反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
8
マキシムス伯爵家で世話になる気はさらさらない。
このまま公爵邸で公爵を待ち続けるのも危険で、マキシムス伯爵家に行くのも危ない。ならば、取るべき行動は一つしかない。
ギデオンだって私の姿さえ目に入らなければタバサに夢中なのだ。
なるべく穏便に済まそうと日和るんじゃなかった。
支給された隊服に着替えてマントを羽織ってから一度玄関ホールを出る。門には行かず回り込んで外から公爵邸の中を伺った。
エーファが出て行ったことなど使用人たちは大して気にもとめておらず、庭のオオカミたちも近寄ってこない。好都合だ。狙いを定めて、厨房の近くに火を出現させた。
木箱がしっかり燃え上がるのを確認してから風魔法で目的の部屋まで飛び上がる。誰もいないのを確認して、窓から侵入した。やはり薬品臭が鼻につく。
「あ、あ」
エーファが部屋に下り立つと呻き声がした。公爵夫人であるサーシャは目を覚ましていた。朝早いのでシュメオンはいない。公爵は屋敷に帰っていないのかずっと見ていない。
ベッドまで近寄って、小瓶をサーシャの顔の前にかざした。
「サーシャ様。この液体を飲めそうですか? 肯定なら瞬き連続二回で」
ぱちぱちとすぐに瞬きが返ってきた。この人は名前を呼んだときは正気に戻っている。だって最初に会った時、エーファに「殺して」と訴えてきたのだから。
「森に生えている毒草の毒を抽出しました。苦しいですよ。いいんですか?」
傷薬用の薬草とは別にたまたま見つけて採取しておいた。見分けがつきにくいものだから、ハンネス隊長たちにもバレていない。
ぱちぱちとまた瞬き。手が伸びてきてエーファの腕をつかみ、そっと撫でた。カサカサした皮膚の刺激がある。
「口に入れましょうか?」
瞬き二回。サーシャの口角も少し上がった気がした。
「では、サーシャ様が飲んだのを確認したら私は行きますね」
サーシャは黙って目を閉じ口をうっすら開けた。エーファは彼女の背中に手を差し入れて上体を起こしてから口に小瓶の中身を垂らす。喉がゆっくり動いたのを確認してから体勢を戻した。
「短い間でしたが、さようなら」
サーシャを見下ろして話しかける。サーシャは目を開けて瞬きを二回した。エーファの腕からカサカサの手が離れる。心なしか穏やかな表情になった気がする。
振り返らずに窓からまた出て、何食わぬ顔で公爵邸の外に出た。
屋敷は慌ただしいので消火活動でしばらくサーシャの様子には気付かれないだろう。そういえば、この屋敷は何回燃やしかけたっけ。今回を含めると三回だろうか。
これでいい。何もおかしいことはない。これでいいはず。
だって、エーファはもうここには戻ってこない。
サーシャの姿は未来のエーファの姿だったかもしれない。だから、あのまま彼女を放って出国するなんてできなかった。ただ、それだけ。ついでにサーシャが亡くなると公爵邸は余計に混乱するはずだからちょうどいい。
でもなぜだか涙が出てきた。サーシャと会うのは二回目なのに。「殺して」と切羽詰まった様子で赤の他人であるエーファを頼ったのが哀れだったんだろうか。
あの口パクの意味が分かってからさっきまで、一度も迷わなかったのに。これから出国がうまくいくかどうか不安だからだろうか。
何が正しいのだろうか。この日の、麻薬漬けにされた獣人を殺した自分の行動を後悔しないでいられるだろうか。
鼻をすすりながら、十三隊の詰め所に早足で歩いた。
このまま公爵邸で公爵を待ち続けるのも危険で、マキシムス伯爵家に行くのも危ない。ならば、取るべき行動は一つしかない。
ギデオンだって私の姿さえ目に入らなければタバサに夢中なのだ。
なるべく穏便に済まそうと日和るんじゃなかった。
支給された隊服に着替えてマントを羽織ってから一度玄関ホールを出る。門には行かず回り込んで外から公爵邸の中を伺った。
エーファが出て行ったことなど使用人たちは大して気にもとめておらず、庭のオオカミたちも近寄ってこない。好都合だ。狙いを定めて、厨房の近くに火を出現させた。
木箱がしっかり燃え上がるのを確認してから風魔法で目的の部屋まで飛び上がる。誰もいないのを確認して、窓から侵入した。やはり薬品臭が鼻につく。
「あ、あ」
エーファが部屋に下り立つと呻き声がした。公爵夫人であるサーシャは目を覚ましていた。朝早いのでシュメオンはいない。公爵は屋敷に帰っていないのかずっと見ていない。
ベッドまで近寄って、小瓶をサーシャの顔の前にかざした。
「サーシャ様。この液体を飲めそうですか? 肯定なら瞬き連続二回で」
ぱちぱちとすぐに瞬きが返ってきた。この人は名前を呼んだときは正気に戻っている。だって最初に会った時、エーファに「殺して」と訴えてきたのだから。
「森に生えている毒草の毒を抽出しました。苦しいですよ。いいんですか?」
傷薬用の薬草とは別にたまたま見つけて採取しておいた。見分けがつきにくいものだから、ハンネス隊長たちにもバレていない。
ぱちぱちとまた瞬き。手が伸びてきてエーファの腕をつかみ、そっと撫でた。カサカサした皮膚の刺激がある。
「口に入れましょうか?」
瞬き二回。サーシャの口角も少し上がった気がした。
「では、サーシャ様が飲んだのを確認したら私は行きますね」
サーシャは黙って目を閉じ口をうっすら開けた。エーファは彼女の背中に手を差し入れて上体を起こしてから口に小瓶の中身を垂らす。喉がゆっくり動いたのを確認してから体勢を戻した。
「短い間でしたが、さようなら」
サーシャを見下ろして話しかける。サーシャは目を開けて瞬きを二回した。エーファの腕からカサカサの手が離れる。心なしか穏やかな表情になった気がする。
振り返らずに窓からまた出て、何食わぬ顔で公爵邸の外に出た。
屋敷は慌ただしいので消火活動でしばらくサーシャの様子には気付かれないだろう。そういえば、この屋敷は何回燃やしかけたっけ。今回を含めると三回だろうか。
これでいい。何もおかしいことはない。これでいいはず。
だって、エーファはもうここには戻ってこない。
サーシャの姿は未来のエーファの姿だったかもしれない。だから、あのまま彼女を放って出国するなんてできなかった。ただ、それだけ。ついでにサーシャが亡くなると公爵邸は余計に混乱するはずだからちょうどいい。
でもなぜだか涙が出てきた。サーシャと会うのは二回目なのに。「殺して」と切羽詰まった様子で赤の他人であるエーファを頼ったのが哀れだったんだろうか。
あの口パクの意味が分かってからさっきまで、一度も迷わなかったのに。これから出国がうまくいくかどうか不安だからだろうか。
何が正しいのだろうか。この日の、麻薬漬けにされた獣人を殺した自分の行動を後悔しないでいられるだろうか。
鼻をすすりながら、十三隊の詰め所に早足で歩いた。