反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

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 萎れたギデオンは部屋から追い出された。その様子は股に尻尾を挟んだ犬にしか見えない。

「エーファ様、お口は閉じてくださいませ。みっともないです」
「あ、すみません」

 あまりに見慣れないギデオンなので口がまた開いてしまっていた。
 だって、ねぇ? 口が開いてしまうのも仕方がない。感覚的には暴力夫が自分より強い相手にヘコヘコしている現場を見てしまったような。いつもは「俺の番」と偉そうにしてエーファの臭いを嗅いだり、許可なく当然のように抱きしめてきたりするのに。今の姿は面白かった。

「さ、情けない犬も追い出したことですしゆっくりお茶にしましょう。私の母国のお茶をお持ちしました。そうそう、エーファ様の方が立場は上ですので私のことは気軽にオウカとお呼びください」
「え、あ、ありがとうございます」

 宰相の奥様って相当偉いのではないだろうか。
 エーファだけでも竜の香りでマクミラン公爵家の使用人たちはビクビクしているが、オウカが来てから使用人たちはより委縮している。オオカミなら耳が垂れているだろう。一人が湯を持ってくると、オウカは人払いを願って使用人は誰もいなくなった。
 オウカは草を丸めたようなものをポットに入れ、湯を注ぐ。

「わぁ!」
「美しいでしょう? 工芸茶といいます。乾燥させた花を茶葉で包み込んでいて、湯を注ぐと花が開く様子が美しいんですの。私の母国セイラーンでは祝いの時によく用いるのです」
「綺麗です。これは牡丹ですか?」
「そうです。エーファ様のイメージでしたのでお持ちしました」

 白い花がポットの中で開いていく様子は圧巻だった。自分で言うのもなんだがこれは目の前のオウカのような花であって決してエーファのイメージではないはず。こんな綺麗な大輪の花が自分のはずがない。

「牡丹の花言葉は『王者の風格』『高貴』そして『誠実』など」
「絶対に私ではないですね」

 最後の誠実だけは掠っているかもしれない。オウカは否定も肯定もせずに笑みを浮かべた。

「私はギデオンを小さい頃から知っているのです」
「そうなのですか?」
「えぇ、マクミラン公爵夫人とは友人ですもの。彼女はギデオンを生んでから長らく臥せっているのでお見舞いに来ておりました。最近は忙しくて来れていませんでしたが。だから先ほどのような物言いが許されるのです。夫が宰相でもさすがに公爵家の跡取り相手にあれほどのことは言えませんわ」
「そうなんですね。私はまだマクミラン公爵夫人にはお会いできていなくて」

 エーファは心の中で警戒度を上げる。マクミラン公爵夫人の友人でギデオンを小さい頃から知っているなら、この人は人間と言えど敵なのか味方なのか分からない。オウカは上品な仕草で茶をカップに注ぐとエーファの前に置いた。茶色に見えていた彼女の髪は日光に当たると、珍しい赤銅色だった。

「私はセイラーン王国の王女でした。ドラクロアに近いので国交があり、使節団として来ていた夫に番だと認定されて当時の婚約者とは別れてこの国にやってきました」

 エーファはまじまじと目の前のオウカを見た。年齢は分からないが、確かに元王女なら風格や威圧感、気品すべてに納得がいく。

「王女でしたので政略結婚は当たり前。国の利益になるのならと婚約者との別れも受け入れてこの国に来ましたが、私は大変幸運でした。夫が私に寄り添ってくれたからです」

 オウカは自分の身の上をエーファに話すことで一体なにがしたいのだろうか。

「このクソみたいな国で唯一、夫は救いでした」
「え?」

 オウカの雰囲気に似つかわしくない汚い言葉が聞こえてエーファの口はまた開きそうになる。

「マクミラン公爵夫人に会えたとしても、エーファ様は認識されないでしょう」

 いきなりマクミラン公爵夫人に話が戻ってエーファは目を白黒させた。

「それは、私が獣人ではなく人間だからですか?」
「いいえ。マクミラン公爵夫人の心は壊れています。もう誰のことも認識できません。もちろん、私のことも」
「?? マクミラン公爵夫人は確かパンテラ家出身だと聞きました。ヒョウの獣人ですよね?」

