反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~
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山のように積まれた宝石、珍しい絵画、金塊、置物。
「いいのか。これらすべて集めるのは大変だっただろうに」
「そのように仰っていただけるとは光栄です。世界で最も厳しいと言われる竜人様のお眼鏡にかなったということでしょうか?」
トリスタン・マキシムスはポロンとピアノを戯れに弾きながら、ルカリオンに話しかけた。トリスタンは白を好んで身に着けるが、今日はいつもよりも華美な服装だ。まるで格式高いパーティーにでも赴くような。
「あぁ、その通りだ」
「竜人様の審美眼は素晴らしいです。これらはすべて一級品ですから」
「番に受け取ってもらえなかったものか」
「えぇ。これらは一級品ゆえ燃やすと世界から恨まれそうです」
「では、経緯はどうであれありがたくもらおう」
「すべてお持ちください。他にもお気に召したものがあれば仰ってください」
「置き場所に困るな」
「竜王陛下が何を仰っているのですか」
「ここに置いておくわけにはいかないようだからな。家は売らないのか?」
ルカリオンの言葉にトリスタンはふっと笑った。
「彼女と過ごした場所、彼女が腰掛けたソファ、触れたピアノ、袖を通した服、肌に触れた装飾品。それらはすべて売ることはありません。他人の手で触ってほしくありませんから」
「残念だ。ゾウの獣人は獣人の中でも特に知性がある。それなのに出した結論がそれか。番という存在はトリスタン・マキシムスという賢者を愚者にしたのか」
「ありがたいお言葉でございます。冥途の土産になります」
「お前の番は死体防腐処理がされているのか」
ルカリオンは部屋の隅に置かれている棺を見る。
「はい。皮肉にもセイラーンの薬品を使用しました」
「彼女にとっては母国を感じられてちょうどいいのではないか」
ルカリオンが合図すると、竜人たちが入ってきて物を運び出し始めた。ルカリオンはソファにゆったり座って執事が出した茶を優雅に飲む。
「オウカ・マキシムスの魔物実験場はすべて取り押さえたんだったな。魔物の実験とは、人間は考えることが面白い」
「はい。ただ、セイラーン国に魔物実験の結果が流出しています」
「流出したところでどうした。魔物を変異させてこちらに攻め込んでくるのか。たかだか人間が。迎え撃つのは獣人と鳥人で事足りるだろう」
「えぇ、おそらく十分でしょう。最悪の場合、竜人様によって地上が焼かれて終わります。ただ、それだけです」
「我々が出て行くのは最後の最後だ。愚かな人間や獣人や鳥人が我々に牙をむいた時」
部屋の隅に控えていた執事は不安そうにトリスタンをチラチラ見る。
「あぁ、悪い。長い間ご苦労だった。もう大丈夫だ」
「坊ちゃま……わたくしめも一緒に」
「孫が三人もいるだろう。退職金で好きなものでも買ってやれ」
執事はその後も涙ながらにトリスタンに何か言っていたが、やがて肩を落として屋敷を出て行った。トリスタンは執事の背中を見送ってからまたルカリオンに視線を移す。
「失礼しました。そういえば、エーファ・シュミットが番紛いをギデオンに使ったようです」
「あぁ、リヒトから漏洩したのか」
「おそらくは。ランハート様ということもないでしょう」
「ランハートから漏洩していてもあいつは死んだ。リヒトも出て行って戻ってこない」
「何かされるのですか」
「なぜだ? ギデオンがどうなろうと私が知ったことではない。なにせあいつには裏切りのパンテラ家の血が入っている。思い上がった、たかだかオオカミ獣人が番紛いで狂おうと死のうと、違う番を愛そうと部屋の隅の埃ほどの興味もない」
「最後ですから他にも質問してもよろしいでしょうか」
「いいだろう。私は今機嫌がいい」
「竜王陛下の番様は竜人の中にはいないのではないでしょうか」
ルカリオンの手の中で高級なカップが割れた。しかし、トリスタンは一切動じない。ピアノを軽く弾き続けている。
「何が言いたい」
ルカリオンの金色の目が大きくなり、妖しく輝いている。感情が高ぶっている証拠だ。
「この時期になっても番様が現れないのならそうではないかと。竜王陛下も番紛いを使う必要があるのではないでしょうか。あれはそのための秘薬でしょう。竜人が竜人同士で番うためのものです。獣人・鳥人には正直効き目はイマイチでしょう。個体によっては効くものもいますが、ギデオンを見ればその結果はいずれ分かるかと。リヒトシュタイン様はご存じなかったようです」
