反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
7
数日たっても公爵には会えなかった。
執事長に聞いても「報告はまだでして……」と顔色と歯切れが悪い。彼は使用人をまとめるのが大変そうである。
まだ空がよく光るので天空城にも行けない。時々、竜の咆哮も聞こえる。
今日は、とあるカフェに足を運んでいた。入るとすぐに個室に案内される。広い個室の中ではすでにオウカが紅茶を優雅に飲んでいた。
「手紙をいただいたのにわざわざすみません。今は公爵邸でお会いできなくて」
使用人が取り次いでくれるのか、そもそもオウカが公爵邸に入れてもらえるかもわからない。手紙も再度細切れにされたら困るので執事長に頼んだくらいだ。
「ここはマキシムス伯爵家が運営するカフェの一つですからいつ来ても大丈夫なのです」
オウカは気にしていないのかにこやかに向かい側の席を示した。
怪しい提案をしてくるオウカと会わない選択肢ももちろんあった。だが、実害は今のところなく、エーファよりもマクミラン公爵家の状況には詳しいだろう。
「やはりウワサは本当なのですね」
「ウワサ?」
「ギデオンが番を間違ったということです。ギデオンの新しい番を名乗る女が昨日高級ドレスショップで夜会用のドレスを作るように迫っていたと」
「うわぁ……」
さすがにそこまでタバサがやっているとは思わなかった。なかなか調子に乗っている。いや、番だときちんと認められないから彼女も焦っているのかもしれない。
「マクミラン公爵家でのこともご存じなんですよね?」
「えぇ、ですがタバサという使用人の暴走であまり情報が入ってきていません。しかし、相手の女性がそのような行動をしているならこのウワサはすぐに真実として広まるでしょう」
タバサの行動が予想外なので、オウカもエーファに手紙をよこしてきたのだろう。使用人は今タバサを番として扱うかどうかで割れているから。割れているといっても基本的に人間は見下されているので、皆タバサが番であることを歓迎しているように見える。執事長と公爵はどうだか知らないが。
「公爵様から全く音沙汰がなく状況が分からなくて。それもあって使用人もタバサについている者もいて手紙が破かれたりするので屋敷では会わない方がいいかと」
「番を間違えることはあるにはありますが、その事例は少数。そもそも竜王陛下ですらリヒトシュタイン殿下が生まれるまでは失望されていたほどですから恥と捉えるでしょう。金を出して他国にまで行かせた息子が間違った番を連れてきたとは認めたくないものです。まだ婚姻を結んでいないので大きな外交問題にはなりませんが……貿易関連の条件はそのままにしたいはずですし。公爵は隠ぺい工作に必死でしょうね」
隠ぺい工作の前にタバサを何とかしないといけなかった。そこはギデオンの裁量だと思うのだが、タバサに夢中でもエーファが視界に入ると混乱した様子を見せるのだ。
これって番紛いがちゃんと効いてるのよね?
「エーファ様は今とても大変でしょう」
空気の変化を読み取って、ここからがオウカの本題だなとエーファは身構える。
「公爵様と話ができてないので何がなにやら分からないんです。帰ったらギデオンがタバサという使用人と完全に事を終えた後のような雰囲気でした。それにタバサは自分が番だと言い張って攻撃してくるので。正直早く事実が知りたいです」
公爵邸が居心地悪いからと妊婦のミレリヤの家に泊めてもらう訳にもいかない。何よりカナンがうるさい。
「エーファ様は何をなさったんですか?」
「何をって?」
紅茶から顔を上げるとオウカと視線がぶつかる。
「ギデオンに何か飲ませたのでは?」
「え?」
素で聞き返してしまったが、嫌な汗が背中を伝う。大丈夫、番紛いはバレていないはず。
「エーファ様は傷薬などを作っていらっしゃると聞いたので。ギデオンに麻薬でも摂取させたのかと」
「ギデオンの様子は麻薬の症状とは違うんじゃないかと思います。公爵夫人とも違いますし」
「あぁ、サーシャに会ったのですね」
「はい。聞いていた通りの状態でした。ギデオンはタバサに夢中に見えるので、違うと思うんです。私も何が何だか。そもそも番をあまり理解できていないので」
黙ったオウカと視線が絡み合う。こちらを試すような黒い目がしばらくの間エーファを射抜いていた。
「私は……国へ帰れるのかどうか知りたいんです」
「エーファ様。もしかしたらそれは難しいかもしれません」
オウカの声のトーンが落ちる。
「番でなくなっても、ですか?」
「公爵は隠ぺい工作をしています。夫のところにも訪ねてきました。何を話したかは分からないのですが、番を間違えたことは多くの獣人にとって恥です。隠すためにエーファ様を軟禁する可能性もありますし、最悪事故か何かに見せかけて消すことも考えられます」