 オウカは悲し気に目を伏せる。同性でもドキッとするほどその様子は美しい。
 あれ? 待てよ? 共鳴期ってリヒトシュタインが言ってなかったっけ? 番同士の状態が共鳴、等しくなるんだから……マクミラン公爵は夫人が臥せっているのにどうして元気なんだろう?

「えぇ、彼女はパンテラ家のご令嬢でした。ヒョウの獣人です。そして、マクミラン公爵の番でもありません」
「え……?」

 口からは疑問の声が出る。番ではないなら共鳴しないだろうからマクミラン公爵が元気なのも説明がつく。でも心が壊れているというのは? 番がいなければ恋愛結婚のはずでは? 公爵家だから政略結婚ってこと?

「マクミラン公爵夫人、いえ、あえてこの名前で呼びましょう。サーシャ・パンテラの番は人間でした」

 入隊や天空城で忙しかったとはいえ、マクミラン公爵夫人の名前さえ聞いてなかったのはまずかった。もう少しギデオンに関心のある演技をしないと。

「マクミラン公爵の番はドラクロアに存在しませんでした。そして彼はサーシャに恋をした。しかし、サーシャは他国まで番を探しに行き、人間の男を連れて帰ってくることになりました。攫ったのかもしれませんね。詳しくは分かりません」
「えっと、ではなぜサーシャ様はマクミラン公爵とご結婚を?」
「マクミラン公爵は、サーシャ達がドラクロアに入国する直前に男を殺したのです。すべてはサーシャを自分のものにするために」

 いきなりサスペンスの内容になった。話に一瞬ついていけずに遠い目をしてしまう。

「番でなくても相手をめぐって殺害が起きるのですか?」
「えぇ。番は特別ですが、あの当時はまだまだ人間は舐められていました。番として人間を受け入れない風潮も今より強かった。強い者こそ正義という考えがまかり通っていたのです」

 今でもその考えで人間は舐められている。魔物を横取りされかけた時や入隊初日のギデオンの部下の態度を思い出す。

「マクミラン公爵はそのあと、サーシャを無理矢理娶りました。幻覚剤や麻薬といった薬を使用して関係をもったようですね。パンテラ家は公爵家といっても落ち目ですから、そのようなことが許されたのです」

 サスペンスどころかホラーの域だ。

「番が殺されたことと薬の影響もあってサーシャの心は壊れています。だから会ってもエーファ様を認識できないのです」

 竜王陛下の番様のような状態だろうか。人間でも獣人でもそうなるのか。

「パンテラ家が落ち目とはどういう意味ですか?」
「パンテラ家はその昔、驕って竜人に歯向かおうとしたのです。それによって幼い子供たち以外、パンテラ一族は竜人によって皆殺しにされました。なんとか生き残った一族で武勲を上げて公爵家の形だけは保っていますが、それ以来パンテラ家は竜人から嫌われているのです」

 ドラクロアの歴史について不勉強すぎてエーファにはよく分からなかった。この間のアスランだってひどく驕っているように見えたせいもある。

「サーシャはマクミラン公爵の歪んだ愛の被害者ですわ。番という概念だって人間には受け入れられませんが、マクミラン公爵の愛の形は異常ではございませんこと? そんな話がこの国にはゴロゴロ転がっています。強ければ何をしてもいいというようなことが。クソみたいな国でしょう?」

 すぐには頷けず、視線を落とした。
 だってエーファはスタンリーのところに戻ろうと画策している。ギデオンに番紛いを飲ませるか、最悪殺してでも、だ。
 それは男を殺して夫人を娶ったマクミラン公爵とも、相手を殺して番様を連れてきた竜王陛下ともあまり差がないような気がした。
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