反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
5
「なんだ。今日は覇気がないな。脱皮したてのセミか? それともセミの抜け殻か?」
「なんで毎回セミなのよ」
いつも通り、話し相手をして竜王陛下の番様が眠ってからリヒトシュタインがからかいにきた。
昨日はギデオンにキスされたのが気持ち悪くて吐いていたのだ。単純に寝不足だ。
ファーストキスはドラクロアに来る前にスタンリーと済ませていたから死守できたが、それでも落ち込んで油断していたとはいえ嫌いな男にキスされるのは耐えがたいほど気持ちが悪い。
「少し前に死んだらしいな。人間が一人」
なんでもないことのようにサラリと言われて、エーファは座って俯いていた顔を上げた。
「煙がこの城からもよく見えたし臭いが鼻についた。あそこまでやらかした人間も珍しい。さすがはお前の友人だ」
「竜人にとっては人間が死んだくらい、その辺でアリが死んだようなものなんでしょうね」
エーファはイラっとしてそんな言葉を口にした。
「傲慢だな」
てっきり「そうだ。アリやセミほどの興味の欠片もない」くらいの返事かと予想したが全く違った。エーファは意味が分からず、隣に立つリヒトシュタインを見上げる。
「人間というのはあまりに非力な存在であるのに、ひどく傲慢だ。お前は非力な癖に誰かを救えるとでも思っていたのか? 誰かを救えるなどと思い上がるなよ」
「え……?」
「なぜあの人間を救えなかったのかと顔に書いてあるぞ」
ほんの少し空気がピリッとする。珍しく怒っているようだ。
「その人間は死にたかったのではないのか。獣人や鳥人の番になるのを拒んで死んだのならちゃんと死なせてやれ。それとも、俺の母のようになって欲しかったのか?」
全員が全員、竜王陛下の番様のようになるとは思っていない。でも、セレンは……足を折られてからそのようになりかけていた時期もあった。エーファはゆっくり首を振る。
「誰かを救いたい。そんな傲慢な考えはエゴでしかない。誰かに救ってほしいという願いだって傲慢だ。母はたまに正気に戻る瞬間には前の夫が助けに来てくれると信じているがな。結局、自分を救えるのは自分だけだ。お前がやろうとしているように」
リヒトシュタインは眠る母親に視線をやってから、窓を向く。沈みかける太陽が雲を朱色に染めている。
「その人間はお前とは違った形で番とではない一対一の愛を貫いただけだろう。確かに人間の考えることは分からない。竜人なら力ずくで奪うだけだからな、自死など選ばない。だが、自死を否定も肯定もしない。残された者がどう捉えるかだけだ」
すいっとリヒトシュタインが指差す方向には白竜が朱色に染まった空を飛んでいた。
「母の眠る時間が最近だんだん長くなってきている」
「え、それって……もしかして」
「竜王陛下もだんだん元気がなくなってきたな。案外、近いのかもしれない」
何が近いのかお互いに言わないが、しっかり意味は分かる。
「お前が番紛いを飲ませて逃げ出すのと、俺が国を出るのとどちらが早いだろうか」
白竜のティファイラが天空城に近付いてきていた。珍しくいないと思ったらどこかへ行っていたようだ。
「番紛いに入れる、誤認させたいメスの毛なんかもちゃんと集めておけ」
そうだった。
手に入れやすいのは公爵邸の使用人だろうか。ギデオンの愛人狙いの使用人だっていたくらいだ、別に番紛いに入れたところで迷惑などかからないだろう。それか、ケンカを売ってきたギデオンの隊の隊員アリスだろうか。
大きな窓にティファイラが顔をぬうっと近付けてきた。窓を開けると、ティファイラは口にくわえていた何かをぽてっと落とす。
エーファの足元に虹色に輝く花が複数落ちていた。
「虹の花イーリスだ」
「え、これがあの虹の谷に生えてるっていう」
この世界で最も高い山、ドラクロアから少し離れた場所にあるアゴラ山を越えた先にある虹の谷。そこには一面イーリスと呼ばれる虹色に輝く花が咲いているらしい。その景色を見るのは冒険者の夢なんだとか。その前に何人も屍になるのだが。
「ティファイラがお前のために摘んできた。もらってやったらどうだ」
足元の花を拾い上げると、花びらすべてが虹色に輝いている。窓は竜が入ってこれるほど大きくないため、ティファイラは首だけ中に入れてエーファに鼻をこすりつけた。
「一つ死んだ人間の墓にでも飾ってやれ。ドラクロアでイーリスを取ってこれるのは竜と竜人のみ。それがあれば火事を起こして死んだ人間を悪く言う奴はいないだろう」
ティファイラの鼻を片手で撫でながら、夕暮れの日差しに虹色の花をかざす。
「ありがとう」
「死んだ奴を悼むなとは言っていない。ただ、後悔はするな。死んだ奴もより哀れになるだろう。番紛いはできそうか?」
「あと二種類、材料を手に入れたら作れる」
「心の火は消えていないようだな」
ティファイラはまるでエーファをなぐさめるようにべろりと頬を舐める。
良かった。私はまだ、ちゃんと立ち上がれる。まさか人間をセミに例える竜人の言葉で勇気づけられるなんて思ってなかった。