「え、そんなに恥ですか? 間違ったことが?」
「オオカミ獣人は一夫一婦制。番を間違えたことは歴史上ありませんでした。この辺りも関連してくるでしょう。番はそれほど重要なのです。そしてエーファ様が人間だったこともあるかと」
「人間よりオオカミ獣人が番だった方が歓迎されそうな気もしますけどね……」
「その通りです。タバサという女性が番だと認定されたら公爵邸でのエーファ様の扱いはより酷いものになるでしょう」
「それなら私を追い出せばいいですよね?」
「エーファ様は生きていらっしゃるというのは、ギデオンが番を間違えたという証明になり続けます。たとえエーファ様が吹聴しなかったとしても。竜人の王妃殿下があのまま天空城に居続けたのは特殊なことのです。陛下の仕事を肩代わりしていた、竜人が一夫多妻制だからということもありますが」
どうやらエーファはオオカミ獣人を舐めていたらしい。オウカの言葉をすべて信じるわけではないが、公爵がなかなか結論を出さないところを見てもオウカは正しいのだろう。
「居心地が悪いのでしたら公爵邸ほど大きくはありませんが、マキシムス伯爵家にいらっしゃいますか?」
考え込むエーファにオウカは優しく提案してくる。これで頷いたらおそらくオウカのほのめかす計画にも強制的に参加させられるんだろう。番紛いについて拷問でもされるかもしれない。
「明日からお世話になってもいいですか? 今日は公爵邸で情報を集めたいので。そして明日、軍での仕事が終わった後そのまま伺います。その方が怪しまれません」
「もちろんです」
番紛いを飲ませさえすればどうにかなるという考えは甘かったようだ。ギデオン以外にも敵がたくさんいる。エーファの敵はやっぱりドラクロアという国なのだろう。
執事長に聞いても「報告はまだでして……」と顔色と歯切れが悪い。彼は使用人をまとめるのが大変そうである。
まだ空がよく光るので天空城にも行けない。時々、竜の咆哮も聞こえる。
今日は、とあるカフェに足を運んでいた。入るとすぐに個室に案内される。広い個室の中ではすでにオウカが紅茶を優雅に飲んでいた。
「手紙をいただいたのにわざわざすみません。今は公爵邸でお会いできなくて」
使用人が取り次いでくれるのか、そもそもオウカが公爵邸に入れてもらえるかもわからない。手紙も再度細切れにされたら困るので執事長に頼んだくらいだ。
「ここはマキシムス伯爵家が運営するカフェの一つですからいつ来ても大丈夫なのです」
オウカは気にしていないのかにこやかに向かい側の席を示した。
怪しい提案をしてくるオウカと会わない選択肢ももちろんあった。だが、実害は今のところなく、エーファよりもマクミラン公爵家の状況には詳しいだろう。
「やはりウワサは本当なのですね」
「ウワサ?」
「ギデオンが番を間違ったということです。ギデオンの新しい番を名乗る女が昨日高級ドレスショップで夜会用のドレスを作るように迫っていたと」
「うわぁ……」
さすがにそこまでタバサがやっているとは思わなかった。なかなか調子に乗っている。いや、番だときちんと認められないから彼女も焦っているのかもしれない。
「マクミラン公爵家でのこともご存じなんですよね?」
「えぇ、ですがタバサという使用人の暴走であまり情報が入ってきていません。しかし、相手の女性がそのような行動をしているならこのウワサはすぐに真実として広まるでしょう」
タバサの行動が予想外なので、オウカもエーファに手紙をよこしてきたのだろう。使用人は今タバサを番として扱うかどうかで割れているから。割れているといっても基本的に人間は見下されているので、皆タバサが番であることを歓迎しているように見える。執事長と公爵はどうだか知らないが。
「公爵様から全く音沙汰がなく状況が分からなくて。それもあって使用人もタバサについている者もいて手紙が破かれたりするので屋敷では会わない方がいいかと」
「番を間違えることはあるにはありますが、その事例は少数。そもそも竜王陛下ですらリヒトシュタイン殿下が生まれるまでは失望されていたほどですから恥と捉えるでしょう。金を出して他国にまで行かせた息子が間違った番を連れてきたとは認めたくないものです。まだ婚姻を結んでいないので大きな外交問題にはなりませんが……貿易関連の条件はそのままにしたいはずですし。公爵は隠ぺい工作に必死でしょうね」
隠ぺい工作の前にタバサを何とかしないといけなかった。そこはギデオンの裁量だと思うのだが、タバサに夢中でもエーファが視界に入ると混乱した様子を見せるのだ。
これって番紛いがちゃんと効いてるのよね?
