反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

4

「もうすぐ国境ね」

 景色を見ながらミレリヤが呟いた。

「国境ってことは断崖絶壁よね。ここからどうやって進むの?」
「カナンはお楽しみって言ってた」
「えぇぇ、彼は飛べるからいいだろうけど……」

 マルティネス様といえばご飯は少し食べ始めたものの、まだ口を開かない。日中もずっとぼーっとしている。これまでミレリヤと話しかけ続けてはみたのだが、反応はほぼなかった。

「乗ってきた馬だってどうするのかな」
「ドラクロアから連れてきた特別な馬でしょ。連れて帰るわよね」
「転移陣でも置いてあるのかな」
「転移ってめちゃくちゃ高度魔法よね。でも、竜人様なら使えそう。エーファは転移ができるの?」
「できてたらとっくにしてるよ。魔法省のトップでも転移は転移陣をしっかり用意しておかないとできないから」
「それもそっか」

 二人で考えてもよく分からない。すると、停車した馬車の扉が開いてカナンが顔をのぞかせた。

「ここからドラクロアまでちょっと揺れるけど、気にしないでね」

 この鳥人が笑顔だと怖いんだよね。

「僕たちは下道から行かないといけないから、ミレリヤたちの方が早く到着すると思う。あ、僕だけは飛べるんだけどね」

 カナンの後ろでは馬から下りて荷物をまとめている他の二人が見える。

「どうやってドラクロアまで行くの?」
「ふふ。お楽しみだよ。あ、馬車の扉は絶対に開けないようにね。死ぬよ?」

 ミレリヤの問いにも答えず、カナンは楽しそうに扉を閉める。最後のセリフは楽し気に言うものじゃない。諜報部隊なら絶対性格もねじくれて悪いだろう。女性の扱いだって他の二人よりは慣れている、というより馴れ馴れしいからやっぱりあの鳥人は外見詐欺だ。

 ミレリヤと窓の外を見ていると、三人の姿が変化する。
 そう、オオカミとトカゲとオシドリに。

「ねぇ……あれって……」
「オオカミのわりに大きすぎない? いや、トカゲも大きすぎだけど」

 言いづらそうなミレリヤの代わりにエーファは思わずツッコミを入れた。ギデオンが変身した銀色のオオカミはエーファが見たことがあるものよりも二回りほど大きい。そしてエーギルの変身した青いトカゲも同じくらいの大きさだ。

「あれってトカゲよりもイグアナじゃない?」
「イグアナはあれよりもっと小さいよ……」
「通常サイズはオシドリだけだね」

 カナンが変身したであろうオシドリはトカゲの上にちょこんと止まっている。
 アオーン アオーンーー。
 急にオオカミが遠吠えを始めた。

「何が始まるの?」
「仲間でも呼んでるのかな?」
「見て。馬車の馬外してある」
「さすがにこの断崖絶壁を馬で行くとは思ってないけど……」

 しばらく遠吠えは続いた。何が起こるのか予想もつかず、エーファとミレリヤは不安になる。

「もし何かあったら……二人くらいなら連れて風魔法で……」
「エーファ。何か来た!」

 ミレリヤが見ていた方向に視線を移すと、飛んでくる影がいくつかあった。羽ばたき方からしてすべて同じ鳥というわけではなさそうだ。ぐんぐん姿が大きくなる。

「うそでしょ……」
「あれって竜よね……」

 先頭でいち早く飛んできた輝く白い竜が馬車の上で旋回する。後からついてきたのは大きな鷹だ。鷹が馬を掴んで飛び立っていく。竜も旋回をやめてどこかへ行ったと思ったら、馬車がガタンと音を立てた。

「ねぇ……まさか」
「そのまさか、じゃない?」

 そういえば、この馬車の上の部分どうなってたっけ?
 思い出す前に馬車が浮き、景色がぐんと上がる。馬車の座席に座っているにも関わらず、浮遊感で胃のあたりが浮いた気がした。