プライドがどの難攻不落の城よりも、この世界のどの山よりも高い竜人。番として竜人以外の種族を認めない者たちが使っていた秘薬。
「リヒトの母は人間で、しかも父とは折り合いが悪かったから知らなくとも仕方がない。断片的にでもなぜ秘薬について知っていたのかは疑問が残るが……しかし、トリスタン。母を苦しめたあの薬を私も使えと言うのか」
「アヴァンティア元王妃は番紛いの使い方を間違えましたから。竜王陛下の大嫌いな人間が番になるよりは良いのではないかと愚考しました」
「人間を番にするわけがない。私は人間を憎んでいる。努力もせず泣き暮らすだけの人間は特に。お前は私にそう言いながら、その人間の番のためにこれから死ぬのか」
「彼女が死んだ世界に意味はありません。彼女と一緒に生きていたことに意味があったのです」
トリスタンは何の未練もないように綺麗に笑った。
「リヒトシュタイン様が番様を連れて帰ってこられたらどうされますか?」
「その時はまた竜王の座をかけて戦う。それだけだ」
ルカリオンは立ち上がって扉に向かおうとして振り返った。
「番というのは出会ったら分かるものなのか」
「はい。香りで分かります。抗いがたい甘い香りです。頭ではなく心の奥底、いえ体の全細胞の叫びで分かります」
「それでお前は番を手に入れるために他国を脅し、番に甲斐甲斐しく尽くし番が何をしても見守り、番を殺してから死ぬのか」
「はい」
「私には母もお前も同じに見える。番は愛でなく、呪いだ」
「たとえこれが呪いでも。私は幸せでした。幸せな呪いならいいではありませんか」
トリスタンはピアノから澄んだ音色を出し続けている。ルカリオンは何を言っても無駄だと思ったのか首を緩く振った。
「じゃあな、トリスタン。私のたった一人の獣人の友達」
トリスタンは微笑んだまま頭を下げた。ルカリオンが部屋を出ると、トリスタンは本格的に演奏を始める。セイラーンで流行っている曲だ。
しばらく演奏して、トリスタンはピアノから離れてオウカの棺に近付いた。
「オウカ。君に出会えて良かった。君が私を愛さなくても関係ない。私はずっと君を愛している。私のこの愛を君はいつか理解してくれるだろうか」
その日、マキシムス伯爵邸から火の手が上がった。
使用人たちは全員解雇されており、風もなく他家に飛び火することはなく、焼け跡からは二人の遺体しか発見されなかった。しかし、近くに住んでいた者たちは伯爵邸が焼け落ちる中ずっと流れるピアノの音を聞いたという。
「いいのか。これらすべて集めるのは大変だっただろうに」
「そのように仰っていただけるとは光栄です。世界で最も厳しいと言われる竜人様のお眼鏡にかなったということでしょうか?」
トリスタン・マキシムスはポロンとピアノを戯れに弾きながら、ルカリオンに話しかけた。トリスタンは白を好んで身に着けるが、今日はいつもよりも華美な服装だ。まるで格式高いパーティーにでも赴くような。
「あぁ、その通りだ」
「竜人様の審美眼は素晴らしいです。これらはすべて一級品ですから」
「番に受け取ってもらえなかったものか」
「えぇ。これらは一級品ゆえ燃やすと世界から恨まれそうです」
「では、経緯はどうであれありがたくもらおう」
「すべてお持ちください。他にもお気に召したものがあれば仰ってください」
「置き場所に困るな」
「竜王陛下が何を仰っているのですか」
「ここに置いておくわけにはいかないようだからな。家は売らないのか?」
ルカリオンの言葉にトリスタンはふっと笑った。
「彼女と過ごした場所、彼女が腰掛けたソファ、触れたピアノ、袖を通した服、肌に触れた装飾品。それらはすべて売ることはありません。他人の手で触ってほしくありませんから」
「残念だ。ゾウの獣人は獣人の中でも特に知性がある。それなのに出した結論がそれか。番という存在はトリスタン・マキシムスという賢者を愚者にしたのか」
「ありがたいお言葉でございます。冥途の土産になります」
「お前の番は死体防腐処理がされているのか」
ルカリオンは部屋の隅に置かれている棺を見る。
「はい。皮肉にもセイラーンの薬品を使用しました」
「彼女にとっては母国を感じられてちょうどいいのではないか」
ルカリオンが合図すると、竜人たちが入ってきて物を運び出し始めた。ルカリオンはソファにゆったり座って執事が出した茶を優雅に飲む。
「オウカ・マキシムスの魔物実験場はすべて取り押さえたんだったな。魔物の実験とは、人間は考えることが面白い」
「はい。ただ、セイラーン国に魔物実験の結果が流出しています」
「流出したところでどうした。魔物を変異させてこちらに攻め込んでくるのか。たかだか人間が。迎え撃つのは獣人と鳥人で事足りるだろう」
