反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
3
ギデオンが母である公爵夫人の部屋に入ると、ここ数日見かけなかった父が微動だにせずベッドのそばに立っていた。
瞬きもせずに母を見ている様子は異常だった。
母はいつ死んでもおかしくなかった。正直死んでいるか生きているかも分からない状態だった。そのため、いつも母を見ていた、いや監視していた使用人たちもそれほど悲しんでいない。シュメオンだってよく分からないという表情で、父の周りをウロチョロしている。
父が一言も発しないので、使用人たちも何も言えない。
母は吐いて亡くなったようで窓がしっかり開いて換気がされていたものの、まだ部屋には若干臭いが残っていた。
昼から様子を見ていた使用人はずっと母は眠っていると思っていたらしい。この使用人はさぼっていたのだろう。シュメオンがやって来て初めて様子がおかしいことに気が付いたのだ。
誰も何も言えないまま時間が過ぎていく。沈黙は執事長によってまた破られた。
「ギデオン様。お客様がいらっしゃいました」
「緊急なのか」
「緊急でございます。十三隊のハンネス様とエーギル様です」
エーギルはまだしも、ハンネス隊長がなぜ?
胸騒ぎがする。母が亡くなったと聞いた時よりもずっと生々しい感覚。父をちらりと見たが、反応がないのでそっと部屋を出た。
客間に通されている二人は普段通りに見えた。ハンネスは公爵家だというのに足を大きく開いて腕を組んで偉そうに座り、エーギルは普段通りまっすぐに背筋を伸ばしていた。
「エーファが死んだ」
ギデオンが挨拶して座った途端、ハンネスが口にした。
「は?」
「もうお前には関係ないか。他の女が番だったんだろ?」
「ハンネス隊長」
ズバズバ話すハンネスをエーギルがたしなめている。
「死体はねぇ。エーファは魔物に食われたからな」
言葉が出ないギデオンにハンネスは話を続ける。
「それを伝えに来た。遺言は聞いてねぇ。オウカ・マキシムスが調教した魔物が急に現れたからな。エーファはキーンを庇った。ついでに言えば、その後竜人の争いに巻き込まれてキーンも死んだ」
ギデオンはエーギルを見た。そういえばなぜエーギルはここに来たのだろう。
「オウカ・マキシムスが番反対派のトップだと判明したから、秘密作戦を決行したんだ。それで俺は今日十三隊と行動を共にしていた」
「エーファの遺体は……?」
「ねぇっつってんだろ。魔物の腹の中だよ」
「その魔物は?」
「知らねぇよ。すぐ竜人同士の争いに巻き込まれたから追えなかった。お前のこと気に入らねぇからってこんな嘘はつかねぇ。エーギルだって見てた。つーか、あの女。不快だから下がらせてくれねぇか」
ハンネスに言われて振り返ると、茶を出したまま突っ立っていたタバサが隅にいた。顔には喜色が広がっている。
「俺の部下が死んだのに何が楽しいんだ、あの女」
ハンネスの怒気しか孕んでいない低く唸るような声に慌ててタバサを部屋の外に出す。
「他国から連れてこられてあんな女が番でしたってなったらエーファが可哀想だ。うちの隊で弔うからお前は何もしなくていい。遺体もねぇからな」
ハンネスが喋り続けているが、ギデオンの頭は理解することを拒否していた。頭の中でネズミが走り回ってその後扉がぱったり閉じてしまったように、何も頭に入ってこない。
エーファが死んだ? 番なのに番が亡くなっても俺は分からなかったのか? 結婚してないから? いや、番はやっぱりタバサだったのか? だって番を失ったら父みたいになるだろ。いや、父の場合は番じゃなかった。
「ギデオン。公爵夫人も亡くなられたんだろう。すまない、こんな時に。だが、伝えなければいけなかった」
「使用人たちが廊下で喋ってたのを聞いた。ここの使用人たち、あの女もだが大丈夫なのか。口が軽すぎるぞ」
気遣うようなエーギルの言葉が霞のように聞こえる。鋭いハンネスの言葉は一部心に突き刺さった。
「じゃ。伝えることは伝えた。俺たちは後処理があるからもう行く。そろそろオウカ・マキシムスが捕まった頃だろ」
「ギデオン。また来る」
二人が出て行くと静寂が訪れた。客間のソファに座ったまま、頭を抱える。
しばらくそうしていると、甘い香りが隣からした。タバサがいつの間にか座っていた。
「ギデオン様。大丈夫ですか?」
やっぱり番はエーファじゃなかったんだ。タバサの首筋に思わず顔を埋めた。
***
「よくあんな話がスラスラできましたね」
「俺はギデオンが嫌いだからな。友達でもねぇ。心はちっとも痛まねぇよ」
前を歩くハンネスにエーギルは声をかけた。
「お前だってほんとのことは言わなかったじゃねぇか。どういう心境の変化だよ。そんなキャラじゃなかっただろ」
「なぜかって……セレンティアへの贖罪代わりですかね」
「ははっ。お前、甘ちゃんだな。そんな綺麗な言葉で誤魔化すんじゃねぇよ」
「本当のことです」
「贖罪のわりに、お前今どんな顔してるか分かってるか? すげぇ嬉しそうだぞ」
エーギルは訳も分からず頬に手を当てた。
「俺は番を亡くしています。どんな気持ちかも分かる。でも、ギデオンの反応はあまり……俺と似たり寄ったりでした。人間の血が俺には入っていて悲しみ方が希薄なのかと思ってましたが……ギデオンはやっぱり」
「あー、チマチマうるせぇな。ギデオンがどーたらこーたらはもうどうでもいいっつーの」
ハンネスは周囲に素早く目を走らせるとエーギルに顔を近付けた。
「お前だってエーファが逃げたのが嬉しいんだろうが」
意外な言葉にエーギルは目を見開いた。
瞬きもせずに母を見ている様子は異常だった。
母はいつ死んでもおかしくなかった。正直死んでいるか生きているかも分からない状態だった。そのため、いつも母を見ていた、いや監視していた使用人たちもそれほど悲しんでいない。シュメオンだってよく分からないという表情で、父の周りをウロチョロしている。
父が一言も発しないので、使用人たちも何も言えない。
母は吐いて亡くなったようで窓がしっかり開いて換気がされていたものの、まだ部屋には若干臭いが残っていた。
昼から様子を見ていた使用人はずっと母は眠っていると思っていたらしい。この使用人はさぼっていたのだろう。シュメオンがやって来て初めて様子がおかしいことに気が付いたのだ。
誰も何も言えないまま時間が過ぎていく。沈黙は執事長によってまた破られた。
「ギデオン様。お客様がいらっしゃいました」
「緊急なのか」
「緊急でございます。十三隊のハンネス様とエーギル様です」
エーギルはまだしも、ハンネス隊長がなぜ?