「やっぱり浮いてる! 私、高いところダメなのよ!」

 ミレリヤは悲鳴を上げて窓から距離を取る。その動きで馬車がぐらぐらと揺れた。マルティネス様も揺れを感じたのか、悲鳴は上げないものの顔色が悪くなっている。

「マルティネス様と抱き合っておく?」

 冗談で言ったのだが、ミレリヤはなんとその通りにしていた。

「エーファは平気なの?」
「うん。高所恐怖症じゃ魔法省入れないから。風魔法で空を飛ぶこともあるし」
「あー、確かに。うっ、もう無理。私、義妹に階段から突き落とされてから高いとこは無理!」

 ミレリヤは重い過去を口にしながら、とうとう目を瞑ってしまった。瞑ったら余計に怖いと思うが、それを言うのは野暮だろう。

 眼下の景色を見ると、大きなオオカミとトカゲが崖を駆け下りて森の中を走っていた。トカゲはそうでもないが、オオカミは相当な速度だ。あの速度で追いかけられたら、魔法で加速していてもエーファはとても逃げきれないだろう。それにあのほぼ垂直の崖を駆け下りて平気なのだ。ギデオン相手に逃げるとなると……思わず拳を握る。魔法を使えるからとエーファは思い上がっていた。獣人相手に勝てる部分がいまだに見つからない。

 馬車が大きく揺れた。ミレリヤが悲鳴を上げる。
 なんとかバランスを取ったエーファの目の前、正確には馬車の窓から見える向こうを大きな火玉が飛んでいく。

 え、火玉?
 エーファは息を呑んで窓にへばりついた。喉の奥から変な声が漏れそうになる。はるか遠くの空を飛んでいるのは魔物だ。火玉を吐いているところから推測するに、ブラックバード。

「エーファ、もうすぐ着くの?」
「ううん、まだだよ」

 下を見ると、走っているオオカミが上空の馬車に向けて何か口を開けて吠えている。トカゲはオオカミのはるか後方だ。

 ええっと、そもそも竜とブラックバードってどっちが強いの? そもそも、ブラックバードにしては大きくない?

 エーファは必死にブラックバードの情報を思い出す。ブラックバードはその名の通り真っ黒な鳥型の魔物だ。高速で空を駆け、火玉を吐く。人間と竜の幼体が大好物。
 いやいやいや、この竜はどう見ても成体だ。これで幼体だったら驚きだ。では、狙いはエーファたち三人か。

「まだまだ到着しないから目を瞑っといた方がいいよ。結構上空を飛んでるから」
「うぅ、気持ち悪い~」

 魔物が来ていると伝えたらミレリヤがパニックを起こすだろうから黙っておく。エーファは男爵領で魔物を見ているから特に取り乱すこともない。
 また大きく馬車が揺れて慌ててエーファはバランスを取る。窓の外を見て「噓でしょ」という言葉を何とか飲み込んだ。魔物が二体に増えている。

 着実に近づいて大きくなる姿はブラックバードだ。竜くらい大きさがある。エーファでもあんな大きさのブラックバードは見たことがない、前に見たのはせいぜい普通の鷹くらいの大きさだった。二体が火玉を吹いてくるせいで竜はそれを避けなければならず、馬車が大きく揺れているのだ。

 これって挟み撃ちにされたらマズイよね……。オオカミとトカゲは地上だから助けは期待できない。さすがに飛ぶトカゲやオオカミってことはないだろうし、彼らは魔法が使えない。飛べるはずのオシドリはどこに行ったのか影も形もない。

 ブラックバードがどんどん近付いてくる。竜が氷の風を吹いているが、相手は二体で馬車も守らなければいけないせいか相手にかすりもしていない。しかも、二体の後ろにはさらなるブラックバードの姿も見える。

 ブラックバードって群れで行動するわけじゃないのに! なんでこんなにいるわけ!?
 こちらに向かってくる火玉を見てエーファは慌てて結界魔法を使った。パチンと途中で向かってくる火玉が弾かれる。

 よし、かけないよりはマシだから馬車にも結界を張っておこう。というかドラクロアの軍ってここまでは出てこないの? 戦闘部隊があるって言ってたのに! 何、これってドラクロアの入国試験? オシドリ野郎はほんとにどこ行ったのよ!

