反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
6
「あっちで魔物がたくさん凍ってんだが。一体何があった?」
現れたのはハンネス隊長だった。隊長の声は聞きなれていたはずなのに、声だけで分からなかった。今日に限って聞き取りにくいおかしな声だ。
彼はエーファを視界に入れると一瞬立ち止まったが、すぐに察したらしくニヤニヤ笑った。エーギルのように質問してこないところがとても隊長らしい。危機的なこの状況に似つかわしくないその表情にたまらない懐かしさを感じた。
「なんだ。凍らせたのはエーファか。びびったぜ」
「魔物も匂いを振りまいているらしくて、燃やすと匂いが広がるから凍らせろと竜王陛下が」
「ははぁ、なるほどな」
でも、おかしい。ハイエナ獣人は鼻が利くはずだ。なぜハンネス隊長は動けているのか。
「どうしてハンネス隊長は大丈夫なんですか」
「俺はな、今ひでぇ鼻風邪をひいてるんだ」
「鼻風邪……? 獣人が鼻風邪?」
「気温差が激しくなるとすぐ鼻が詰まるんだよ。はー、ほんっと腹立つ」
ズビズビと派手に鼻をすすりながらハンネス隊長は普段と違う声で話す。鼻が詰まっていたからおかしな声だったのか。そんな強面で気温差などと繊細なことを言われても、本人は大変そうでこう言っては失礼だが説得力がない。
「ま、まぁ鼻が詰まって無事だったならそれはそれで……」
「あー! 結果オーライだが、ほんっと鼻が詰まりすぎてイライラする!」
「ひとまず俺は戻って状況を伝えてくる。匂いの元はセイラーン軍の後方にある怪しげな箱の中だろう。そこから粉らしきものを取り出して兵たちが撒いている。魔物にも付着しているようだな」
ズビッとハンネス隊長が再び鼻をすする音が響く中、エーギルは「魔物は頼んだ」と背を向けた。
「あの、ミレリヤは元気?」
今聞くことではない。そんなことは分かっているが、思い出してしまったのでエーギルの背に問いかけた。セイラーンが攻めてきて少しピリついた雰囲気はあるものの、エーギルにもハンネス隊長にも焦燥感はない。これがドラクロアの強者の余裕なのか。
「彼女はもうすぐ出産のはずだ」
「そっか。もうそんな時期」
「セレンティアのこともエーファのこともカナンが徹底して内緒にしている」
「なら安心した」
「多分、彼女は勘づいているだろうが」
カナンのことは嫌いだが、ミレリヤのことは気になった。ギデオンの件が片付くまでは自分のことばかりだったし、片付いたら片付いたでスタンリーのことや番紛いのことで余裕がなかった。
カナンもどこかでブラックバードと交戦しているだろう。カナンのことは本当の本当に嫌いだが、彼が怪我でもしたらミレリヤが悲しむ。
エーギルは背を向けたまま横顔と視線だけこちらによこす。
「セイラーンを退けたら会えばいいんじゃないか。我々にとっての脅威はこの匂いと魔物。セイラーンの兵士に対して我々は身体能力で上回るから脅威ではない。セイラーンに魔法は存在しないしな」
エーギルの背中を見送ってから、言葉は交わしていないのに当然のようにハンネス隊長と移動する。最近は魔物を狩ることなどしていなかったが、すぐに十三隊にいた頃を思い出せる。
「三時の方向に一体。見えるか」
「見えました」
「あとは十時の方向に二体」
ハンネス隊長は鼻が死んでいるだけで、耳はいい。音で魔物の位置を特定している。
「すげぇな。さっきより命中率あがってねぇか」
「さすがにこれだけ氷魔法連発していたら遠くでも当たるようになります。見える距離にいないと意味がないんですけど」
「火の魔法だけなのかと思ってたぜ。ん、この辺にはもう魔物はいねぇらしい」
「火の魔法で焼いていいなら得意なんですけどね」
しばらく耳をそばだてていたハンネス隊長は、しゃがんでいた体勢から立ち上がってまた移動を始める。
「魔物にどんな変異させてるか分からねぇから警戒するにこしたことはない」
「どうしてオウカが死んだ直後ではなく、今頃侵攻してきたんでしょうか」
「王女だったから亡くなったことはセイラーンに知らせたんだよ。遺体返還要請が来たんだがトリスタンが遺体を返さなかったのがでけぇんじゃないか。あいつ、一緒に焼いたからな」
「ええっと、何と一緒に焼いたんですか?」
「自分と自分の屋敷とオウカ・マキシムスの遺体」
「……流行ってるんですか、それ」
「最初に屋敷に火つけたのはお前の知り合い、つーかエーギルの相手だろうが」
「そうですね……じゃあ宰相は?」
「自殺だな」
「そうですか」
「種族によっては番の遺体にさえ異常に執着するからな」
「聞かなきゃ良かったです……」
