反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

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「どうした。今日は借りてきた猫のようにしおらしいな」
「余計なお世話」

 天空城にやって来てリヒトシュタインの母親の妹を演じながら一緒にご飯を食べて、寝かしつけたところだ。
 今日は泣き叫ばれることはなかった。この間は調子が良かったのか、エーファを妹と誤解することなく「家に帰らせて!」と泣き叫んで暴れたのでなだめるのが大変だった。夫らしき名前もずっと叫んでいた。

「興味はないが聞いてやろう。何かあったのか」
「興味ないなら聞かないでよ」
「じゃあいつもみたいな噛みつきそうなネコに戻れ。聞いて欲しそうな顔をするな」
「一緒にこの国に連れてこられた子がオシドリの鳥人の番なの」
「オシドリ? オシドリ……あぁ、なるほど」

 リヒトシュタインは憎たらしいほどサラサラな黒髪を鬱陶しそうに後ろによけて、窓辺に座って指を顎に当てる。外見は人間離れしているが、仕草はとても人間らしい。その差がなんだかおかしい。

「毎年番をとっかえひっかえする鳥人か。竜と同じように空を飛ぶが、鳥というのは理解できん。それでその人間に何かあったのか」
「番に関する事実を知って傷ついているだけ」
「哀れだな。本当に哀れだ」

 いつもなら「哀れ」と言われたらカチンとくるのだが、その元気は今のエーファにはない。

「愛、いや向けられる好意に縋ったのだろうな。その人間は。この国に来た人間は諦めて依存して愛するフリをするか、耐え切れず壊れて狂うかだ。哀れだ。昔は獣人同士、鳥人同士、竜人同士で番っていたはずなのに」

 すーぴーとティファイラの寝息が聞こえるだけの部屋にリヒトシュタインの独り言が落ちる。

「お前はどっちなのだろうな。いや、やっぱりどちらでもないのか」
「竜人はこの状況を特に何も思わないの? 最も強い者として何もしないわけ?」
「そもそも竜王陛下が母をこの国に無理矢理連れてきてからだ。獣人や鳥人たちが見つからぬ番を求めて他国へ繰り出し始めたのは」
「じゃあ、発端は竜王陛下ってこと?」
「どうだろうな。それまではドラクロア国内で番はほぼ100%見つかっていた。だが、そうではなくなってきた。人間やエルフなどの新しい血を入れることを求めているのか、何なのか。時代の流れなのか」
「じゃあ、私は竜王陛下や時代の被害者ってこと?」
「お前はそんな反抗的な目をしておいて被害者というタマではないだろう。この国から逃げるのは自由だ。逃げられた人間がこれまで一人もいないというだけで」

 リヒトシュタインは袂から丸めた紙を取り出してエーファによこした。

「番紛いの材料とその作り方だ。猿でも理解できるように書いたが、分からないなら言え」
「文字くらい読めるわよ」
「間違えやすい材料もあるから気をつけろ。お前は森の危険地帯まで行く隊に入ったのだったな。運がいい。危険地帯ならすべてその材料は揃う。ギデオン・マクミランの隊だったならもっと材料を集めるのが困難だったはずだ」
「そうなの?」
「あいつらエリートと言われるお飾り部隊は強い魔物の出現しない森の外周しか担当しないからな。それで威張るのだからいい気なものだ。今、スタンピードが起きたら平和ボケしたあの連中がどれだけ使えるだろうか」
「そうだったんだ……知らなかった」
「番にわざわざそんなカッコ悪いことは言わないだろうからな。まぁエリートほど高位貴族やその親戚だ。人間の国でも同じものだろう」

 リヒトシュタインは物憂げに、眠る母親へチラリと視線を向ける。

「なぁ、エーファ。お前は母のようには絶対になるな。お前が狼煙を上げるんだ」
「はい? いきなり何を?」
「お前ならここから逃げ切れるかもしれない。そうしたら、それは希望になる」
「はぁ。というかあなたは母親連れて逃げないの? 逃げられるんじゃない? 強そうだし」
「一度やったさ。物心ついた時からもう母は狂っていた。そんな母を連れて逃げようとするのは当然だ。だが、俺は弱くて甘かった。竜王陛下の番に対する執着を舐めていた」
「え、ちょ、ちょっと!」

 エーファの制止もむなしく、リヒトシュタインは服を勢いよくはだけさけた。
 背中に斜めに走る三本の古く痛々しい爪痕。

「それって竜王陛下が?」
「そうだ。母を連れてこの国から逃げようとした幼い俺は殺されかけた。母のとりなしでなんとか生き延びたが」
「自分の子供にも容赦ないなんて」
「そんなものだ。番への執着は個人によって違うが、執着がとんでもなく強い者もいる。今の母では俺が連れて逃げている間に死んでしまうだろう。かなり弱っているからな。そうしたら母は故郷をその目で見ることもできない。それなら寝ている間に幸せな夢を見ている方がまだマシだ」

 リヒトシュタインは話しながら服を直す。

「番なんて呪いでしかない。だから、逃げる前にあのオオカミに番紛いは必ず飲ませろ。いいな? お前が狼煙を上げるんだ。それは過去に無理矢理ドラクロアに連れてこられた人間たちへの手向けでもあり、これから逃げたい人間たちへの希望となる」
「私は自分のために逃げるだけよ」
「それでいい。狼煙が上がったら続くかどうかは他の奴ら次第だ。俺はお前を手助けする理由を今話した。すべては母への後悔だがな」
「まぁ、そうだね。私もそこまで責任持てないし。一緒に来た二人は逃げる雰囲気じゃないから」
「お前は心に火を絶やすな。簡単だろ、いつも火魔法をぶっ放してるんだから」

 最後におちょくらなかったらいいこと言ってたのに。

「じゃあ、あなたの背中の傷への手向けにもなるね」
「そうだな。幼く弱く愚かだった俺への手向けにも」

 珍しく自嘲気味に笑うリヒトシュタイン。
 さすがにあの傷を見たら、それ以上の軽口は叩けなかった。
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