反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

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 道具だけ借りてきて、公爵邸の部屋で作業を始める。
 魔法で切ったり混ぜたりできるので大して道具が要らないのも幸いだった。道具を借りた手前、傷薬も作っておかないと怪しまれるのでいくつか作っておく。といっても余分に作って空間に入れておいたのをさも今日作ったように出せばいいか。

 採取した材料を切り刻んで混ぜて撹拌する。リヒトシュタインから聞いた通り、淡い水色の液体が出来上がった。そこにブチブチ抜いた使用人の髪の毛を入れると反応が起きて無色透明になった。

 良かった。
 これでピンクや緑色だったら料理に入れるのが難しいところだった。全部飲ませる必要はないと聞いているが、用心のため多めに料理に混ぜよう。
 結局、ギデオンのところの隊員アリスとは会う機会がなかったから彼女の毛髪が手に入らなかったのだ。火傷は治ったが、討伐に出すには問題があるらしく事務方に回されたようなので全く会わない。

 そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。
 空間に出来上がった番紛いをしまって、首をかしげながらドアに近付く。この前のことがあったので使用人たちはエーファを目にした途端逃げていくのだ。どこかしらに火傷の跡を残しており、唯一無事なのは執事長のみ。

 その執事長もこの前のことがトラウマなのか、口はきくけれども震えている。料理人たちの中には火を使って調理ができない者もいるらしい。知ったことではないが。

 というわけで、エーファの部屋のドアをノックする猛者は使用人の中にはいないだろう。それか、緊急事態なのか。ギデオンは仕事に行っているはずだ。その日を狙って休みをもらったのだ。

 ドアを開けると、いたのは意外にもシュメオンだった。ギデオンの小さい弟である。全く交流していないシュメオンの訪れにエーファは思わず眉根を寄せる。

「何かあったの?」
「えっとね、今日お母さま体調いいから」

 外見は小さくなったギデオンそのままだ。こちらを見上げて一生懸命話してくる。ギデオンとは違い、あざとい。ギデオンそっくりなので可愛いとも思えないのが少し悲しい。

「いいから?」
「会いに来るかって」
「お母さまって公爵夫人?」
「うん」
「あなたが判断していいの?」
「お父さまがいいって」
「いま傷薬を作ってて。片付けたらすぐに行くから待っていてくれる?」
「うん、分かった」

 なぜかキラキラした目で見られているが……この子、この前の阿鼻叫喚の現場見てたよね?
 着替えようかとも考えたが、竜の香りがどうしてもついているだろうし薬草の臭いで誤魔化せるほうがいいかと机の上を振り返って確認してからシュメオンについていった。

 薬品臭がむわっと香る広い部屋。天蓋の付いた大きなベッドに横たわる小柄な女性。

「お父さま、これからお出かけだから」
「あなたは? いつもここにいるの?」
「お勉強と剣術以外の時はここにいるよ? お母さま、病気だから一人で寂しくないよーにって」

 部屋の隅には使用人が控えている。火傷は顔にはないようだが、エーファには怯えているようだ。
 シュメオンは母親がこうなった理由を知らないのか。しかも体のいい監視役にされている感じもする。

 近付くとパサついた金色の髪が見えた。竜王陛下の番様のようにやせ細った体も。生気のない目はどこを見ているのか分からず、手は小刻みに震え口の端からはヨダレが垂れている。シュメオンは近付いて慣れた手つきでヨダレを拭ってあげていた。

「公爵夫人は……何のご病気なの?」
「うーん、分かんない。ね、お母さま、兄さまの番様が来てくれたよ。他の国から来てくれたんだって」

 シュメオンは無邪気に母親に話しかけている。エーファにはその光景が異常に見えた。

「あのね、兄さまの番様はね、すっごく強いんだよ。魔法も使えてね! もう軍にも入ってててね! この前なんて玄関ホールで火をバーッて出しててね!」

 何の反応も示さない公爵夫人に向かって、シュメオンは身振り手振りで楽しそうに喋っている。
 竜王陛下の番様と同じだ。公爵夫人は獣人ではあるが、これが無理矢理ドラクロアに連れてこられた人間のなれの果てでもあるのか。セレンはこうなる前に自分の手で自分の人生を決めたのかもしれない。

「ほら、お母さまに自己紹介して!」

 シュメオンに促されて挨拶したがもちろん反応は返ってこない。シュメオンの場違いなほどの明るい声だけが部屋に響いている。

 しばらくシュメオンは一方的に話しかけ続け、エーファがいたたまれなさで心が磨り減ってきたところで部屋を辞すことになった。

「サーシャ様、また会いに来ますね」

 聞こえていないだろうが社交辞令でエーファがそう挨拶すると、手が伸びてきて手首を掴まれた。骨と皮だけに見えるのにとても強い力だ。全く反応がなかったはずの公爵夫人はエーファの方をしっかり向いて、何か言おうと口をパクパクさせている。落ちくぼんだ目が余計に怖い。

「あー、お母さま。ダメですよ。また会いに来てくれますから」

 シュメオンはエーファの状況に気付くと公爵夫人の手を無理矢理はがした。

「たまに調子がいいとこういうことがあります」
「そ、そう」
「またお母さまに会いに来てくださいね」

 てへへっと笑うシュメオンの後ろでは、公爵夫人があぅあぅと呻きながらこちらに必死に手を伸ばしていた。
 その光景がずっと、眠るときも目に焼き付いていた。
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