反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

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 そんなエーファを見つめながら、オウカは笑みを浮かべ続ける。

「私は何人も見てきましたわ、愛の被害者を。エーファ様もそうではないかしら。聞くところによると、エーファ様も婚約者と別れてドラクロアにいらっしゃったとか」

 その情報はどこから? ギデオン? いや、ギデオンはわざわざそんなこと喋らないか。プライドが高いし。エーギルかカナン? マクミラン公爵? そんなにその事実は広まっているのだろうか?
 飲み干したカップにオウカがさらにお茶を淹れてくれる。ポットの中の牡丹の花は開き切っていた。開き切った花は過剰でどうにも下品に見えてしまう。

「家のためです。ドラクロアと縁ができれば家にお金が入るんです」

 お金は入っただろうか。一瞬、エーファは実家に思いを馳せる。最近忙しくて考えないようにしていた。でも、そのおかげで番紛いの材料は四割方揃った。

「やはり、エーファ様も愛の被害者ですわね」
「マクミラン公爵夫人はお体が弱いと聞いていたので……今とても驚いています」
「サーシャは麻薬漬けにされてベッドに拘束されていますから。自死を防ぐためですわ。以前、サーシャは自死を試みたことがあります」

 頑張って誤魔化してみたが、ホラーが続いて寒気がしてきた。

「あなたはマクミラン公爵を恨んでいるんじゃないですか? なのに、なぜ公爵に請われて私の教師役を引き受けたのでしょう?」
「私はマクミラン公爵ではなく、ドラクロアを憎んでいますの。マクミラン公爵が歪んでしまったのはこの国のあり方のせい。番だからと近親婚を繰り返し子孫が歪んでしまった。そこで求められるのが他種族、特に人間の血。他国にまで出て番を求めるその浅ましさ。いえ求めることが浅ましいのではありません。無理矢理同意なく、脅迫や暴力などの手段を用いて連れて帰ってくることが浅ましいのです。その自分本位な浅ましさは悲劇を生みます」

 話が大きくなっている気がする。というかこの話、マクミラン公爵家でしていいもの?

「エーファ様、私はあなたに多大なる興味がありました。そして、公爵家の使用人には私の知り合いがおりますの。人払いをしっかりしてくれていますわ」

 扉に向けた視線の意味をくみ取ったオウカは余裕そうに笑う。
 え、じゃあ私の日常生活も筒抜けじゃない? 番紛いの材料は空間に入れているからバレていないはずだけど。それ以外は大体バレてる?

「エーファ様は大変気が強い方ですわね。獣人は嫌だと言われたり、逃げられたりすると追いたくなる性分ですの。番でなくとも好かれるポイントです」

 今までのギデオンに対する態度は全部墓穴掘ってたってこと?

「エーファ様。あなたのことは粗方調べさせていただきました。私はあなたのことを買っています」
「買いかぶりすぎではないですか?」
「ふふ。エーファ様は自己紹介する際にご自身のことを『エーファ・シュミット』だと名乗りました。気が強いではないですか、マクミラン公爵家には入らないという宣言でしょう?」

 いえ、無意識で自分のフルネームを名乗っただけです。

「無意識に気の強さは現れてしまうものです。『エーファ』とだけ名乗っていい場面でフルネームを言ってしまう。ふふ。人間で初の戦闘部隊入隊まで。気が強くなければやっていけないでしょう」
「は、はぁ」
「一緒にドラクロアにやってきたミレリヤ嬢は脅されたような形でカナン・アザールと番ってしまっています。そして、セレンティア嬢も順調にエーギル・クロックフォードに依存していっているご様子」

 マクミラン公爵家以外にも各家に知り合いがいるのだろうか。

「ミレリヤは……脅されたんですか?」
「全く知らない国に連れてこられて。急に一年後は別の番を迎える、この家に君はいてもいいけど君じゃない番と自分が仲良く過ごすのは許してね、お金は出すけど君は一年後には大切な存在じゃなくなるよ、なんて説明されて。これが脅しではなくて何でしょうか? そんなことを言われたら縋って体を許すでしょう。オシドリはメスが子育てをします。ミレリヤ嬢は自分の存在意義を求めたのです」

 エーファは唇を噛んだ。痛い。唇じゃなくて、心が。
 オウカは三本、長い指を立てる。労働を知らない綺麗な手入れの行き届いた指だ。

「三カ月。番と認定されて三カ月で多くの人間は相手に依存し始めるか、精神を病んでいきます。ここが勝負どころです。エーファ様、あなたはそろそろ三カ月を迎えようとしているのにそのどちらの兆候もない。これがあなたを買っている大きな理由です」

 オウカの唇が大きく弧を描いた。この方は開きすぎた牡丹のような人だ。最初は綺麗で気の強い人だと思った。でも、今はうすら寒いくらい不気味だ。
 この人は私の味方になり得ない。勘がそう警鐘を鳴らしている。

「ドラクロアを盤上からひっくり返すという私の計画に乗りませんこと?」

 やはり話が大きくなっている。
 エーファは無性にスタンリーに会いたくなった。ただ逃げたいだけ、いやスタンリーのところに帰りたいだけ。なのになぜドラクロアを滅ぼすような話になっているのだろう?

「何をされるつもりなんですか? 竜人を殺すんですか?」
「まさか。あなたもご覧になったでしょう? 百獣の王の頂点であるアスラン・リオルはあなたの目の前で竜人に手も足も出なかったはずです」

 よくよく思い出さなくとも、あれはリヒトシュタインによる一方的な蹂躙だった。

「ライオン獣人のリオル家は最近、当主のアスラン・リオルを筆頭に力に物を言わせて好き勝手していました。リオル家は公爵家、さらに言えば筆頭公爵家です。マクミラン公爵家とは残念ながら格が違います。パンテラ家が落ち目になって以降、リオル家がほぼ戦闘部隊の総隊長を担ってきました。稀にペラジガス家、そして前総隊長は珍しいことにマクミラン家でした。力があり驕り、調子に乗っていたリオル家ですが、ついこの前エーファ様もいらっしゃる場であの事件が起きましたね」

 オウカがあまりに滔々と話すので、これはもはや計画に乗る乗らないではなく授業なのではと思い始めた。

「次期竜王陛下と呼ばれるリヒトシュタイン殿下による地上への干渉。これは極めて珍しい事態なんですの」
「は、はぁ。そんなに?」
「えぇ。竜人は地上のことにほとんど干渉しません。ですが、エーファ様があの場にいたからリヒトシュタイン殿下は干渉しに地上へと降りてきた」

 それは違う。あれは母親のために様子を見に来ただけだ。エーファのことは死にかけたセミか、壊れてもいい玩具あたりだと思っているだろう。

「これがあなたを買っている次の理由です」
「あなたは一体……何がしたいんですか?」

 オウカの真意は全く読めない。エーファは計略を巡らせるのは得意ではないのだ。

「私が願うのは、ドラクロアのせいで愛の被害者がこれ以上でないことですの」

 抽象的だ。計画をペラペラ話されても困るが、これも困る。

「あなたは番反対派なんですか?」

 オウカは笑って「まだ時間はありますものね」とだけ答えた。
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