反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
7
「死ぬ気はあるが、あなたを信用するかどうかは話が別だ」
ルカリオンが出て行ったらその母である先代王妃が意味ありげに入って来るとは。罪悪感まみれの先代王妃はその感情からリヒトシュタインと母親に良くしただけだ。
心の奥底ではルカリオンと同様に邪魔に感じているのだろう。だから、彼女の持ってきた話など信用に値しない。
アヴァンティアは、父が番である母しか愛さなくなっても天空城に留まった。周囲の竜人からいくら蔑まれ馬鹿にされようとも、そしてお飾りの王妃として母のできない仕事をすべて押し付けられようとも。
リヒトシュタインにとって彼女は明確な敵ではないものの、すべての元凶で不気味で不可解でどう接するべきかいまだに分からない存在だった。
「気持ちはよく分かるつもりだけれど、その子はもう持たないでしょう。目が見えなくなっているのなら、そろそろ手足の末端から壊死が始まるわ。魔力の衝突で心臓が疲弊して血が行き渡らなくなっているから」
エーファの手は冷たい。掛けていた布団をずり上げて足先に触れると酷く冷たかった。手だってしばらく握っているのにまったく温まらない。虚しさを感じて両手でエーファの手を挟む。
「壊死の前に心臓が耐えられるか分からないけれど」
長々とアヴァンティアと憂鬱な会話をする気にはなれなかった。
リヒトシュタインには関係がないが、他国の侵攻のせいか外では鳥が行きかってやや騒々しい。
「先代竜王陛下が死んだ時、あなたは死にたいと思わなかったのか」
「少しは考えたわ。小指の爪くらいには」
「先代を愛していた割にはとても小さい感情だ」
「そんなことはないわ。だって、私の愛は彼がエリスを連れてきた時に一度壊れたようなものだから」
急に母の名前が出たのでアヴァンティアを睨む。彼女は発言内容に似合わない軽い様子で肩をすくめた。
「私はエリスを恨んだことはないわ。彼がエリスを無理矢理連れて来てから私はずっと孤独だった。彼が死んだところで改めて孤独を感じることはない。私の愛はあの時からずっと一方通行で孤独。だから死にたくなんてならない」
「本当に共鳴期はないのか」
「私の作ったものは番紛いとはいえないかもしれないわ。そもそも、その子が今死にそうなのにあなたは死にそうになっていないのだから共鳴期がないか、あるいはあなたとその子が共鳴期まで行っていないか、でしょう」
それもそうかと思ったものの返事はしない。アヴァンティアから視線を外して、ずりあげた布団を丁寧に元に戻す。
「あなたがそうやっているとエリスを思い出す。エリスの時はベッドに腰掛けていなかったしもっと距離があったけれど、その子には近寄るのね」
「それがどうかしたのか」
「そういう些細なことの積み重ねで女は愛を感じるものよ。側にいる、手を握る、話を聞く、寄り添う」
アヴァンティアが笑う気配がする。母とエーファのことを分かったように、先代王妃から語られるのはたまらなく不愉快だった。
「先代陛下はエリスが死なないと愛が分からなかった」
「あんな奴に愛なんてあったのか」
「エリスが死んでからのあの人を見ていないからそう言えるのよ。もちろん、共鳴期だったからすぐに亡くなったわ」
「あんな奴は父でもなんでもない。無理矢理攫ってきた母に執着して監禁しただけだ。本当に愛していたなら母は病まない。病気など治っていたはずだ」
「そんなに悲壮な顔をしなくてもいいわ。あなたのその子への様子を見れば、陛下をすでに超えているのでしょう。そんなあなたが見られて私は嬉しい」
「まるですべて分かったように母親のような発言をするな」
おかしな言葉に不快感が高まってアヴァンティアを振り返るが、思いのほか穏やかな彼女の顔を見て抗議の口を思わずつぐむ。
「エリスがあなたを生んだばかりの時、私はあなたを殺そうとした。番との間の子供は強いけれどそれはある程度成長してからの話。あの時のリヒトは小さくて無力で、エリスは出産で疲れ果てて深く眠っていた。先代陛下が子供に興味がないことはルカリオンで分かっていたしね」
