反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
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「今日は授業はナシにしましょう。歴史やマナーなんて今すぐ覚える必要はございませんから」
いつも淡い色のドレスを着ているオウカなのだが、今日は喪に服すように黒い服を着ている。
「ドラクロアでは喪に服すという概念はございません。もちろん、悲しんでいないという意味ではありませんよ。でも、今日はヴァルトルト王国の伝統にのっとり黒い服にしました。ちなみにセイラーンでは白い服で喪に服します」
ぼうっとしながらエーファは頷いた。
「食事は摂れていらっしゃいますか?」
茶を淹れながらオウカは気遣わしそうな視線をこちらに向けて来る。
食事? 味がしないものを食べて何になるというのだろう。辛い物は唯一、舌が痺れるからその刺激だけで生きている気がした。
「エーファ様は少しお痩せになられました」
言葉を返さなくてもオウカは淡々と喋る。ギデオンの心配そうに見てくる視線が鬱陶しかったから、オウカが淡々と喋ってくれるのは案外ありがたかった。
「でも、セレンティア嬢は正しいことをなされました」
「え?」
「彼女は依存し始めていたはずです。しかし正気を取り戻したのでしょう。エーギル・クロックフォードに依存するべきではないと」
オウカは一体何を言い出したのだろう。
「でも、死ななくても……良かったのに」
「エーファ様ならそうおっしゃるでしょう。セレンティア嬢は対抗する術を持たなかった。卓越した頭脳あるいは魔法のように攻撃・守備の手段を持たなければ獣人・鳥人には対抗できません。心はどうしても弱くなります」
エーファが俯くと、オウカは手を伸ばしてエーファの手を握った。
「セレンティア嬢もあのような決断をされるなら、私に相談してくだされば良かった。それならあんなことにはならなかったでしょう。私なら手段を持っています」
そうだ、この人を警戒しなければいけない。怪しげな方向に話が転がっていっている。
「エーファ様、セレンティア嬢の事件があってから森に入りましたか?」
「いえ」
昨日は森に入るはずだった。でも、ハンネス隊長はエーファの顔を見てすぐに「帰れ」と命じたのだ。「そんな顔した奴がいたら士気に関わる。辛気臭い顔をどうにかしろ」と。だから森には入っていない。強制的な休みだ。
「セレンティア嬢の事件後から出現する魔物が増えています」
「そうなんですか?」
そんな話は聞いていない。
「人間は非力。ドラクロアでは人間をアリと同等くらいに考えている者もいます」
リヒトシュタインは死にかけたセミ扱いだったから納得だ。
「ですが、人間は魔物に影響を与えます。ご存じなかったでしょう?」
「そんなこと……冗談ですよね」
そんなこと聞いたことがない。
「ドラクロアに来られた際に思いませんでしたか? 魔物が大きいと」
「それはまぁ……驚きました」
見たことがないサイズだった。約二倍の大きさだろうか。
「ドラクロアに番として連れてこられた人間が亡くなるたびに、魔物の出現数は増えています」
「……偶然じゃないんですか?」
「そう思いたいのも分かりますわ。私の母国セイラーンはドラクロアの隣国。魔物の被害は他国よりも多いのです。そのため研究だって進められてきたのですよ」
オウカは一体何を言っているのだろう。
「でも、そんなことは何も発表されていません」
「発表したらドラクロアが攻めて来るかもしれませんわね。最弱とみなされる人間の悲しみが魔物を多く強くしている、だなんて。彼らには受け入れがたいのではないですか。だから、ドラクロア周辺に出没する魔物は大きくて強いのですよ」
オウカはゆったりと微笑んでいる。
もしかしてオウカは精神的におかしくなっているのだろうか。困惑するエーファに対してさらに続ける。
「ドラクロアの獣人と鳥人たちは魔物に殺されるべきなのです。それが人間を無理矢理ドラクロアに連れてきて苦しめた彼らへの因果応報なのですわ」
やっぱり、オウカはおかしい。息を吸い込むとオウカの淹れたセイラーン独特のお茶の香りが鼻をくすぐる。
「にわかには信じられません。それが本当なら人間がたくさん住んでいる国の周辺だって魔物が強く大きいはずです。悲しみはどこの国にもあるでしょうから」
「エーファ様はセレンティア嬢を亡くされましたが冷静でいらっしゃいますね」
