反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

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「お前の魔法の技量がどの程度かは分からないが、魔力が切れたら逃げても簡単に追いつかれる。我々は人間の何百倍も鼻がきき、オオカミなら足も速い。捕まったら待っているのは監禁だろうな。番への執着が酷いと殺すこともあるようだ」

 そんなことはエーファでも分かり切っているが、頷く。

「それにあの森。魔物に遭遇してその都度逃げ切れるとも思えない」

 エーファはまた頷く。そんなことを得意げに言われても。

「逃げ切れないならどうするか。竜王陛下のように番が間違っていればいいのではないか」

 エーファの知りたいことが途端に目の前に転がってきた。

「先ほどまでこの部屋にいたのは王妃だ。おかしいと思わないか。なぜ竜王陛下が最初に彼女を番だと間違えたのか」

 後ろから白竜に押されているエーファにリヒトシュタインは顔を近付ける。金色の目が怪しく輝く。

「番かどうかを判断するのは竜人でもオオカミでも鳥でも、匂いだ。番の匂いは甘くかぐわしく、嗅いだ瞬間に分かると言われている。その匂いをかぎ取れないようにしてしまえばいい。そういう薬がある。番の匂いを完全に消す薬、それが『番消し』だ」
「つがいけし……」

 そんな薬が。エーファはうっかり期待した。

「しかし、その薬を作るには採ってくるのが難しい素材ばかりを使わなければいけない。月下美人の花びら、ユニコーンのたてがみ、不死鳥の涙など」
「月下美人は置いといて、ユニコーンや不死鳥って伝説級じゃないの」
「あぁ、だから番消しは作ることができない薬と言われている。番消しをお前が飲めばいいだけの話なんだがな」
「ちょっと! それなら調合レシピだって嘘かもしれないじゃない!」
「そうだな」

 リヒトシュタインは飄々とした様子で肩をすくめた。
 いや、そもそも番消しが簡単にできる薬ならベッドの上の女性に飲ませればいいだけの話だ。それができないなら、竜人でも作るのが難しいのだろう。

「嘘を教えたわけ? それがいいこと?」
「話を最後まで聞け。番の匂いはたとえ強い香水をつけてもヘドロをかぶっても消えずに分かる」
「じゃあ、番消しがなきゃ無理じゃない」
「そんなことはない。もう一つ効果は落ちるが薬は存在する。それが『番紛い』だ」
「つがいまがい?」
「番紛いは他の者を番として誤認させる。これなら魔物が出る森で採れるものだけでできる薬だ、誤認させたい者がいるならそいつの毛や鱗、爪なんかを入れたらいい」

 エーファは思わず考え込んだ。番消しのレシピが本当なら作るのは無理だ。だが、番紛いならば――。いや、でもこの人は一体なぜ。

「どうした、嬉しくないのか? 俺としてはいいことを教えたつもりなんだが。レシピなら書いてあとで渡してやる」
「ドラクロアでは番が絶対なのに、どうしてそんな薬があるんですか?」
「さっきみたいに食って掛かる口調の方が好みだ。急に丁寧な言葉に戻られるのも気味が悪い」
「それは悪かったですね」

 リヒトシュタインは面白そうに口角を上げる。この竜人もやはり性格が悪い。

「番が人間であることに反対する者もいる。獣人や鳥人同士なら番が絶対だろうな。竜人もそうだ。竜人はプライドが高く、竜こそが至上の存在だと考えている。だから先ほどの王妃は番紛いを飲んだ。竜人の中に番がいなかったからだ」
「えっと……番紛いは相手に飲ませるものじゃないの?」
「相手がすでにいる場合はそうだな。王妃は自分の番が竜人の中にいないことを悟った。だから自分で飲んだ。自分で飲むとどうなるかは分かっていなかったんだが、言い伝えによれば、鳥人だの獣人だのの番が現れたとしても自分では番と認識できなくなるらしい」
「でも、竜王陛下に番だと認識されたと」
「そう、哀れだ。レシピ通りに薬を作ったのかどうか、詳しくは分からない。だが、あの女は竜王陛下に番としても求められ、受け入れた」
「でも竜王陛下の番様は別でいて、人間のあの方だったと」
「そうだ。竜王陛下は本物の番と出会ってしまった。王妃しか番紛いを飲んでいなかったからだろうな」

 エーファは頭が痛くなってきた。お尻もぐいぐい押されて痛いのに頭まで痛いとは。いろいろややこしいな。

「王妃様の場合はよく分からないけど、私の場合は番紛いをギデオンに飲ませればいいってこと?」
「そうだ。人間には番の概念がない。オオカミの方の番への執着を消せばいい。あぁ、消すのではないな。他へ向かせるんだ」
「私は飲まないけど、王妃様みたいに本来番ではない獣人や鳥人、竜人から番に思われる可能性はないの? 王妃様の場合は自分で飲んで自分の匂いが変わっただけかもしれないけど」

 リヒトシュタインはちょっと考える素振りを見せた。
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