反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

7

 翌朝、エーファは家族とは一言も喋らずに城へ向かった。何か言いたげな視線をずっと感じたが振り切るようにして宿を出た。昨夜は一睡もできなかった。

「結局来たんだ?」
「はい。不本意ですがお金もちらつかされました。吹けば飛ぶような男爵家なので」
「そっかぁ」

 先に到着していたトレース様に悲壮感はない。むしろ清々しい表情だ。今日はさすがに流行遅れのドレスではなく、質のいいワンピースを着ている。
 服への視線に気づいたのか、トレース様は笑った。

「今朝、カナン様。あのオシドリの鳥人の方がうちに来て、取り上げられていたお母様の形見の装飾品とかを全部奪い返してくれたんだ」
「え?」
「このワンピース。本当は義妹のなんだけど。カナン様が『僕の番にみすぼらしい格好をさせるなんて馬鹿にしてるの?』って凄んでくれて。何枚か服を強奪してくれたのよ」
「そ、そうなんですか」

 トレース伯爵家で彼女は相当いびられていたようだ。

「よ、良かったですね?」
「うん、それはほんと良かった。感謝してる。流行遅れのドレスは全部お母様やおばあ様のだったけど、それは荷物になるからお別れしてきた」
「そうだったんですね……」

 エーファはしんみりした。トレース様にとっては昨日の番事件があって良かったのだろう。

 マルティネス様が来ないうちに集合時間になり、集合場所から侍従に促されてドラクロア国に向かうための馬車まで歩く。
 彼女は駆け落ちできたのだろうか。

「あれは?」

 馬車まで近づくにつれて誰かがいるのが見えた。車イスに乗っているようだ。

 さらに近づいてやっと分かった。車イスに座っているのはマルティネス様だが、呼びかけてもどこかを見たままぼんやりしている。そして片足にはギブスが巻かれている。

「お怪我を? 城ではだれか治癒魔法が使えたかと……」
「その必要はない」

 エーファにかぶせるように発言したのは、どこからか現れたトカゲ族だ。エーファはムッとした。治癒魔法が使える人は珍しいが、いないことはない。これから長く旅をするのに怪我をしているなら治癒魔法を受けさせるべきだろう。

「他のオスと逃げようとしていたから。少し痛い目を見てもらった」

 トカゲ族は満足げにマルティネス様を後ろから抱きしめる。彼女は嫌がる素振りもなく、分かっているのかも怪しいが反応もせずにぼんやり虚空を見つめていた。
 もしや、駆け落ちが失敗したということだろうか。

「どういう、ことですか?」
「昨夜遅くに彼女が自身の従者であるオスと逃げようと、屋敷を出たところを見つけてね。我々の番への執着を分かっていないようだったから、分かってもらった」
「じゃあ、マルティネス様のお怪我は……」
「分かってもらった、と言っただろう?」

 トカゲ族はすうっと切れ長の細めの目をさらに細める。まさか――こいつがマルティネス様の足を?
 エーファの背中がすっと冷たくなる。

「従者は捕らえられたんですか?」
「君は何を寝ぼけたことを言っているのか。そんな生ぬるいことをするわけないだろう」

 トカゲ族はエーファを馬鹿にしたように見て、マルティネス様を大切そうに抱きかかえて馬車に乗せた。

 エーファは信じられなかった。こいつ、マルティネス様が逃げられないようにしたわけ? 番だとか言っておいて? 女性の足を折ったの??
 吐き気がしてきた。なんなの、こいつら。番だと言いながら自分に自信がないだけじゃないの?

「心細いだろうから三人でこの馬車に乗ってもらう」

 エーファが怒りを必死に抑えていると、オオカミ獣人のギデオンに後ろから声をかけられた。

「分かりました」

 ギデオンは手を伸ばしてきて、エーファの髪をなんの許可もなく熱い視線と共に触る。

「ドラクロア国までは長いが、番に不自由はさせない」

 もうすでに不自由だ。エーファはそう思ったが唇を噛んで耐えた。頬をするっと撫でられてさすがに一歩引いてしまった。

「他のオスの香りがするな」
「家族や婚約者とお別れしてきましたから」
「そうか。別れを言う時に何度もキスするのか」

 エーファはぞわっとした。何、こいつ? 香りでそこまで分かるっていうの?

「家族や親しい友人とはそういう挨拶をします。そして、私たちは突然のこういう身体的接触には慣れていないんです。髪は貴族女性の命ですから」

 トレース様がエーファの肩を抱いてフォローしてくれた。突然、肩を掴まれたのでエーファの体はまたビクリと跳ねた。

「あぁ、驚いて照れているのか」

 その様子を見てギデオンはいったん納得してくれたようだ。限りなくギデオンに都合のいい方に、だが。

 触られたところがぞわぞわして気持ち悪くて、うつむいたまま馬車に乗り込む。彼らは馬に乗って馬車に並走するらしい。まるで逃げられないように監視されているようだった。
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