反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

5

「なぜ撫でてやらない」
「はい?」
「撫でてほしいからお前の服を咥えたり噛んだりしている。撫でてやればいいだろう」
「撫でるってどこを?」
「どこでもいい。さすがに目や鼻に指を突っ込むと怒るぞ」
「そんなことしません!」

 恐る恐る白竜を撫でる。鼻先は柔らいが、鱗は冷たくて硬い。

「ランハート。性格が悪くなったのか。教えてやればいいのに」
「私はティファイラにそれほど懐かれていないので、知りません」

 しばらく撫でていると、白竜は鼻息を出しながら満足げに目を閉じてエーファの服を放した。服はヨダレでべとべとになっている。

「もういいだろう。ランハート、連れて行け」
「あら、お客さんなの?」

 ヨダレをどうしようか。魔法で綺麗にしておこうかと考えていると、女性の声がした。

「お客さんは久しぶりだわ。どなたが来てくださったの?」
「母さん、寝ていないと」
「さっきまで眠っていたもの。まぁ、もしかしてエマ? エマなの?」

 はしゃいだような女性の声。女性がまたベッドから身を起こしているところだった。
 先ほど出て行ったアヴァンティアは王妃様だと思う。というかさっきまで眠っていたってどういうこと? 起きていたように見えたけれど。

「エマ! 私に会いに来てくれたのね!」

 エマとは? エーファの頭には疑問符しかないが、ベッドの上の女性の視線はエーファにまっすぐ注がれている。
 よくよく見ると、女性は黒髪でライトグレーらしき目をしている。外見だけ見ればエーファの親戚だと言われても納得するかもしれない。

「悪い。母さんが眠るまで話を合わせてくれないか。ランハートは出ていてくれ。刺激したくない」
「わかりました」
「えっと?」
「年の離れた妹だと誤解している。適当に話を合わせてくれればいいから。刺激したら叫び始めて大変なんだ」

 よくわからないが、リヒトシュタインという黒髪竜人は母親を案じているらしい。ランハートは出て行ってしまったし、白竜は相変わらずふんふんと鼻をひくつかせて香りを嗅いでいるし、すでに十分カオスな状況なのでこれ以上カオスになっても大して変わらないだろう。
 エーファは洗浄魔法で服を綺麗にしてからベッドに近付いた。

「エマ。大きくなって! もっと近くで顔を見せて」

 いや、バレるんじゃない? 女性の嬉し気な様子に拒否できず、両頬を手で包まれる。
 エーファはここで初めて女性と向き合った。頬はこけ、隈が酷い。ちゃんと食べているのだろうか、折れそうな手足。でも、綺麗な人だったんだろうなと思わせる片鱗も残っている。

「みんなは元気?」
「はい、元気です」
「もう、そんな大人みたいな喋り方をして! 昔みたいに喋って」
「う、うん……お姉ちゃんは? 痩せた?」
「そうね、なんだか食べたくなくって。あ、良かったら果物でも食べる?」
「うん、食べたい」

 エーファは困惑しながらも話を合わせる。ベッドの反対側でリヒトシュタインが頷いている。こんな調子でいいのだろう。

「トーマスは元気?」
「うん。相変わらずだよ」
「そうなのね! 子供たちは? この前会った時、エマは妊娠していたでしょう? 悪阻も酷そうだったわ」
「あぁ、うん。出産間際までしんどくて。会いに来れなくてごめんね」
「いいのよ、気にしないで!」

 名前も知らない、おそらく竜王陛下の番であろう人間の女性と嘘の会話をする。トーマスって誰、いや悪阻経験してないけどあれは辛いよね、など思いながら。精神的にくるものがある。嘘をついて相手を騙しているという罪悪感が凄い。

 女性はエーファならぬエマに会えたのが嬉しいのかはしゃいで喋りまくり、やがてうとうとして眠ってしまった。これだけ細いなら体力もないだろう。眠ってくれてほっとした。

「助かった。母さんも人間と話すのは久しぶりだから楽しかったんだろう。長く付き合わせた」
「いえ、誤魔化しきれて良かったです」

 リヒトシュタインが女性に布団をかけ終わってから離れる。緊張したから肩が凝った。

「それで、お前が久方ぶりに謁見した人間か」
「はい」

 白竜が今度はエーファの尻あたりをぐいぐい押して鼻先を擦り付けて来る。

「誰の番だ。最近他国まで行ったのはクロックフォード、アザール、マクミランあたりか」
「マクミラン公爵家のギデオンです」
「あのオオカミか」

 白竜があまりにぐいぐいお尻を押すので、エーファは体重を預けながら白竜を撫でた。リヒトシュタインは金色の目を細めてそんなエーファを眺めている。

「逃げる気だろう」
「はい?」
「お前のその目。番としてこの国に来たことに納得がいっていない。反抗心に満ち溢れている。どうにかして逃げようとしているだろう」
「そんなことは……」

 目の前の竜人を信用できず、エーファは言葉に詰まる。

「目に不満が出ている。そんな強い目をして納得していると言われても、信ぴょう性はない」
「じゃあ、あの方も納得していないんですか」

 エーファは眠る女性に視線をやる。リヒトシュタインは金色の目をまた細めた。

「母は無理矢理この国に連れてこられた。泣いても叫んでも帰国は許されなかったそうだ。竜王陛下に番として執着され、幻覚の魔法までかけられてできたのが俺だ。母の精神は病んでいる。毎日言うことが違う。昨日は五歳、今日は十五歳。そんな感じだ。俺のことも子供だとは思っていない。そもそも金色の目を近くで見たら発狂するから、俺を人間に見えるようにしている。唯一、ティファイラは側にいても母は発狂しない」

 淡々と告げられた事実にエーファは息を呑んだ。

「母は他の人間と結婚していたが引き離された。納得できるわけがない。だが、一人で逃げる手立てはない。絶望して諦めて精神がこのように崩壊する」
「もしかして……番として連れてこられた他の人間もですか?」
「獣人や鳥人が人間の番をどう扱っているのか詳しくは知らないが、お互いに愛し合うようになった者もいれば、拉致監禁されたせいで精神が病んだ者もいるとも聞く」

 人間がドラクロアに来たら臥せることが多いってまさか……そういうこと?

「いいことを教えてやろう」

 リヒトシュタインはにやっと口角を上げた。
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