オウカの微笑に初めて腹が立った。
セレンを目の前で死なせて冷静? どこが? 毎晩、目を瞑るとあの光景をありありと見る。焦げ臭さの充満した部屋、落ちて来る天井、そしてセレンの頭から流れた血。
「誉め言葉です。ドラクロアの森には魔物を生む源泉がございます。人間の感情によって左右される源泉が。もちろん魔物同士で番って卵から生まれることもあります。だから魔物の増え方は二通りあるのですよ。源泉があるからこそドラクロア周辺の魔物は強く大きいのです」
「軍ではそのようなことは聞いていませんが……なぜそのことを知っていらっしゃるんですか?」
宰相の妻だから知っているのだろうか。それならあの宰相も知っているということか。
エーファは嫌でもオウカへの警戒度を上げざるを得なかった。セレンを亡くして傷心しているエーファに今入り込もうとしている。
「そもそもその源泉というものをなくせば魔物の被害は相当減りますよね。そうすれば」
「エーファ様は政治というものを理解しておられないのですね」
「はい?」
「魔物が減れば、メインの食料はどうするのでしょう。農作業が全員にできるとでも? 食糧難に瞬く間に陥ります。草食の者たちは困らないかもしれませんが」
「でも、魔物の被害に遭うのは……他国だって被害を受けているのに。それに森に魔獣が出なくなれば切り開けば」
「それはそうですわね。源泉を消滅させられるなら理想でした。しかし、源泉はどうやってもなくならなかった。だから、共存するために軍を投入した。力を誇示したい獣人たちはそれがちょうどよかったのでしょうね」
この話、どこまでオウカを信じていいものだろうか。
「ねぇ、エーファ様。今どんなご気分でしょう? これまで殺していた魔物たち。その源は人間の悲しみなのです。セレンティア嬢の悲しみも魔物となってドラクロアに牙をむくでしょう。そう考えると、魔物を狩る意味が違ってきませんか?」
「まだ……人間の悲しみだと決まったわけではないでしょう」
「ふふ。本当かそうでないかなんて些細なことでしょう? 魔物に獣人・鳥人たちを殺してほしいとは思いませんか? 力で対抗できないなら魔物で。エーファ様だってドラクロアが憎いはず。この計画に乗りませんこと?」
初日以降は何も言われなかったが、セレンが亡くなった途端、これか。
「今は……何も考えられません」
オウカは残念そうに肩をすくめたが、それ以上何も言わなかった。
いつも淡い色のドレスを着ているオウカなのだが、今日は喪に服すように黒い服を着ている。
「ドラクロアでは喪に服すという概念はございません。もちろん、悲しんでいないという意味ではありませんよ。でも、今日はヴァルトルト王国の伝統にのっとり黒い服にしました。ちなみにセイラーンでは白い服で喪に服します」
ぼうっとしながらエーファは頷いた。
「食事は摂れていらっしゃいますか?」
茶を淹れながらオウカは気遣わしそうな視線をこちらに向けて来る。
食事? 味がしないものを食べて何になるというのだろう。辛い物は唯一、舌が痺れるからその刺激だけで生きている気がした。
「エーファ様は少しお痩せになられました」
言葉を返さなくてもオウカは淡々と喋る。ギデオンの心配そうに見てくる視線が鬱陶しかったから、オウカが淡々と喋ってくれるのは案外ありがたかった。
「でも、セレンティア嬢は正しいことをなされました」
「え?」
「彼女は依存し始めていたはずです。しかし正気を取り戻したのでしょう。エーギル・クロックフォードに依存するべきではないと」
オウカは一体何を言い出したのだろう。
「でも、死ななくても……良かったのに」
「エーファ様ならそうおっしゃるでしょう。セレンティア嬢は対抗する術を持たなかった。卓越した頭脳あるいは魔法のように攻撃・守備の手段を持たなければ獣人・鳥人には対抗できません。心はどうしても弱くなります」
エーファが俯くと、オウカは手を伸ばしてエーファの手を握った。
「セレンティア嬢もあのような決断をされるなら、私に相談してくだされば良かった。それならあんなことにはならなかったでしょう。私なら手段を持っています」
そうだ、この人を警戒しなければいけない。怪しげな方向に話が転がっていっている。
「エーファ様、セレンティア嬢の事件があってから森に入りましたか?」
「いえ」
昨日は森に入るはずだった。でも、ハンネス隊長はエーファの顔を見てすぐに「帰れ」と命じたのだ。「そんな顔した奴がいたら士気に関わる。辛気臭い顔をどうにかしろ」と。だから森には入っていない。強制的な休みだ。
