反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

8

 木の上から矢で狙われているのを感じながら、エーファは念のため両手を上げてハンネス隊長に向かって歩を進める。

「その恰好は竜人かと思ったが、やはり人間だな」

 エーファの容貌が竜人ほど人間離れしていないからなのか、魔法の力量でそう思われたのか。気分は良くないが今はそれどころではない。ハンネス隊長を取り戻すには何とか敵の隙を作らないといけない。矢を構えている兵士たちの人数は多いが、結界で何とかなるだろう。

「竜人は魔法に詠唱を必要としない。君は連れてこられた竜人の番か? いや、竜人なら下界に下りてこさせないか」
「私はヴァルトルト人です」

 母国の名前を口にすると胸が少し痛む。捨てるように出てきたからだろうか。

「あぁ、ヴァルトルトから数人連れてこられたと聞いている。ヴァルトルトは魔法が盛んだな」

 向き合った年かさの兵士は六十代くらいだろうか。年齢のわりにさっきのは俊敏な動きだった。彼の隙をなんとか作らなければならないが、ぱっと見で攻撃できる隙がない。このまま時間を稼ぐべきだろうか。鳥人の誰かが見つけてくれるか、可能性は低いがエーギルが応援を連れて戻って来るか。

「殿下、いやオウカ様を知っているか」
「オウカ先生は私がドラクロアに馴染むために教養を教えてくださいました」

 彼の腕に一瞬力が入った。
 この兵士の見た目は六十代。オウカの見た目は三十代にしか見えなかったけれど「殿下」とまで呼んでいるのだから、顔見知りなわけではあるのね。

「彼女は私の目の前で死にました」

 淡々とエーファが告げると、彼は大きく動揺した。木の上の兵士も数人息を呑む気配がある。

「殿下は……どうして亡くなられたのだ」
「その前にどうして侵攻してきたのか教えていただけませんか」

 言いながら、エーファは自分が自然とドラクロア側であるかのように喋っていることを気付いて動揺した。顔に出てしまっていたらしいが、兵士は気の毒そうにエーファに視線をやる。

「哀れにも洗脳されているのか。この状況で戦いに駆り出されている状況から見てもそうなのだろう。やはりドラクロアのやり方は卑劣だ」

 動揺してしまったついでに頭の中で疑問が湧きおこる。

 エーファとしては時間稼ぎをしたいからこの状況は好都合だが、セイラーン側からしたらなぜさっさと攻め込まないのだろうか。まず匂いと調教した魔物をけしかけて、多くを戦闘不能にしたところで攻め込むのだと思っていたけれど。竜人が出てきたら困るのはセイラーンだろう。

「オウカ殿下は本当に病気だったのか?」

 ぶつぶつ頭の中で考えていると、ハンネス隊長の首に剣を押し当てながら聞かれた。

「病気……」

 そういうことになっているのか。エーファから見ればオウカはおかしい人で、病気と評しても良かった。オウカから見たエーファも同様だろう。彼の想像する病気とは違うだろうが。

「オウカ先生はご病気でした」

 まさか、セイラーンは侵攻の他に狙いがあるんだろうか。セイラーンに魔法はないが薬ならある。

「最後にマキシムス伯爵に恨み事を言っていました。伯爵に渡す心はひとかけらもないと。心は婚約者に渡したからと。伯爵が早く死ぬよう願っているとまで」

 エーファの質問には答えてくれないようなのでこちらに反感をこれ以上持たれないように話す。呼び捨てにするわけにもいかないからムズムズするが「先生」と呼んでいるし、宰相がオウカを殺したなんて言ったら隊長の首が飛んでエーファも矢で穴だらけになりそうだ。

「もしかしてあなたがオウカ先生の婚約者だった方ですか? お名前は存じませんが、お話を聞いたことがあります」

 宰相は番うと寿命が伸びると言っていたはず。オウカが実年齢よりも相当若く見えていたのだとしたら……あり得る。何よりも目の前の兵士はオウカの話で苦しそうな表情をしていた。

 もし予想が当たっていたら、同情を禁じ得ない。

「殿下は……私のことを何と?」

 僅かに震えた声に対してエーファは悲しくなって微笑んだ。目の前の彼はスタンリーとは全く違うらしい。

「オウカ先生は……」

 羨ましさを感じながら自分の表情と一緒に指をわずかに動かす。手足さえ凍らせれば後は何とでもなる、はず。ハンネス隊長を取り返すために走り出そうとした。

 でも、一歩踏み出した瞬間に大きな音に阻まれた。
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