「えぇ、おそらく十分でしょう。最悪の場合、竜人様によって地上が焼かれて終わります。ただ、それだけです」
「我々が出て行くのは最後の最後だ。愚かな人間や獣人や鳥人が我々に牙をむいた時」
部屋の隅に控えていた執事は不安そうにトリスタンをチラチラ見る。
「あぁ、悪い。長い間ご苦労だった。もう大丈夫だ」
「坊ちゃま……わたくしめも一緒に」
「孫が三人もいるだろう。退職金で好きなものでも買ってやれ」
執事はその後も涙ながらにトリスタンに何か言っていたが、やがて肩を落として屋敷を出て行った。トリスタンは執事の背中を見送ってからまたルカリオンに視線を移す。
「失礼しました。そういえば、エーファ・シュミットが番紛いをギデオンに使ったようです」
「あぁ、リヒトから漏洩したのか」
「おそらくは。ランハート様ということもないでしょう」
「ランハートから漏洩していてもあいつは死んだ。リヒトも出て行って戻ってこない」
「何かされるのですか」
「なぜだ? ギデオンがどうなろうと私が知ったことではない。なにせあいつには裏切りのパンテラ家の血が入っている。思い上がった、たかだかオオカミ獣人が番紛いで狂おうと死のうと、違う番を愛そうと部屋の隅の埃ほどの興味もない」
「最後ですから他にも質問してもよろしいでしょうか」
「いいだろう。私は今機嫌がいい」
「竜王陛下の番様は竜人の中にはいないのではないでしょうか」
ルカリオンの手の中で高級なカップが割れた。しかし、トリスタンは一切動じない。ピアノを軽く弾き続けている。
「何が言いたい」
ルカリオンの金色の目が大きくなり、妖しく輝いている。感情が高ぶっている証拠だ。
「この時期になっても番様が現れないのならそうではないかと。竜王陛下も番紛いを使う必要があるのではないでしょうか。あれはそのための秘薬でしょう。竜人が竜人同士で番うためのものです。獣人・鳥人には正直効き目はイマイチでしょう。個体によっては効くものもいますが、ギデオンを見ればその結果はいずれ分かるかと。リヒトシュタイン様はご存じなかったようです」
プライドがどの難攻不落の城よりも、この世界のどの山よりも高い竜人。番として竜人以外の種族を認めない者たちが使っていた秘薬。
「リヒトの母は人間で、しかも父とは折り合いが悪かったから知らなくとも仕方がない。断片的にでもなぜ秘薬について知っていたのかは疑問が残るが……しかし、トリスタン。母を苦しめたあの薬を私も使えと言うのか」
「アヴァンティア元王妃は番紛いの使い方を間違えましたから。竜王陛下の大嫌いな人間が番になるよりは良いのではないかと愚考しました」
「人間を番にするわけがない。私は人間を憎んでいる。努力もせず泣き暮らすだけの人間は特に。お前は私にそう言いながら、その人間の番のためにこれから死ぬのか」
「彼女が死んだ世界に意味はありません。彼女と一緒に生きていたことに意味があったのです」
トリスタンは何の未練もないように綺麗に笑った。
「リヒトシュタイン様が番様を連れて帰ってこられたらどうされますか?」
「その時はまた竜王の座をかけて戦う。それだけだ」
ルカリオンは立ち上がって扉に向かおうとして振り返った。
「番というのは出会ったら分かるものなのか」
「はい。香りで分かります。抗いがたい甘い香りです。頭ではなく心の奥底、いえ体の全細胞の叫びで分かります」
「それでお前は番を手に入れるために他国を脅し、番に甲斐甲斐しく尽くし番が何をしても見守り、番を殺してから死ぬのか」
「はい」
「私には母もお前も同じに見える。番は愛でなく、呪いだ」
「たとえこれが呪いでも。私は幸せでした。幸せな呪いならいいではありませんか」
トリスタンはピアノから澄んだ音色を出し続けている。ルカリオンは何を言っても無駄だと思ったのか首を緩く振った。
「じゃあな、トリスタン。私のたった一人の獣人の友達」
トリスタンは微笑んだまま頭を下げた。ルカリオンが部屋を出ると、トリスタンは本格的に演奏を始める。セイラーンで流行っている曲だ。
しばらく演奏して、トリスタンはピアノから離れてオウカの棺に近付いた。
「オウカ。君に出会えて良かった。君が私を愛さなくても関係ない。私はずっと君を愛している。私のこの愛を君はいつか理解してくれるだろうか」
その日、マキシムス伯爵邸から火の手が上がった。
使用人たちは全員解雇されており、風もなく他家に飛び火することはなく、焼け跡からは二人の遺体しか発見されなかった。しかし、近くに住んでいた者たちは伯爵邸が焼け落ちる中ずっと流れるピアノの音を聞いたという。