「エーファ、なんかすごい揺れてるけど……大丈夫なのよね? 落ちたりしないよね?」

 ミレリヤは相変わらず、マルティネス様に抱き着いたまま目を瞑っている。
 ブラックバードたちはエーファが火玉を弾いたせいか、怒って速度を上げて近付いてくる。三体に囲まれたらどのくらい結界が持つかも分からない。エーファの結界の強度はそれほど高くないのだ。魔法省の試験でもそこは指摘されていた。

 仕方がないじゃない。防御より攻撃が得意なんだから!

「ミレリヤ、あのね」
「うん?」
「この馬車、空飛ぶ魔物に襲われてるから」
「は!?」
「だから、私はこれから馬車の外に出て魔法を使うから。私が出たらすぐに扉閉めるの手伝ってくれる?」
「ちょっ、え!?」

 ミレリヤが目を開けた。窓の向こうから火玉が向かってきて、バチンと消える。

「ここだと狙いにくいし、攻撃魔法を使えないの。私は風魔法で飛べるから大丈夫。さすがにまだ死にたくないでしょ?」
「で、でも魔物を倒すなんて……」
「オシドリ野郎がどこにいるか分からないし、助けが来る気配も今のところない。この白竜も馬車を守るので手一杯みたいだし。私は魔法省の試験では魔物討伐もあったから大丈夫。いい? すぐに扉と鍵を閉めてね。一応結界は張ってあるからパニックにならなくても大丈夫よ」

 ミレリヤが頷く前にエーファはさっさと扉を開けた。強風がごうっと顔に吹きつける。

「閉めて!」

 風魔法で足場を作ってすぐに馬車の屋根の上に飛び乗った。

「あんなに大きなブラックバード、見たことない」

 男爵領でも魔物討伐をしたが、その時は冒険者たちと一緒だった。スタンリーもいた。魔法省の試験だって先輩方がいざという時のために後方に控えていて、他の受験者たちと一緒だった。

 つまり、エーファは魔物に一人で立ち向かうのは初めてである。

「私、ここで死ぬかも……?」

 お金はそろそろ男爵領に支払われただろうか?
 ここでエーファが生き延びて逃げることができたら、お金が男爵領に入っていても国に没収されるかもしれない。ギデオンだって追いかけて来るだろうし……。

 これまで専門家に何度も相談していて、お金が入ったら父と兄はすぐ治水工事を始めるはずだから、工事が途中まで進んだら大丈夫だろうか。でも工事は年単位だろう。
 ドラクロアから逃げて、スタンリーに手紙で知らせて他国を転々としながら何年か待とうか。スタンリーのところの領地に罰はいかないだろうか。

 今考えなくてもいいことが頭の中を激しく回ってエーファは首を振った。
 私ってホントに馬鹿。何を簡単に逃亡できるなんて考えてたんだろう。無計画ってよく言われていたけど、納得するしかない。

 落ちないように足場を魔法で固定してからエーファは立ち上がった。
 生き延びたら後で考えよう。マルティネス様みたいになったらまずいと、チャンスは一度きりだと、ここまで隙を見て逃げ出さなかったんだから。助けもどうやら来ないみたいだし。

 魔物が二体、そして遅れて一体がどんどん近付いてくる。初めて一人で対峙する魔物を目前にしてエーファの気分は先ほどよりもなぜか高揚した。

 あぁ、もしかして。
 ここなら思う存分魔法を使えるよね?
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