「そんな扱いをしたから余計怒ってんだろ。骨だけでも返還しようとしたがセイラーン側は相当怒ってたらしいぞ」
「それはそうでしょう。そもそもオウカのことは宰相が殺していたじゃないですか……でも、正直少し羨ましいですね。だって私の友達は母国から骨の返還要請が来なかったと思いますから。そもそも死んだことも通達されているか分かりません」
エーファがギデオンの番とされていた時にもし死んでいたら、返還要請を家族や国は出してくれただろうか。多分、出さないだろう。何となくそんな気がする。
オウカは王女だった。元の身分は大きい。そして正直羨ましい。
セレンの髪の毛と髪飾りだけは母国の恋人の墓に入れたけれど、きっと骨でも帰りたかったはずだ。
「考え方は国と……人によって違うだろうな」
ハンネス隊長は急に立ち止まった。
「お前がなんでドラクロアに帰って来たかは分からねぇ。なんとなく察しはつくが」
相変わらず鼻をすすりながら、隊長は唐突にさっき聞いてこなかったことを話題にした。
「ここからは二手に分かれる必要がある。あっちからは魔物が来る。足が速い奴だ。こっちからはセイラーンの兵士が来る。魔物はお前に任せたと言いたいところだがお前はもう俺の部下じゃねぇし、セイラーンの兵士でもない。お前は勝手にドラクロアに連れてこられて、オウカみたいにならなかっただけだ。んで、なぜかこのタイミングでまた戻って来た」
一体、隊長は何を言い出すのか。ハンネス隊長をまじまじ見つめてもいつもと違うのは光る鼻水のみ。
「今回の侵攻は起こるべくして起こったんだろ。番という存在を他国にまで求め始めた時から、こうなる可能性はそこら中に転がってた。トリスタンのバカがもっとうまく対応していればセイラーンもここまで怒らなかった」
人型をとっていた隊長はだんだん獣化していく。
「俺としてはあっちから来る魔物を凍らせてくれたら助かるが、まぁお前の好きにしろ。ドラクロアのために戦う筋合いは今のお前にはないからな。どっちにしろこれ以上は進まずに一度戻ってエーギルのとこへ行け」
「え、隊長?」
ハイエナの姿になったハンネス隊長はあっという間に駆けだした。
なんで? なんで散々森を一緒に歩いておいてドラクロアのために戦う筋合いはないって? 羨ましいって言ったからあんなことを隊長は言ったんだろうか。
土を踏みしめる複数の足音が聞こえてエーファは振り返った。
現れたのはハンネス隊長だった。隊長の声は聞きなれていたはずなのに、声だけで分からなかった。今日に限って聞き取りにくいおかしな声だ。
彼はエーファを視界に入れると一瞬立ち止まったが、すぐに察したらしくニヤニヤ笑った。エーギルのように質問してこないところがとても隊長らしい。危機的なこの状況に似つかわしくないその表情にたまらない懐かしさを感じた。
「なんだ。凍らせたのはエーファか。びびったぜ」
「魔物も匂いを振りまいているらしくて、燃やすと匂いが広がるから凍らせろと竜王陛下が」
「ははぁ、なるほどな」
でも、おかしい。ハイエナ獣人は鼻が利くはずだ。なぜハンネス隊長は動けているのか。
「どうしてハンネス隊長は大丈夫なんですか」
「俺はな、今ひでぇ鼻風邪をひいてるんだ」
「鼻風邪……? 獣人が鼻風邪?」
「気温差が激しくなるとすぐ鼻が詰まるんだよ。はー、ほんっと腹立つ」
ズビズビと派手に鼻をすすりながらハンネス隊長は普段と違う声で話す。鼻が詰まっていたからおかしな声だったのか。そんな強面で気温差などと繊細なことを言われても、本人は大変そうでこう言っては失礼だが説得力がない。
「ま、まぁ鼻が詰まって無事だったならそれはそれで……」
「あー! 結果オーライだが、ほんっと鼻が詰まりすぎてイライラする!」
「ひとまず俺は戻って状況を伝えてくる。匂いの元はセイラーン軍の後方にある怪しげな箱の中だろう。そこから粉らしきものを取り出して兵たちが撒いている。魔物にも付着しているようだな」
ズビッとハンネス隊長が再び鼻をすする音が響く中、エーギルは「魔物は頼んだ」と背を向けた。
「あの、ミレリヤは元気?」
今聞くことではない。そんなことは分かっているが、思い出してしまったのでエーギルの背に問いかけた。セイラーンが攻めてきて少しピリついた雰囲気はあるものの、エーギルにもハンネス隊長にも焦燥感はない。これがドラクロアの強者の余裕なのか。
「彼女はもうすぐ出産のはずだ」
「そっか。もうそんな時期」
「セレンティアのこともエーファのこともカナンが徹底して内緒にしている」
「なら安心した」
「多分、彼女は勘づいているだろうが」