「セレンティア嬢の事件後から出現する魔物が増えています」
「そうなんですか?」
そんな話は聞いていない。
「人間は非力。ドラクロアでは人間をアリと同等くらいに考えている者もいます」
リヒトシュタインは死にかけたセミ扱いだったから納得だ。
「ですが、人間は魔物に影響を与えます。ご存じなかったでしょう?」
「そんなこと……冗談ですよね」
そんなこと聞いたことがない。
「ドラクロアに来られた際に思いませんでしたか? 魔物が大きいと」
「それはまぁ……驚きました」
見たことがないサイズだった。約二倍の大きさだろうか。
「ドラクロアに番として連れてこられた人間が亡くなるたびに、魔物の出現数は増えています」
「……偶然じゃないんですか?」
「そう思いたいのも分かりますわ。私の母国セイラーンはドラクロアの隣国。魔物の被害は他国よりも多いのです。そのため研究だって進められてきたのですよ」
オウカは一体何を言っているのだろう。
「でも、そんなことは何も発表されていません」
「発表したらドラクロアが攻めて来るかもしれませんわね。最弱とみなされる人間の悲しみが魔物を多く強くしている、だなんて。彼らには受け入れがたいのではないですか。だから、ドラクロア周辺に出没する魔物は大きくて強いのですよ」
オウカはゆったりと微笑んでいる。
もしかしてオウカは精神的におかしくなっているのだろうか。困惑するエーファに対してさらに続ける。
「ドラクロアの獣人と鳥人たちは魔物に殺されるべきなのです。それが人間を無理矢理ドラクロアに連れてきて苦しめた彼らへの因果応報なのですわ」
やっぱり、オウカはおかしい。息を吸い込むとオウカの淹れたセイラーン独特のお茶の香りが鼻をくすぐる。
「にわかには信じられません。それが本当なら人間がたくさん住んでいる国の周辺だって魔物が強く大きいはずです。悲しみはどこの国にもあるでしょうから」
「エーファ様はセレンティア嬢を亡くされましたが冷静でいらっしゃいますね」
オウカの微笑に初めて腹が立った。
セレンを目の前で死なせて冷静? どこが? 毎晩、目を瞑るとあの光景をありありと見る。焦げ臭さの充満した部屋、落ちて来る天井、そしてセレンの頭から流れた血。
「誉め言葉です。ドラクロアの森には魔物を生む源泉がございます。人間の感情によって左右される源泉が。もちろん魔物同士で番って卵から生まれることもあります。だから魔物の増え方は二通りあるのですよ。源泉があるからこそドラクロア周辺の魔物は強く大きいのです」
「軍ではそのようなことは聞いていませんが……なぜそのことを知っていらっしゃるんですか?」
宰相の妻だから知っているのだろうか。それならあの宰相も知っているということか。
エーファは嫌でもオウカへの警戒度を上げざるを得なかった。セレンを亡くして傷心しているエーファに今入り込もうとしている。
「そもそもその源泉というものをなくせば魔物の被害は相当減りますよね。そうすれば」
「エーファ様は政治というものを理解しておられないのですね」
「はい?」
「魔物が減れば、メインの食料はどうするのでしょう。農作業が全員にできるとでも? 食糧難に瞬く間に陥ります。草食の者たちは困らないかもしれませんが」
「でも、魔物の被害に遭うのは……他国だって被害を受けているのに。それに森に魔獣が出なくなれば切り開けば」
「それはそうですわね。源泉を消滅させられるなら理想でした。しかし、源泉はどうやってもなくならなかった。だから、共存するために軍を投入した。力を誇示したい獣人たちはそれがちょうどよかったのでしょうね」
この話、どこまでオウカを信じていいものだろうか。
「ねぇ、エーファ様。今どんなご気分でしょう? これまで殺していた魔物たち。その源は人間の悲しみなのです。セレンティア嬢の悲しみも魔物となってドラクロアに牙をむくでしょう。そう考えると、魔物を狩る意味が違ってきませんか?」
「まだ……人間の悲しみだと決まったわけではないでしょう」
「ふふ。本当かそうでないかなんて些細なことでしょう? 魔物に獣人・鳥人たちを殺してほしいとは思いませんか? 力で対抗できないなら魔物で。エーファ様だってドラクロアが憎いはず。この計画に乗りませんこと?」
初日以降は何も言われなかったが、セレンが亡くなった途端、これか。
「今は……何も考えられません」
オウカは残念そうに肩をすくめたが、それ以上何も言わなかった。