反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
第十章 愛が壊れる時

1

 構えていた拳銃の位置を慌ててずらすが、引き金に指がかかっていたので勢い余って発砲してしまった。

 地面に銃弾が当たって土が跳ねる。
 白い大きなものはこちらへ向かってきたブラックバードに勢いよく体当たりをして、ブラックバードの方が耐え切れずに吹き飛び何度か回転して動かなくなった。

「どうして……またあなたが」

 拳銃を構えたまま、呆然と割り込んできた白い大きなものを見上げた。

「妻を止めるのは夫の役割だ」

 白い大きなゾウの後ろ姿はあっという間に人の形になった。森に入るのには明らかに適していない白い丈の長いジャケットを着た宰相。オウカの夫であるトリスタン・マキシムスだ。

「今まで、止めてなかったじゃないですか」

 ツッコミを入れたが、雷に驚いたか避けたかで倒れていたオウカが立ち上がったのですかさず銃口を向ける。
 オウカが小瓶を持っているのが見えたので、手首に向かって発砲した。乾いた音の後、オウカが痛みに呻いて小瓶を取り落とすのとトリスタンの姿が見えなくなったのはほぼ同時だった。

 三回瞬きをしたら宰相の姿をやっと捕捉した。彼はオウカのすぐ側にいて、彼女の撃たれた方の腕を掴んでいた。

 接近が早い。ゾウってあんなに早いの?

「エーファ・シュミット。あっちは頼む」
「はい?」

 走ってくるクマのような大きな魔物が見えた。まだオウカは魔物を用意していたのかと呆れながら発砲するのと同時に初級の火魔法を一緒に展開させる。
 クマがいた場所で軽い爆発が起きて煙が周囲を包む。宰相のいるところに煙をかきわけるように進むと、足が変な方向に折れ曲がったオウカが地面に倒れていてヒュッと息を呑んだ。

「い、生きてますよね」
「あぁ。まだアジトの位置を全部聞いてない」

 銀髪と抜けるような白い肌のせいで運動に縁がないように見える宰相は息一つ乱していない。エーギルにしろこの人にしろ、なぜ簡単に番相手に足を折るのか。苦々しい思いが湧き上がってくる。

「オウカ。残りのアジトを教えてくれ。魔物の実験をしているアジトだ。魔物が逃げ出したら大変なことになる」
「あなたにだけは教えない」

 足を折られてもオウカはオウカだった。痛みで少し震えているが、命乞いもせず泣きわめきもしないのでエーファは感心した。

「私はあなたを愛したことなどない。ずっと、ずっと憎んでいた。私は今までも今もセイラーンの気高い王女よ。私がここで死んでも誰かが成し遂げてくれる」

 地面を掴んで彼女は笑う。綺麗に整えられた爪に土が入っていく様子を見て、エーファはいつも綺麗で気高かったオウカが堕ちていくようで悲しくなった。

「知っていた」

 宰相に視線を移したが強がりで言っているわけではないらしい。顔色に変化がない。

「避妊薬を飲んでいることも、私にも飲ませていることも。番反対派に所属していることも知っていた。番反対派の中の一部、過激派がセイラーンの薬を使って魔物の変異の研究をしていることも」

 オウカのところは子供がいなかったのかと今更知った。エーファだって驚いていたが、それ以上に驚いているのはオウカだった。

「バカにしているの?」
「国よりも何よりもオウカ。私は君が大切だった。君が私を愛していなくても、憎んでいても。見てくれているだけで良かった」

 一体何を見せられているのだろうか。これが「番相手にはどうしても鈍くなる」ということ? ギデオンを見ても感じるが、番は運命に定められた伴侶ではなく、麻薬みたいだ。

「いつ私を愛してくれるのか。ずっと待っていた。だからすべて君の好きなようにさせた。ドラクロアのことはどうでも良かった」

 完全なる傍観者にならざるをえないエーファ以上にオウカはショックを受けて喋れないようだ。上半身をねじって宰相を見上げて口を開けたり閉めたりしている。

「だが、君はいつまで経っても私を愛することはなかった」
「当たり前でしょう!」
「王女の時よりも何不自由のない暮らしができたのに。強く安定した国、宰相の地位にいる夫、使い切れないほどの金、傅くたくさんの使用人」

 宰相はかがんでオウカに近付いた。オウカは逃げようと地面を這うが宰相がオウカの首をつかんでいた。
 そういえば、宰相は初対面の時から口が悪かった。オウカに対してのみ丁寧に喋っている。

「まだ、あの男のことを想っているのか」

 傍観者に徹していたエーファだが、宰相の言葉のあまりの冷たさに思わず震えた。

「私の心は彼に渡したわ。あなたに渡すものはひとかけらもない。いつも早く死んでほしいとばかり願っていた」
「そうか」

 嫌な音がした。
 宰相の動きを追いきれなかった。すべてが終わった後で、オウカの首を折ったと分かり悲鳴をかろうじて飲み込んだ。

 番を自分の手で殺したにもかかわらず、何の感情も見せずに立ち上がって服の汚れを払う宰相が目の前にいる。

「なんで殺したんですか……アジトも聞いていないのに」
「大体目星はついている。今頃諜報部隊が踏み込んでいるだろう」
「じゃあ、ここに来る前には全部分かってたってことですか」
「番のことなら分かる」

 いや、それは嘘でしょう。

「分かってたなら何で前から捕まえなかったんですか。被害も少なくて済んだのに」

 宰相は問いには答えてくれず、エーファに向かって手のひらを差し出した。

「拳銃は置いていけ。他国に入るときに持っていると面倒なことになるぞ」

 宰相の言う通りなので、返し忘れた拳銃を渡す。

「自分の死期を悟ると、死ぬ前に最も愛する者を殺す。俺たちの一族にはそういう衝動がある。今がそのタイミングだっただけだ。国よりも何よりも番を愛していた。一緒に死ねないならば殺す」
「まだ六十って言ってませんでしたか」

 発言内容が過激すぎて処理できないので、年齢だけを気にすることにした。

「全員寿命をまっとうできるわけじゃない。オウカが俺に飲ませていた薬に何かが入っていたようだ」
「なんと、緊迫感のある夫婦でしょうか」
「俺は夫婦だと思っていた。四六時中オウカのことを考えていた。だが、オウカは夫婦になどなっていないと考えていた」

 拳銃を手の中でもてあそびながら、宰相は笑った。

「憎まれていてもオウカの目が俺を映してくれれば満足だった。いつかあの男を諦めて俺を愛すだろうと。だが、タイムリミットが来た。俺の愛はもう壊れたようだ。オウカが愛さないなら仕方がない。来世で一緒になれることを願うしかない」

 それはきっと愛じゃない。
 拳銃を持っている宰相がどう出るか分からなかったのでそんなことは言えなかった。
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