「エーファ様は今とても大変でしょう」
空気の変化を読み取って、ここからがオウカの本題だなとエーファは身構える。
「公爵様と話ができてないので何がなにやら分からないんです。帰ったらギデオンがタバサという使用人と完全に事を終えた後のような雰囲気でした。それにタバサは自分が番だと言い張って攻撃してくるので。正直早く事実が知りたいです」
公爵邸が居心地悪いからと妊婦のミレリヤの家に泊めてもらう訳にもいかない。何よりカナンがうるさい。
「エーファ様は何をなさったんですか?」
「何をって?」
紅茶から顔を上げるとオウカと視線がぶつかる。
「ギデオンに何か飲ませたのでは?」
「え?」
素で聞き返してしまったが、嫌な汗が背中を伝う。大丈夫、番紛いはバレていないはず。
「エーファ様は傷薬などを作っていらっしゃると聞いたので。ギデオンに麻薬でも摂取させたのかと」
「ギデオンの様子は麻薬の症状とは違うんじゃないかと思います。公爵夫人とも違いますし」
「あぁ、サーシャに会ったのですね」
「はい。聞いていた通りの状態でした。ギデオンはタバサに夢中に見えるので、違うと思うんです。私も何が何だか。そもそも番をあまり理解できていないので」
黙ったオウカと視線が絡み合う。こちらを試すような黒い目がしばらくの間エーファを射抜いていた。
「私は……国へ帰れるのかどうか知りたいんです」
「エーファ様。もしかしたらそれは難しいかもしれません」
オウカの声のトーンが落ちる。
「番でなくなっても、ですか?」
「公爵は隠ぺい工作をしています。夫のところにも訪ねてきました。何を話したかは分からないのですが、番を間違えたことは多くの獣人にとって恥です。隠すためにエーファ様を軟禁する可能性もありますし、最悪事故か何かに見せかけて消すことも考えられます」
「え、そんなに恥ですか? 間違ったことが?」
「オオカミ獣人は一夫一婦制。番を間違えたことは歴史上ありませんでした。この辺りも関連してくるでしょう。番はそれほど重要なのです。そしてエーファ様が人間だったこともあるかと」
「人間よりオオカミ獣人が番だった方が歓迎されそうな気もしますけどね……」
「その通りです。タバサという女性が番だと認定されたら公爵邸でのエーファ様の扱いはより酷いものになるでしょう」
「それなら私を追い出せばいいですよね?」
「エーファ様は生きていらっしゃるというのは、ギデオンが番を間違えたという証明になり続けます。たとえエーファ様が吹聴しなかったとしても。竜人の王妃殿下があのまま天空城に居続けたのは特殊なことのです。陛下の仕事を肩代わりしていた、竜人が一夫多妻制だからということもありますが」
どうやらエーファはオオカミ獣人を舐めていたらしい。オウカの言葉をすべて信じるわけではないが、公爵がなかなか結論を出さないところを見てもオウカは正しいのだろう。
「居心地が悪いのでしたら公爵邸ほど大きくはありませんが、マキシムス伯爵家にいらっしゃいますか?」
考え込むエーファにオウカは優しく提案してくる。これで頷いたらおそらくオウカのほのめかす計画にも強制的に参加させられるんだろう。番紛いについて拷問でもされるかもしれない。
「明日からお世話になってもいいですか? 今日は公爵邸で情報を集めたいので。そして明日、軍での仕事が終わった後そのまま伺います。その方が怪しまれません」
「もちろんです」
番紛いを飲ませさえすればどうにかなるという考えは甘かったようだ。ギデオン以外にも敵がたくさんいる。エーファの敵はやっぱりドラクロアという国なのだろう。