反番物語~エーファは反溺愛の狼煙を上げる~

5

「またここにいたんですか、母上」

 ルカリオンはマキシムス伯爵邸から立ち上る煙をしばらく眺め、気が済んでから天空城に入った。元王妃である母は毎日あの忌々しい人間が寝ているだけだった部屋にいる。

「ルカリオン。どこに行っていたの?」
「トリスタンに会ってきました」
「あぁ、あのゾウの獣人の彼ね」

 目が赤い。泣いていたらしい。あの忌々しい人間が亡くなってからずっとこうだ。これでは、父の死を嘆いているのか、あの人間の死を嘆いているのか分からない。

「あなたも即位したのだから早く妻を決めないとね」

 訳もなく腹が立って風に遊ばれて外に出たり戻ってきたりするカーテンを眺めていると、母はそう切り出した。

「即位したばかりですし、すぐでなくていいはずです」
「一夫多妻制なのだし、竜人は子供ができにくいから早い方がいいわ。番が現れないのだったらなおさら」

 トリスタンと番の話をしたせいで、空気がピリつくのが分かる。

「母上はリヒトに番紛いの話をしたことがありますか?」
「え、ないはずよ。あの子は私を避けていたもの」
「下界で番紛いを使用した人間がいました。話し相手としてここに来ていた人間です」
「獣人や鳥人は竜人と体の構造が違うわ。彼らに番紛いを使ったら……耐えられないのではないかしら」
「それは追々分かるでしょう」
「リヒトには話していないけれど……もしかしたらエリスに喋ったかも」
「では、リヒトはそれを聞いていた可能性がありますね」
「何かまずいことでも起きた?」
「獣人が一人おかしくなったところで、大したことはないでしょう。番紛いの作り方を吹聴しなかったようなので」
「でも、下界では番として人間を迎えた獣人が一人は死にかけて、もう一人は死んだのでしょう」

 再建がほぼ終わったクロックフォード伯爵邸と今日燃えたマキシムス伯爵邸を思い浮かべる。

「しばらく番反対派の残党がうるさいかもしれませんが。正直、自己責任でしょう。人間が勝手に『番だ』とやって来たわけではないのですから」
「それなら、エリスだってそうだったわ」

 ルカリオンはその「エリス」という女の名前を何度も聞きたくなかった。
 父が誘拐紛いに連れてきて、後から来たくせに母を苦しめた。何もしないくせに嘆き、金も生み出さず寝ているだけの無価値で無能な女。番だからあの女が嫌いだったわけじゃない、あの女の生き方が嫌いだった。

 そう考えると、エーファ・シュミット。あの女は潔かった。

「エリスには悪いことをしてしまったわ」
「もう終わったことでしょう」
「そうね。今言っても仕方がないわ。すべては私が番紛いを飲んでしまったことが間違い」

 母は目元を拭うと、ルカリオンに向き合った。

「あなたはどうするの。番紛いを用意しましょうか」

 番紛いは作り方が分かれば簡単に作れる。番消しは竜人でももう作れない秘薬だ。

「母上は苦しんだのに、私に番紛いを飲めと言うのですか」
「私が番紛いを飲んだ時は、若くて愚かで自分を過信していたの。私は愛よりも番を信じているわ」

 母の意外な言葉にルカリオンは金色の目を大きくした。

「結婚して、私は先代竜王陛下を愛した。でも陛下は番を見つけて、以降は私に見向きもしなかった。私の愛なんて番の前ではいとも簡単に負けてゴミのように捨てられた。そもそも、愛なんていつ冷めて壊れるか分からない曖昧なものに頼るよりも番だと大切にされる方がよほどいい。倦怠期があっても、番への思いは一生なのだから」
「父上を見て考えました。番は神が与えた呪いではないかと」
「相手が同じ種族だったら良かったのでしょうね。きっとそれは呪いではなく愛だったはず。エリスにとっては呪いだったのでしょう」
「父上がいなくなって悲しいですか」
「もうこの目で彼を見れないのが悲しい。でも、エリスを失ったことも同じくらい悲しい。きっと私は……彼女の不幸な姿を見て自分が懺悔しているのが好きだったのよ。でも、もうエリスはいない」

 歪んだ言葉が母から出てきて、ルカリオンは妙に納得した。結局、母は悲劇のヒロインでいたかったのか。あの女に懺悔している間は、自分の愛に酔っていられるのだから。

 ルカリオンは初めてリヒトシュタインを恋しく思った。
 いつもこの部屋で、ベッドの住人のあの女の側に座っていた異母弟のことを。
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