ルカリオン同様に先代王妃の力など脅威ではないが警戒を強める。
「ブラックバードに与えて食べさせようとしたの。もう少しでその試みは成功したはずだった。でも、よりよってティファイラに邪魔された。だから、ティファイラはあなたの兄気取りでずっと側にいたでしょう。今はあなたにその子がいるから安心していろんなところに出かけているわね」
「その本に何が書いてあるのか知らないが、このままエーファを助けられなかったら俺も死にたくなるから別に今すぐ俺を殺す必要はない。そんなことは労力の無駄だ。あぁ、もしかして親子そろって俺が死ぬ前に懺悔したいタイプなのか」
「この本に書いてある方法がうまくいけばあなたたちは二人とも助かる。でもうまくいかなかったらあなたが先に命を落とすでしょう。そして、この方法を試すには第三者である竜人、つまり私の協力が不可欠よ」
本を奪えばいいという考えがよぎるが、そう簡単な話ではなかったようだ。
「あなたはその子を助けるために嫌いな私に頼る選択肢はある? その子が死ぬかもしれないし、二人とも死ぬかもしれない。私に頼るのは死ぬほど嫌でしょうけれど」
「どんな方法なんだ」
アヴァンティアの言葉にかぶせるように発言する。彼女に気を悪くした様子はなかったが、リヒトシュタインは思い直す。方法が何でも今は関係ない。
「そもそもその方法は成功すればエーファの竜化は治るのか」
「えぇ、成功すれば。そして共鳴期なんて関係なく一緒に死ねるわ」
リヒトシュタインは初めてアヴァンティアと目を合わせた。これまでも数度は合わせた機会があったはずだが、意識して合わせるのは初めてのような気がする。
そして理解した。
リヒトシュタインは彼女と同じ風景を見ていた。そして、今、彼女の目に隠しきれない孤独を見つける。
父との最初は祝福されたはずの結婚。ルカリオンの誕生。その後リヒトシュタインの母が現れてから周囲の手のひら返し。愛しても愛しても愛を返さない父。ルカリオンよりも比べるまでもなく強いリヒトシュタインの誕生。それでも孤独に打ち勝って父を愛し続ける。自分の愛が正しいと信じるしかない。天空城から逃げたら彼女の今までの愛は嘘だったことになるから。
リヒトシュタインはエーファに懇願したばかりだった。一人にしないでくれ、と。
目の前の先代王妃はずっとこの孤独と戦っていたのか。リヒトシュタインの母がここに連れてこられてから、ずっと。リヒトシュタインにとっては恐怖でしかない、エーファを失えば再び訪れるであろう孤独と。一人になったらもう立ち上がれない。
今まで平気だったはずの孤独が毒のように沁みてくる。二人ぼっちのはずの世界に一人で取り残される恐怖。
「あなたは、この孤独とずっと戦っていたのか」
思わず、そんな言葉が口から洩れた。先ほどまでの不信感に包まれていた自分とはまったく違う感覚。アヴァンティアの肩がほんの少し揺れる。
「俺はエーファを失うかもしれないと考えただけでも恐ろしい。番にしなければ良かったと何度も思った。でも、エーファは番になれて良かったと言ってくれた」
アヴァンティアは少し笑った。いつの間にか幾筋も涙が頬を伝っているが笑っている。
「エーファが先に俺を受け入れた。彼女が愛を示した。だから俺はすべてのプライドを捨ててあなたに頼る」
「あなたは私と同じだと思っていたけど、それはとても傲慢な考えだったみたい」
「……あなたが感じて抑圧してまで耐えた愛の孤独。あなたのこれまでのすべての努力に敬意を……そして俺が父の代わりに何度でも謝る。だから……エーファを助けてほしい」
みっともない声が出る。エーファの手を握っていなかったらもっとみっともなく足に縋りついてもいい。父の代わりに謝りたくはない、あんな父のために。
そう頭の片隅で考えるが、それでも謝らなければいけない。傷つき果てた、母とは表現が違うだけの目の前の女性に。アヴァンティアは母と同じなのだ。母は病に逃げ、彼女は孤独に戦い続けた。
「愛が分からずにあなたにした仕打ちのすべてに。申し訳なかった」
「……リヒト、あなたは証明して。死ななければ分からない愛なんてない、二人で生きていくことが愛だと証明して」