カナンのことは嫌いだが、ミレリヤのことは気になった。ギデオンの件が片付くまでは自分のことばかりだったし、片付いたら片付いたでスタンリーのことや番紛いのことで余裕がなかった。
カナンもどこかでブラックバードと交戦しているだろう。カナンのことは本当の本当に嫌いだが、彼が怪我でもしたらミレリヤが悲しむ。
エーギルは背を向けたまま横顔と視線だけこちらによこす。
「セイラーンを退けたら会えばいいんじゃないか。我々にとっての脅威はこの匂いと魔物。セイラーンの兵士に対して我々は身体能力で上回るから脅威ではない。セイラーンに魔法は存在しないしな」
エーギルの背中を見送ってから、言葉は交わしていないのに当然のようにハンネス隊長と移動する。最近は魔物を狩ることなどしていなかったが、すぐに十三隊にいた頃を思い出せる。
「三時の方向に一体。見えるか」
「見えました」
「あとは十時の方向に二体」
ハンネス隊長は鼻が死んでいるだけで、耳はいい。音で魔物の位置を特定している。
「すげぇな。さっきより命中率あがってねぇか」
「さすがにこれだけ氷魔法連発していたら遠くでも当たるようになります。見える距離にいないと意味がないんですけど」
「火の魔法だけなのかと思ってたぜ。ん、この辺にはもう魔物はいねぇらしい」
「火の魔法で焼いていいなら得意なんですけどね」
しばらく耳をそばだてていたハンネス隊長は、しゃがんでいた体勢から立ち上がってまた移動を始める。
「魔物にどんな変異させてるか分からねぇから警戒するにこしたことはない」
「どうしてオウカが死んだ直後ではなく、今頃侵攻してきたんでしょうか」
「王女だったから亡くなったことはセイラーンに知らせたんだよ。遺体返還要請が来たんだがトリスタンが遺体を返さなかったのがでけぇんじゃないか。あいつ、一緒に焼いたからな」
「ええっと、何と一緒に焼いたんですか?」
「自分と自分の屋敷とオウカ・マキシムスの遺体」
「……流行ってるんですか、それ」
「最初に屋敷に火つけたのはお前の知り合い、つーかエーギルの相手だろうが」
「そうですね……じゃあ宰相は?」
「自殺だな」
「そうですか」
「種族によっては番の遺体にさえ異常に執着するからな」
「聞かなきゃ良かったです……」
「そんな扱いをしたから余計怒ってんだろ。骨だけでも返還しようとしたがセイラーン側は相当怒ってたらしいぞ」
「それはそうでしょう。そもそもオウカのことは宰相が殺していたじゃないですか……でも、正直少し羨ましいですね。だって私の友達は母国から骨の返還要請が来なかったと思いますから。そもそも死んだことも通達されているか分かりません」
エーファがギデオンの番とされていた時にもし死んでいたら、返還要請を家族や国は出してくれただろうか。多分、出さないだろう。何となくそんな気がする。
オウカは王女だった。元の身分は大きい。そして正直羨ましい。
セレンの髪の毛と髪飾りだけは母国の恋人の墓に入れたけれど、きっと骨でも帰りたかったはずだ。
「考え方は国と……人によって違うだろうな」
ハンネス隊長は急に立ち止まった。
「お前がなんでドラクロアに帰って来たかは分からねぇ。なんとなく察しはつくが」
相変わらず鼻をすすりながら、隊長は唐突にさっき聞いてこなかったことを話題にした。
「ここからは二手に分かれる必要がある。あっちからは魔物が来る。足が速い奴だ。こっちからはセイラーンの兵士が来る。魔物はお前に任せたと言いたいところだがお前はもう俺の部下じゃねぇし、セイラーンの兵士でもない。お前は勝手にドラクロアに連れてこられて、オウカみたいにならなかっただけだ。んで、なぜかこのタイミングでまた戻って来た」
一体、隊長は何を言い出すのか。ハンネス隊長をまじまじ見つめてもいつもと違うのは光る鼻水のみ。
「今回の侵攻は起こるべくして起こったんだろ。番という存在を他国にまで求め始めた時から、こうなる可能性はそこら中に転がってた。トリスタンのバカがもっとうまく対応していればセイラーンもここまで怒らなかった」
人型をとっていた隊長はだんだん獣化していく。
「俺としてはあっちから来る魔物を凍らせてくれたら助かるが、まぁお前の好きにしろ。ドラクロアのために戦う筋合いは今のお前にはないからな。どっちにしろこれ以上は進まずに一度戻ってエーギルのとこへ行け」
「え、隊長?」
ハイエナの姿になったハンネス隊長はあっという間に駆けだした。
なんで? なんで散々森を一緒に歩いておいてドラクロアのために戦う筋合いはないって? 羨ましいって言ったからあんなことを隊長は言ったんだろうか。
土を踏みしめる複数の足音が聞こえてエーファは振り返った。