反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

4

 オウカが何に巻き込もうとしているのか分からず、ミレリヤを訪ねた。彼女なら物事を冷静に見てくれる。純血主義としか知らない番反対派について何か知っているかもしれない。なんといってもカナンは諜報部隊なんだから。

「ごめんね……こんなんで」
「ううん。つわりってこんなに酷いんだね」

 ミレリヤは勘通り妊娠していた。しかもつわりが酷く、吐くか寝ているかだ。

「何なら食べられるかな? 果物?」
「今のところ水分だけ……」
「リンゴすろうか? 食べてみる?」
「うん……」

 この状況では相談どころではない。リンゴをすって食べさせたり、背中をさすったりと忙しい。ミレリヤはリンゴをおろしたものを何とか食べてくれた。

「家庭教師、始まったんだっけ?」
「うん、そうそう。まだ一回だけ。顔合わせだけどね」

 ベッドに横たわってしんどそうなミレリヤの横で本をめくる。
 開け放たれた窓から鮮やかな小鳥がひっきりなしに出入りして、ミレリヤの枕元で歌ったり、踊ったり、木の実を置いて出て行ったりする。

「小鳥っていつもこんなに来るの?」
「うん。カナンが仕事の時は、こんな感じ」
「うわぁ……あ、ローズヒップティーなら妊娠中飲んでいいって書いてある。酸味があるからいいかも」

 アザール家の使用人たちは人間と接した経験が少ないのと、つわりの症状を見るのが初めてらしく右往左往しているようだ。

「食べられるものをちょっとずつ食べるしかないね。リンゴすったのばっかりでも飽きちゃうし」
「うん、ありがとう」

 ミレリヤはぐったりとベッドに横たわっている。

「ごめんね、せっかく、休みの日に来てくれたのに」
「ううん。私こそごめんね。こんなにしんどそいって知らなくって」
「手紙に書いたんだけど……届いてなかった?」
「え、来てない。いつ?」
「……先週出したけど……手紙書いてるときカナンがずっと見てたから……というか休みの日と仕事から帰ってきたら張り付いて世話を焼いてくれるんだけど……まさか」
「いやいや、ギデオンかもしれない。私、公爵家の使用人に好かれてないから手紙隠されたかも。いや、そもそも配達ミスかもしれないし!」
「そうだね……うっ」

 ミレリヤは吐いては横になるを繰り返した。疲れさせるのもしのびないので、相談は切り出さずに今度はクロックフォード伯爵邸に向かう。エーギルが魔法を教えろとうるさいからだ。
 そういえばオウカはミレリヤとマルティネス様のことを知っている風だった。エーファがミレリヤに相談したところでオウカに筒抜けかもしれない。
 あぁ、疲れる。どうすればいいか分からない、考えるだけで疲れる。
 

「上達してる!」
「当たり前だろ、毎日練習したんだ」
「いや、毎日って。無理しすぎると仕事に支障が出るよ」
「二十本のろうそくに火がともせるようになった。次は何をするんだ?」
「うーん、じゃあ次は」

 エーギルの上達が予想よりも早い。

「マルティネス様から何か習った?」
「彼女は知識がすごいからいろいろ聞いた」
「なるほどね」

 知識を先に詰め込んだタイプか。側で見ていたマルティネス様がにこっと笑う。相変わらず声は出ないようだ。

「じゃあ手貸して。魔力の流れは……あ、このくらいなら次のステップいっていいかな」
「詠唱か?」
「んなわけないでしょ。次はろうそくじゃなくて焚火を燃やす練習。野営はないみたいだけどキャンプで役に立つんじゃない?」
「確認するが、教える気はあるんだよな?」
「あるある。私だって貴重な休みを潰して無償で付き合ってるんだけど。疑うならやめる」
「いや、基礎練習が長いとどうしても……」

 やめると脅したせいかエーギルは少し縮こまっている。

「今まで使ってなかったんだから仕方ないでしょ。これが終わったら離れたとこに魔法を当てる練習に移るから。少し実戦向きだよ」
「本当か? 分かった」
「しょぼい魔法だったらただでさえ馬鹿にされるんだからね。なるべく派手なのを使えるようにしないと」

 その一言でやる気が出たのかエーギルは練習を再開している。やっとマルティネス様とお茶をして一息ついた。
 ミレリヤはマルティネス様には手紙を出していないらしい。ただでさえまだ不安定なのにミレリヤが妊娠したという話をしたらどうなるか分からないからだ。

「マルティネス様は番反対派って聞いたことあります?」
「ないわ。私、屋敷から出ないから……」
「家庭教師から習ったりしてません?」
「そこまではまだ……」

 マルティネス様はなんだか元気がない。さっき庭で魔法の練習を見ていた時は普通だったのだが、体調が悪いのだろうか。
 そんなことを考えてチラチラ様子をうかがっていると、マルティネス様が袖をくいっと引いた。

「どうしました?」

 サラサラとマルティネス様は紙に字を書き、一瞬止まった。

「言いにくいんだけど……」

 もしかして番反対派について何か知っているのだろうか? 少し期待して「何でも言ってください」と続きを促した。

「しばらくクロックフォード伯爵邸には来ないでくれないかしら」

 何度か書きづらそうにペンが止まったものの、紙にはそう書かれていた。何度読み返してもそう書かれている。

「えっと……私がですよね?」

 申し訳なさそうにマルティネス様は頷く。

「どうしてですか? 何か理由でも? もしかしてエーギルから何か言われていますか? 私、何かしてしまいましたか?」

 思わず声が上ずってしまった。さっきエーギルを脅しておいてなんだが、急に来ないでと言われるとさすがに傷つく。無神経なことをしてしまっただろうか。

「あなたとエーギルが一緒に仲良くしているのが嫌なの」

 なぜだろう。来ないでと書かれた時よりもこの言葉の方が傷つく。エーギルと仲良くしているつもりはないが、マルティネス様のこれは嫉妬だ。

「魔法を教えるのもダメってことですよね。それが一番ですよね」
「そう。知識だけなら私もあるから」

 エーギルが魔法を使いこなせるようになると障害になる可能性もあって困るから、適当なところで切り上げるか、嘘でも教えようとは思っていたけど。

「嫌なの。今日もエーギルの手を握っていたでしょ。ああいうのも嫌なの」

 震える字で書かれた。さらに続く。

「あなたを嫌いになりたくない。自分もこれ以上、醜くなりたくない」
「分かりました。しばらくというか、マルティネス様から許可が出るまでもう来ません。これでいいですか?」
「ありがとう」
「では、あの人には適当に誤魔化しておいていただけます? 仕事が忙しいとか、公爵家での教育が忙しいと」

 マルティネス様は頷く。そのあとは会話が続かずに早々にクロックフォード伯爵邸を後にした。

 虚しくて、孤独だった。誰にも何も相談できない。ミレリヤとマルティネス様を一気に失ってしまった気分だ。ミレリヤの気持ちは分かる。彼女は好きな人がいたわけじゃない。実家から出たかったのだし。

 でも、マルティネス様は……駆け落ちしようとまでした恋人が亡くなってまだ数カ月なのに。嫉妬の目を向けるほどエーギルに傾くなんて。スタンリーの元にどうにか帰ろうとしているエーファには理解しがたい心情だった。
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