よだれがつかないようにエーファは虹の花を空間の中にしまい込んだ。
「なんで毎回セミなのよ」
いつも通り、話し相手をして竜王陛下の番様が眠ってからリヒトシュタインがからかいにきた。
昨日はギデオンにキスされたのが気持ち悪くて吐いていたのだ。単純に寝不足だ。
ファーストキスはドラクロアに来る前にスタンリーと済ませていたから死守できたが、それでも落ち込んで油断していたとはいえ嫌いな男にキスされるのは耐えがたいほど気持ちが悪い。
「少し前に死んだらしいな。人間が一人」
なんでもないことのようにサラリと言われて、エーファは座って俯いていた顔を上げた。
「煙がこの城からもよく見えたし臭いが鼻についた。あそこまでやらかした人間も珍しい。さすがはお前の友人だ」
「竜人にとっては人間が死んだくらい、その辺でアリが死んだようなものなんでしょうね」
エーファはイラっとしてそんな言葉を口にした。
「傲慢だな」
てっきり「そうだ。アリやセミほどの興味の欠片もない」くらいの返事かと予想したが全く違った。エーファは意味が分からず、隣に立つリヒトシュタインを見上げる。
「人間というのはあまりに非力な存在であるのに、ひどく傲慢だ。お前は非力な癖に誰かを救えるとでも思っていたのか? 誰かを救えるなどと思い上がるなよ」
「え……?」
「なぜあの人間を救えなかったのかと顔に書いてあるぞ」
ほんの少し空気がピリッとする。珍しく怒っているようだ。
「その人間は死にたかったのではないのか。獣人や鳥人の番になるのを拒んで死んだのならちゃんと死なせてやれ。それとも、俺の母のようになって欲しかったのか?」
全員が全員、竜王陛下の番様のようになるとは思っていない。でも、セレンは……足を折られてからそのようになりかけていた時期もあった。エーファはゆっくり首を振る。
「誰かを救いたい。そんな傲慢な考えはエゴでしかない。誰かに救ってほしいという願いだって傲慢だ。母はたまに正気に戻る瞬間には前の夫が助けに来てくれると信じているがな。結局、自分を救えるのは自分だけだ。お前がやろうとしているように」
リヒトシュタインは眠る母親に視線をやってから、窓を向く。沈みかける太陽が雲を朱色に染めている。
「その人間はお前とは違った形で番とではない一対一の愛を貫いただけだろう。確かに人間の考えることは分からない。竜人なら力ずくで奪うだけだからな、自死など選ばない。だが、自死を否定も肯定もしない。残された者がどう捉えるかだけだ」
すいっとリヒトシュタインが指差す方向には白竜が朱色に染まった空を飛んでいた。
「母の眠る時間が最近だんだん長くなってきている」
「え、それって……もしかして」
「竜王陛下もだんだん元気がなくなってきたな。案外、近いのかもしれない」
何が近いのかお互いに言わないが、しっかり意味は分かる。
「お前が番紛いを飲ませて逃げ出すのと、俺が国を出るのとどちらが早いだろうか」
白竜のティファイラが天空城に近付いてきていた。珍しくいないと思ったらどこかへ行っていたようだ。
「番紛いに入れる、誤認させたいメスの毛なんかもちゃんと集めておけ」
そうだった。
手に入れやすいのは公爵邸の使用人だろうか。ギデオンの愛人狙いの使用人だっていたくらいだ、別に番紛いに入れたところで迷惑などかからないだろう。それか、ケンカを売ってきたギデオンの隊の隊員アリスだろうか。
大きな窓にティファイラが顔をぬうっと近付けてきた。窓を開けると、ティファイラは口にくわえていた何かをぽてっと落とす。
エーファの足元に虹色に輝く花が複数落ちていた。
「虹の花イーリスだ」
「え、これがあの虹の谷に生えてるっていう」
この世界で最も高い山、ドラクロアから少し離れた場所にあるアゴラ山を越えた先にある虹の谷。そこには一面イーリスと呼ばれる虹色に輝く花が咲いているらしい。その景色を見るのは冒険者の夢なんだとか。その前に何人も屍になるのだが。
「ティファイラがお前のために摘んできた。もらってやったらどうだ」
足元の花を拾い上げると、花びらすべてが虹色に輝いている。窓は竜が入ってこれるほど大きくないため、ティファイラは首だけ中に入れてエーファに鼻をこすりつけた。
「一つ死んだ人間の墓にでも飾ってやれ。ドラクロアでイーリスを取ってこれるのは竜と竜人のみ。それがあれば火事を起こして死んだ人間を悪く言う奴はいないだろう」
ティファイラの鼻を片手で撫でながら、夕暮れの日差しに虹色の花をかざす。
「ありがとう」
「死んだ奴を悼むなとは言っていない。ただ、後悔はするな。死んだ奴もより哀れになるだろう。番紛いはできそうか?」
「あと二種類、材料を手に入れたら作れる」
「心の火は消えていないようだな」
ティファイラはまるでエーファをなぐさめるようにべろりと頬を舐める。
良かった。私はまだ、ちゃんと立ち上がれる。まさか人間をセミに例える竜人の言葉で勇気づけられるなんて思ってなかった。
よだれがつかないようにエーファは虹の花を空間の中にしまい込んだ。