胸騒ぎがする。母が亡くなったと聞いた時よりもずっと生々しい感覚。父をちらりと見たが、反応がないのでそっと部屋を出た。
客間に通されている二人は普段通りに見えた。ハンネスは公爵家だというのに足を大きく開いて腕を組んで偉そうに座り、エーギルは普段通りまっすぐに背筋を伸ばしていた。
「エーファが死んだ」
ギデオンが挨拶して座った途端、ハンネスが口にした。
「は?」
「もうお前には関係ないか。他の女が番だったんだろ?」
「ハンネス隊長」
ズバズバ話すハンネスをエーギルがたしなめている。
「死体はねぇ。エーファは魔物に食われたからな」
言葉が出ないギデオンにハンネスは話を続ける。
「それを伝えに来た。遺言は聞いてねぇ。オウカ・マキシムスが調教した魔物が急に現れたからな。エーファはキーンを庇った。ついでに言えば、その後竜人の争いに巻き込まれてキーンも死んだ」
ギデオンはエーギルを見た。そういえばなぜエーギルはここに来たのだろう。
「オウカ・マキシムスが番反対派のトップだと判明したから、秘密作戦を決行したんだ。それで俺は今日十三隊と行動を共にしていた」
「エーファの遺体は……?」
「ねぇっつってんだろ。魔物の腹の中だよ」
「その魔物は?」
「知らねぇよ。すぐ竜人同士の争いに巻き込まれたから追えなかった。お前のこと気に入らねぇからってこんな嘘はつかねぇ。エーギルだって見てた。つーか、あの女。不快だから下がらせてくれねぇか」
ハンネスに言われて振り返ると、茶を出したまま突っ立っていたタバサが隅にいた。顔には喜色が広がっている。
「俺の部下が死んだのに何が楽しいんだ、あの女」
ハンネスの怒気しか孕んでいない低く唸るような声に慌ててタバサを部屋の外に出す。
「他国から連れてこられてあんな女が番でしたってなったらエーファが可哀想だ。うちの隊で弔うからお前は何もしなくていい。遺体もねぇからな」
ハンネスが喋り続けているが、ギデオンの頭は理解することを拒否していた。頭の中でネズミが走り回ってその後扉がぱったり閉じてしまったように、何も頭に入ってこない。
エーファが死んだ? 番なのに番が亡くなっても俺は分からなかったのか? 結婚してないから? いや、番はやっぱりタバサだったのか? だって番を失ったら父みたいになるだろ。いや、父の場合は番じゃなかった。
「ギデオン。公爵夫人も亡くなられたんだろう。すまない、こんな時に。だが、伝えなければいけなかった」
「使用人たちが廊下で喋ってたのを聞いた。ここの使用人たち、あの女もだが大丈夫なのか。口が軽すぎるぞ」
気遣うようなエーギルの言葉が霞のように聞こえる。鋭いハンネスの言葉は一部心に突き刺さった。
「じゃ。伝えることは伝えた。俺たちは後処理があるからもう行く。そろそろオウカ・マキシムスが捕まった頃だろ」
「ギデオン。また来る」
二人が出て行くと静寂が訪れた。客間のソファに座ったまま、頭を抱える。
しばらくそうしていると、甘い香りが隣からした。タバサがいつの間にか座っていた。
「ギデオン様。大丈夫ですか?」
やっぱり番はエーファじゃなかったんだ。タバサの首筋に思わず顔を埋めた。
***
「よくあんな話がスラスラできましたね」
「俺はギデオンが嫌いだからな。友達でもねぇ。心はちっとも痛まねぇよ」
前を歩くハンネスにエーギルは声をかけた。
「お前だってほんとのことは言わなかったじゃねぇか。どういう心境の変化だよ。そんなキャラじゃなかっただろ」
「なぜかって……セレンティアへの贖罪代わりですかね」
「ははっ。お前、甘ちゃんだな。そんな綺麗な言葉で誤魔化すんじゃねぇよ」
「本当のことです」
「贖罪のわりに、お前今どんな顔してるか分かってるか? すげぇ嬉しそうだぞ」
エーギルは訳も分からず頬に手を当てた。
「俺は番を亡くしています。どんな気持ちかも分かる。でも、ギデオンの反応はあまり……俺と似たり寄ったりでした。人間の血が俺には入っていて悲しみ方が希薄なのかと思ってましたが……ギデオンはやっぱり」
「あー、チマチマうるせぇな。ギデオンがどーたらこーたらはもうどうでもいいっつーの」
ハンネスは周囲に素早く目を走らせるとエーギルに顔を近付けた。
「お前だってエーファが逃げたのが嬉しいんだろうが」
意外な言葉にエーギルは目を見開いた。