世界はもう色褪せてはいなかった。
ルカリオンが出て行ったらその母である先代王妃が意味ありげに入って来るとは。罪悪感まみれの先代王妃はその感情からリヒトシュタインと母親に良くしただけだ。
心の奥底ではルカリオンと同様に邪魔に感じているのだろう。だから、彼女の持ってきた話など信用に値しない。
アヴァンティアは、父が番である母しか愛さなくなっても天空城に留まった。周囲の竜人からいくら蔑まれ馬鹿にされようとも、そしてお飾りの王妃として母のできない仕事をすべて押し付けられようとも。
リヒトシュタインにとって彼女は明確な敵ではないものの、すべての元凶で不気味で不可解でどう接するべきかいまだに分からない存在だった。
「気持ちはよく分かるつもりだけれど、その子はもう持たないでしょう。目が見えなくなっているのなら、そろそろ手足の末端から壊死が始まるわ。魔力の衝突で心臓が疲弊して血が行き渡らなくなっているから」
エーファの手は冷たい。掛けていた布団をずり上げて足先に触れると酷く冷たかった。手だってしばらく握っているのにまったく温まらない。虚しさを感じて両手でエーファの手を挟む。
「壊死の前に心臓が耐えられるか分からないけれど」
長々とアヴァンティアと憂鬱な会話をする気にはなれなかった。
リヒトシュタインには関係がないが、他国の侵攻のせいか外では鳥が行きかってやや騒々しい。
「先代竜王陛下が死んだ時、あなたは死にたいと思わなかったのか」
「少しは考えたわ。小指の爪くらいには」
「先代を愛していた割にはとても小さい感情だ」
「そんなことはないわ。だって、私の愛は彼がエリスを連れてきた時に一度壊れたようなものだから」
急に母の名前が出たのでアヴァンティアを睨む。彼女は発言内容に似合わない軽い様子で肩をすくめた。
「私はエリスを恨んだことはないわ。彼がエリスを無理矢理連れて来てから私はずっと孤独だった。彼が死んだところで改めて孤独を感じることはない。私の愛はあの時からずっと一方通行で孤独。だから死にたくなんてならない」
「本当に共鳴期はないのか」
「私の作ったものは番紛いとはいえないかもしれないわ。そもそも、その子が今死にそうなのにあなたは死にそうになっていないのだから共鳴期がないか、あるいはあなたとその子が共鳴期まで行っていないか、でしょう」
それもそうかと思ったものの返事はしない。アヴァンティアから視線を外して、ずりあげた布団を丁寧に元に戻す。
「あなたがそうやっているとエリスを思い出す。エリスの時はベッドに腰掛けていなかったしもっと距離があったけれど、その子には近寄るのね」
「それがどうかしたのか」
「そういう些細なことの積み重ねで女は愛を感じるものよ。側にいる、手を握る、話を聞く、寄り添う」
アヴァンティアが笑う気配がする。母とエーファのことを分かったように、先代王妃から語られるのはたまらなく不愉快だった。
「先代陛下はエリスが死なないと愛が分からなかった」
「あんな奴に愛なんてあったのか」
「エリスが死んでからのあの人を見ていないからそう言えるのよ。もちろん、共鳴期だったからすぐに亡くなったわ」
「あんな奴は父でもなんでもない。無理矢理攫ってきた母に執着して監禁しただけだ。本当に愛していたなら母は病まない。病気など治っていたはずだ」
「そんなに悲壮な顔をしなくてもいいわ。あなたのその子への様子を見れば、陛下をすでに超えているのでしょう。そんなあなたが見られて私は嬉しい」
「まるですべて分かったように母親のような発言をするな」
おかしな言葉に不快感が高まってアヴァンティアを振り返るが、思いのほか穏やかな彼女の顔を見て抗議の口を思わずつぐむ。
「エリスがあなたを生んだばかりの時、私はあなたを殺そうとした。番との間の子供は強いけれどそれはある程度成長してからの話。あの時のリヒトは小さくて無力で、エリスは出産で疲れ果てて深く眠っていた。先代陛下が子供に興味がないことはルカリオンで分かっていたしね」
ルカリオン同様に先代王妃の力など脅威ではないが警戒を強める。
