファにはあまり関係ない。

「竜人の執着を舐めてはいけない。番であろうとそうでなかろうと。一度でも好むとしつこくしぶとい」
「はぁ」

 それは今話すことなのだろうかと思いながら、エーファは火魔法で焼かれて転がっていたブラックバードを念のため凍らせる。

「下界はもっと酷い状態だろう。お前は人間で鼻が利かないから地上へ行ってこい」
「陛下はどうされますか?」
「竜人が出て行っても酩酊状態になるだけだ。ここでひとまずブラックバードを狩り、すでに振りまかれた匂いを何とかしよう。下界でも何やら焚いているようだからな。お前はその匂いの元を断て。ここから攻撃して余計に広がっては戦力が減る一方だ」
「下界には干渉しないのかと思っていました」
「セイラーンによる侵攻だ。俺はセイラーンに良い様にされた竜王として名を遺す気はない」

 ブラックバードが入ってきた時から薄々分かってはいた。あのオウカが実験していたくらいだ。その情報はセイラーンに流れていたのだろう。

「リヒトにも帰ってくるよう鳥を出した」
「鳥は……影響を受けないんですか」
「鳥の嗅覚はそれほど発達していないから大丈夫だ」
「では、リヒトシュタインは下界に来ないように言ってください。それか、私が下界にいることは内緒にしてください」

 ルカリオンは魔法で風を生み出して窓へと匂いを拡散させていたが、エーファの方を振り返った。

「普通は助けてほしいんじゃないのか」
「もし酩酊状態になるかもしれないなら来てほしくありません」
「俺が止めたところであいつは行くだろう。あいつは俺より強いからな」
「それでも止めてください。私は囚われの姫君ではないので助けはいりません」
「お前ほど姫君という言葉が似合わない人間はいない」

 失礼な竜人だ。アヴァンティアの触った材料で作った番紛いでも飲ませれば良かった。

「酩酊状態になったら正気に戻るためにまた鱗を剥ぐかもしれません。知っている相手の自傷行為なんてもう見たくありません」

 ルカリオンはなぜか面白そうにすっと目を細めた。
 エーファにとっては、セレンの自殺とリヒトシュタインの死を願っていた様子がトラウマになっているというのに。

「善処しよう」

 エーファは頷いて背を向けかけて、再度振り返った。

「あの。私がセイラーンに寝返るということは考えないんですか?」
「寝返るのか?」
「私が質問しています、陛下」
「お前が寝返るのなら今ここで殺しておこう。リヒトが悲し……いや怒り狂うだろうな」

 エーファは何とも言えずにただただルカリオンを見た。彼は面倒くさそうに肩をすくめる。

「セイラーンに寝返らなくとも、この状況ならリヒトが帰ってくればドラクロアは簡単に滅ぼせる。竜人も大半はしばらく使い物にならない。お前がセイラーンに寝返る必要がどこにある。リヒトがいるのに」
「そんなことで彼に頼るわけではありません」
「お前の矮小な考えはどうでもいい。俺は気が長い方ではない。裏切らないならくだらない喋りはせずに早く行け」
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