「ブラックバードに与えて食べさせようとしたの。もう少しでその試みは成功したはずだった。でも、よりよってティファイラに邪魔された。だから、ティファイラはあなたの兄気取りでずっと側にいたでしょう。今はあなたにその子がいるから安心していろんなところに出かけているわね」
「その本に何が書いてあるのか知らないが、このままエーファを助けられなかったら俺も死にたくなるから別に今すぐ俺を殺す必要はない。そんなことは労力の無駄だ。あぁ、もしかして親子そろって俺が死ぬ前に懺悔したいタイプなのか」
「この本に書いてある方法がうまくいけばあなたたちは二人とも助かる。でもうまくいかなかったらあなたが先に命を落とすでしょう。そして、この方法を試すには第三者である竜人、つまり私の協力が不可欠よ」
本を奪えばいいという考えがよぎるが、そう簡単な話ではなかったようだ。
「あなたはその子を助けるために嫌いな私に頼る選択肢はある? その子が死ぬかもしれないし、二人とも死ぬかもしれない。私に頼るのは死ぬほど嫌でしょうけれど」
「どんな方法なんだ」
アヴァンティアの言葉にかぶせるように発言する。彼女に気を悪くした様子はなかったが、リヒトシュタインは思い直す。方法が何でも今は関係ない。
「そもそもその方法は成功すればエーファの竜化は治るのか」
「えぇ、成功すれば。そして共鳴期なんて関係なく一緒に死ねるわ」
リヒトシュタインは初めてアヴァンティアと目を合わせた。これまでも数度は合わせた機会があったはずだが、意識して合わせるのは初めてのような気がする。
そして理解した。
リヒトシュタインは彼女と同じ風景を見ていた。そして、今、彼女の目に隠しきれない孤独を見つける。
父との最初は祝福されたはずの結婚。ルカリオンの誕生。その後リヒトシュタインの母が現れてから周囲の手のひら返し。愛しても愛しても愛を返さない父。ルカリオンよりも比べるまでもなく強いリヒトシュタインの誕生。それでも孤独に打ち勝って父を愛し続ける。自分の愛が正しいと信じるしかない。天空城から逃げたら彼女の今までの愛は嘘だったことになるから。
リヒトシュタインはエーファに懇願したばかりだった。一人にしないでくれ、と。
目の前の先代王妃はずっとこの孤独と戦っていたのか。リヒトシュタインの母がここに連れてこられてから、ずっと。リヒトシュタインにとっては恐怖でしかない、エーファを失えば再び訪れるであろう孤独と。一人になったらもう立ち上がれない。
今まで平気だったはずの孤独が毒のように沁みてくる。二人ぼっちのはずの世界に一人で取り残される恐怖。
「あなたは、この孤独とずっと戦っていたのか」
思わず、そんな言葉が口から洩れた。先ほどまでの不信感に包まれていた自分とはまったく違う感覚。アヴァンティアの肩がほんの少し揺れる。
「俺はエーファを失うかもしれないと考えただけでも恐ろしい。番にしなければ良かったと何度も思った。でも、エーファは番になれて良かったと言ってくれた」
アヴァンティアは少し笑った。いつの間にか幾筋も涙が頬を伝っているが笑っている。
「エーファが先に俺を受け入れた。彼女が愛を示した。だから俺はすべてのプライドを捨ててあなたに頼る」
「あなたは私と同じだと思っていたけど、それはとても傲慢な考えだったみたい」
「……あなたが感じて抑圧してまで耐えた愛の孤独。あなたのこれまでのすべての努力に敬意を……そして俺が父の代わりに何度でも謝る。だから……エーファを助けてほしい」
みっともない声が出る。エーファの手を握っていなかったらもっとみっともなく足に縋りついてもいい。父の代わりに謝りたくはない、あんな父のために。
そう頭の片隅で考えるが、それでも謝らなければいけない。傷つき果てた、母とは表現が違うだけの目の前の女性に。アヴァンティアは母と同じなのだ。母は病に逃げ、彼女は孤独に戦い続けた。
「愛が分からずにあなたにした仕打ちのすべてに。申し訳なかった」
「……リヒト、あなたは証明して。死ななければ分からない愛なんてない、二人で生きていくことが愛だと証明して」
世界はもう色褪せてはいなかった。